3月25日、硫黄島で日・米戦没者合同慰霊追悼式を行いました。私は国会の超党派で作る硫黄島問題懇話会・幹事長であり、戦没者遺族代表として参加しご挨拶をいたしました。
戦後72年を経て、かつての敵味方が合い集い継続して慰霊祭を行っているのは、世界でただ一ヶ所ここ硫黄島のみと言われています。
硫黄島の戦友・遺家族で構成される硫黄島協会と米国側の戦友・遺家族による米国硫黄島協会が共催し、外務省、防衛省・自衛隊、厚生労働省の協力を得て開催する式典は、今回で18回目を迎えました。
朝8時にチャーター機で羽田を出発し、11時から日・米再会の碑前で日・米合同式典を行い、終了後は天山慰霊碑において日本側のみの慰霊祭を執り行いました。
その後は車内で昼食をとりながら兵団司令部壕や病院壕、日本側砲台跡、集団埋葬地、南観音下の戦闘型壕、現在も活火山である摺鉢山山頂を周り、4時半に硫黄島を出発して7時に羽田に戻る強行日程ですが、全国各地から参集した遺家族の皆さんや関係大臣政務官や国会議員など約100名が集まりました。
島は72年間時間が止まった状態で、至る所に水蒸気の噴煙が上がり、当時の生々しい激戦の跡が残っています。
ご遺骨の収容は未だ五割に届かず、残る一万一千余の方々全員が故郷にお還りいただくまで硫黄島の戦いは終わっていないのです。
私たち硫黄島協会は、英霊の追悼顕彰とご遺骨の収集帰還事業を続けております。
政府による硫黄島の遺骨収集作業は大規模に進められており、戦友・遺家族関係者の長年の悲願であった飛行場滑走路下の作業もいよいよ着手されています。
時間が経ち世代が変わっても、私たちは現在の平和と繁栄が英霊の皆さまの貴い犠牲の上に成り立っていることを心に刻み、決して風化させることなく次の世代に伝えていかなければなりません。
また二度と悲しい戦争が起きないよう、平和の誓いを持ち続けることが英霊に応えることではないか、と私は考えています。
硫黄島はそうした思いを再認識させてくれる特別な島なのです。