第 4 号
2004.05.03
発 行


< サッカーは世界をつなぐ >
  日韓ワールドカップが築いたもう一つの友情 (2)


  −(1)より続く −

 いよいよ日本と韓国の国会議員同士による試合のキックオフ。日本チームは友好・親善ムードいっぱいで試合に臨んだのですが、韓国チームは真剣そのもの、目の色が違います。日本がボールを持つと、反則ギリギリでスライディングを仕掛けてきます。日本選手は次々と弾き飛ばされ、結局、試合はほとんど押し込まれたまま日本チームは惨敗。本当に悔しい思いをしました。しかし、このまま黙って引き下がる訳にはいきません。サッカー解説者のセルジオ越後氏をコーチに招き、私たちは公務の間をぬって猛特訓を開始、強化合宿も何回か行いました。私も中学から大学までサッカー部だった意地をかけて、練習に参加しました。

 そして、日韓国会議員親善試合は、ソウルのオリンピックスタジアムや済州島、日本の国立競技場や大分県などで計5試合が行われました。私は、元日本代表・名ストライカーの釜本さんや、プロレスラー出身の馳浩さん(タックルしてきた韓国議員が骨折してしまいました!)、今回イラクで苦労された逢沢一郎外務副大臣、民主党の樽床伸二国対委員長代理、社民党の横光克彦副党首等々、すべての党の議員たちと党派を超えて日本のために(ちょっと大げさかな?でもそう思ってた!)力を合わせ戦いました。第1戦以降は1点を争う好ゲームを展開。日本チームは通算2勝3敗の戦績を残したのです。

 私はこのことを通して、得難い体験をしました。当初、両国の議員の間には、過去の歴史による「心のわだかまり」が存在しました。特に韓国側は「日本には絶対に負けない」というライバル心を強く持っていました。しかし、激しく体と体をぶつけあい、共に熱い汗を流していく中で、いつしか固い友情と信頼が醸成されていったのです。それは、何10回、何100回の会議にも勝るものでした。

 この日韓の国会議員による親善試合は、日韓W杯で大きな実を結びました。準備や運営において、ともに汗を流した両国国会議員たちの存在は、アジアで始めて行われた日韓W杯の大成功の一助となったことは間違いありません。さらには、日韓のW杯推進国会議員連盟による素晴らしい成果を聞きつけたイギリス、ロシアといった国の国会議員のチームから、日本とぜひ対戦したいという申し出がW杯開幕前に相次ぎ、それらの国ともサッカーを通じて大いに友好を深めることができました。

 日韓W杯終了後、W杯推進議員連盟は「サッカー外交推進議員連盟」に衣替えし、現在もサッカーによる世界各国との友好・親善活動を続けています。今年2月12日に行われた国際親善試合・日本対イラク戦では、現在復興に努力を続けるイラク支援のため、サッカー外交推進議員連盟が小泉首相にはたらきかけ、日本が旅費や滞在費を負担し、イラク代表の監督や選手にとても喜んでもらいました。

 また紛争を続ける中東のイスラエルとパレスチナ両国のサッカー少年を日本に招待し、日本で一緒に合宿を行い、それを毎年続けていく計画も進行中です。その少年たちが大人になったとき、サッカーを通じて芽生えた友情と信頼がもととなって、必ずや両者の和平交渉が進展するだろうと考え、願っているからです。

 まさに、サッカーは世界をつなぐ―。この言葉を胸に、私は今、埼玉県クラブユースサッカー連盟U12会長や、川口市サッカー協会顧問として、微力ながらサッカーのお手伝いをさせていただいております。そして、一市民として日本代表を精一杯応援し、また埼玉県民として浦和レッズや大宮アルディージャに心からの声援を送っていきたいと思っています。

新 藤 義 孝
  − 終わり −


新藤義孝プロフィール

 昭和33年川口生まれ。明治大学卒業。
 川口市役所で地方自治を経験し、市議を経て、
 平成8年38歳で衆議院議員に。当選2回。

 小泉内閣では総務大臣政務官(43歳)、
 続いて国会対策副委員長、
 外務大臣政務官(44歳)を歴任。
 昨年11月の総選挙で惜敗。次をめざす46歳。


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