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第42号 2005.01.31 発 行 |
![]() ![]() 時としてそれは、改憲・護憲・論憲等色々な立場から、法律解釈や現実的妥当性といった見地からの議論だけではなく、イデオロギー闘争の手段としても利用されてきてしまったようにも見受けられます。今回の週刊新藤では、9条解釈の歴史を振り返りつつ皆様と共に今後の9条のあり方を考えてみたいと思います。 [憲法第9条とは] 第9条は日本国憲法の三大原則のひとつである平和主義を具体的に規定する条文であり、この条文だけで憲法の第2章を構成しています。この条文は「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の3つの要素から成っています。私たちの憲法が「平和憲法」と呼ばれるのは、憲法前文の記述とこの第9条の存在に由来しているのです。
[9条の解釈] 憲法9条の規定については、その趣旨、「戦争」の定義、「国際紛争を解決する手段としては」という留保の意味、「戦力」の定義、「交戦権」の定義などについて、制定当初より幾多の議論がなされてきました。 憲法9条全体の解釈としては、 @自衛権を含め一切の戦争行為及び戦力を否認しているとする説 A自衛権は否定していないが戦争行為は否認しており、そのための戦力も認められないとする説 B自衛の範囲内ならば戦争も戦力も認められるとする説 という3つの説が主なものとなっています。 [国際情勢の変化と9条解釈の経緯] 初期の9条論議の争点は、自衛隊の存在そのものについてでした。 ・憲法制定当初(1946年)、時の吉田内閣は「直接には自衛権を否定するものではないが、第2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も交戦権も放棄する」とした。 ・朝鮮戦争(1950年)に伴い警察予備隊設置。「警察予備隊の目的は治安維持にあり、従ってそれは軍隊ではない」 ・日米安保条約発効(1952年)、米軍への在日基地提供義務が生じる。警察予備隊が保安隊に。「憲法で禁止される戦力とは近代戦争遂行能力を備えるもの」「米駐留軍は9条とは関係がない」 ・防衛庁設置、自衛隊発足(1954年)。鳩山内閣「自衛隊のような自衛のための任務を有し、その目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、憲法違反ではない」 ・新安保成立(1960年)、米軍への施設提供を義務化。「日本領土が攻撃された場合にのみ日米共同作戦を遂行する。それ以外の場合、日本は米軍と共同作戦をとることはできない=集団的自衛権は行使しない)」 日本の国際貢献への気運が高まった近年では、自衛隊の海外支援のあり方が問われてきました。 ・湾岸戦争勃発(1991年)。国連決議による多国籍軍が派遣されたが、日本は参加せず経済支援のみ実施。 ・湾岸危機後、PKO協力法成立(1992年)。自衛隊カンボジアへ。「国連平和維持活動は強制的手段により平和を回復しようとするものではない。この法律に基づき自衛隊が参加することは海外派兵に当たらない」 ・周辺事態法成立(1999年)。「戦闘行為とは区別される後方支援は集団的自衛権の行使には当たらない」・米への同時多発テロ(2001年)。テロ対策特別措置法成立。自衛隊をインド洋に派遣。 ・イラク復興特別措置法成立(2003年)。「活動地域は非戦闘地域のみとし、自衛隊員の武器使用は正当防衛と緊急避難に限定する」 [国際平和を築いていくために] 国際紛争を予防し世界の平和と安全を創造・維持するために、日本の果たすべき役割は何でしょうか。これを考える際に、現在の9条論議の中心をなす集団的自衛権の問題を見過ごすことはできません。 日本政府は1960年代以降、ほぼ一貫して「国際法上、集団的自衛権を保有していることは主権国家として当然だが、憲法9条で許容される自衛権の範囲を超えるため、憲法上は行使を許されない」との解釈をしてきました。しかし、1991年の湾岸戦争を契機とした国際平和維持活動への参加問題や2001年の米同時多発テロにより、日本は日米同盟の枠を超えた国連や国際協調による平和活動にどこまで協力できるのか、を問われることとなったのです。 集団的自衛権の行使が制約されている現状では、例えばイラクで人道復興支援活動を行う自衛隊がオランダ軍に警護されている一方で、オランダ軍が攻撃を受けた際には共に反撃することができないという矛盾が生じています。同様に、今まで自衛隊はいくつかのPKO活動に参加してきましたが、同じPKOに参加している国の軍隊を守ることができないという問題もあります。テロリズムが国際的な脅威となっている現代で、わが国は後方支援という限定された形でしか行動できない現状があります。59年前につくられた憲法を解釈のみで運用している限界が現 れているのです。 9条の精神は確かに素晴らしく、9条に触れることで日本が戦争に巻き込まれるのでは、と危惧する方々の気持ちもよく理解できます。まず戦争放棄の理念は堅持した上で、国際平和を積極的に構築していくわが国のあり方とその指針について、より一層の憲法論議を深めていくべきだと思います。
![]() 昭和33年川口生まれ。明治大学卒業。 川口市役所で地方自治を経験し、市議を経て、 平成8年38歳で衆議院議員に。当選2回。 小泉内閣では総務大臣政務官(43歳)、 続いて国会対策副委員長、 外務大臣政務官(44歳)を歴任。 昨年11月の総選挙で惜敗。次をめざす47歳。 ☆ 新藤義孝後援会事務所 ☆ 〒332-0034 川口市並木 1-10-22 TEL 048-254-6000 FAX 048-254-5550 |
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