10月6日、旧国立競技場に設置されていた1964年東京大会の聖火台が川口市に里帰りし、JR川口駅東口キュポラ広場にて、橋本聖子五輪担当大臣等のご参加を得て立派な点火式が行われました。
この聖火台は私の地元である川口市で製作されたものであり、5年前に旧国立競技場の解体に伴い取り外され、宮城県石巻市に貸し出され、岩手県、福島県を経て川口に帰ってきたものです。
実は5年前の7月、私は旧国立から取り外される直前にこの聖火台を訪ね、川口市民を代表して、大きな役目を果たした聖火台をさすり、感謝を込めご挨拶させていただいております。
この聖火台の川口への里帰りは、その5年前に政府と交わした約束であり、待ちに待った聖火台の里帰りが実現したことを心から喜んでおります。
「魂の聖火台」と呼ばれるこの聖火台は、川口の鋳物師鈴木萬之助・文吾親子が1958年の第3回アジア競技会用に注文を受け製作されたものでした。
最初に製作された1号台は「湯入れ」で鋳型が爆発し隙間から鋳鉄が流れ出て失敗。父萬之助は失意の余り倒れ8日後に息を引き取ってしまいます。納期まで1ヶ月、三男の文吾がその後不眠不休で製作に没頭し、2号台をアジア大会にギリギリ間に合せます。
当時の河野一郎五輪担当相がこの話を聞き、「そのような魂のこもったものこそ五輪大会にふさわしいのではないか。」となり、川口鋳物製の聖火台が東京五輪に採用されることになったのです。
そして東京五輪大会以降、旧国立競技場のシンボルとして数々のドラマを見守ってきた聖火台は、2015年7月、旧国立競技場の解体に伴い撤去されることになります。
ところが取り外した聖火台のその後の取り扱いについては、何も決まっていませんでした。
そのことを知った私は、聖火台の地元選出議員としてオリンピック組織委員会の森 喜朗会長、閣僚・関係機関を回り、この聖火台の由来を説明し、保存に向けた要請活動を開始したのです。
地元の奥ノ木川口市長や商工会議所、鋳物組合などと連携し地道な活動を約2年間続けた結果、2017年11月14日の2020東京五輪関係閣僚会議において、1964年東京大会の聖火台は新国立競技場の東側正面広場に設置の上、永久保存されることが決定されました。
続いて2017年11月27日、私は衆議院予算委員会の質問に立ち、安倍総理に対し「オリンピックレガシーとして保存が決定した旧国立聖火台については展示物に終わらせず、2020オリンピック・パラリンピック大会終了後に、平和と繁栄を願う日本国民の「希望の灯火」として折々に活用してはどうか?」と提案しております。
総理からは「政府内でよく検討させる」との前向きの方向性が示され、オリ・パラ大会終了後を見据え、私も折衝を重ねています。
オリンピック・パラリンピックは、スポーツを通じ世界の人々がつながる世紀の祭典です。自国の選手を応援するとともに、他国の選手の健闘を称え、やがては国を超えて目の前のドラマに感動し酔いしれる場です。大前提は開催国に平和と繁栄がなければ開催できないことです。
私は、日本が1964年と2020年の2度の大会を通じて、時空を超え人々の心がひとつになれた象徴として、聖火台に灯った火の精神を顕彰し遺してはどうか?と提案しているのです。
この「魂の聖火台」は、来年3月まで川口駅前広場に設置されます。川口鋳物組合の協力を得て、最後にメンテナンス調整が行われ、磨きをかけられて新国立の終の住処に移ります。
ご都合よろしければ是非川口においでいただき、「魂の聖火台」にご挨拶をちょうだいできれば幸です。