第106号 日本のエネルギー戦略を考える


今年で2年目を迎えたクールビズ。エネルギー問題は一人一人の心がけも大切です。


◆ エコ大国・日本に向けて

 産業活動はもちろんのこと、私たちの暮らしは、石油・電気・ガスといったエネルギーなしには1日たりとも過ごすことができません。エネルギーは国家の生命線であり、国の政策の根幹を成すものです。
 我が国は過去に2度、石油ショックに見舞われ、当時は大変苦労したわけですが、その経験を踏まえた上で省エネルギーに努めるとともに、石油から天然ガスへ、また電気については原子力発電を推進するなど、石油代替エネルギーの利用を拡大してきました。
 その結果、例えば省エネルギーについては、我が国はGDP当たりのエネルギー消費効率において、欧米の約2倍、中国の約10倍、世界平均の約3倍の効率
をあげており、世界最高水準の省エネ国家となっています。また、ひとつのエネルギー源に過度に頼ることのないように、石油ショック時には約8割だった石油
依存度を現在では5割を切る水準まで下げています。特に電気に関しては、今や石油は10%程度で、原子力が約30%、天然ガスと石炭がそれぞれ約25%と
多様化が進んでいます。


◆ 日本の深刻なエネルギー事情

 しかし、わが国は依然としてエネルギーのほとんどを外国からの輸入に頼っています。エネルギー自給率(原子力を含まない)を諸外国と比較すると、イギリス104%、アメリカ64%、ドイツ27%、イタリア15%に対して、日本はわずか4%と非常に低い水準にあります。
 
皆様もよくご承知のとおり、ここ数年で、石油の国際価格が2~3倍程度上昇しています。また、この石油価格の上昇を受け、天然ガスその他のエネルギー価格
も上昇してきています。ガソリンや軽油価格等の上昇で、生活や経済活動の一部に影響が生じていますが、しかし、過去の石油ショック時のような状況にはなっ
ていません。電気料金などは、むしろ4月から値下げが行われており、エネルギー問題が深刻化しつつあることにお気づきではない方もいるかもしれません。
 しかし、世界的に見ると、7月にロシアのサンクトペテルブルグで開催されるG8首脳会議ではエネルギー問題が主要議題のひとつに取り上げられるなど、いわば「忍び寄るエネルギー危機」にいかに対処していくかということは、国際的な最重要課題となっています。


◆ 将来にわたる総合エネルギー戦略を

 私たち自民党では、国の生命線であるエネルギーを将来にわたり確保していくため、5月下旬に党としての総合エネルギー戦略を取りまとめました。私も検討会の幹事として、議論に加わって参りました。
 まず、家庭部門、業務部門及び運輸部門のエネルギー消費は、石油ショック前の2倍以上の水準となっており、産業部門も含め、省エネルギー対策を一層充実・強化させる必要があります。具体的には、省エネルギーに関する技術開発を推進するとともに

トップランナー方式:
 自動車の燃費基準や電気機器(家電・OA機器等)の省エネルギー基準を、各々の機器において、エネルギー消費効率が現在商品化されている製品のうち最も
優れている機器(トップランナー)の性能以上にするという考え方です。1999年4月に施行された「改正省エネ法」において導入されました。

、トップランナー方式を拡大・強化する等によって社会に普及させていくことが重要です。
 また、ガソリンや軽油など、ほぼ100%石油に依存する運輸部門に関しては、燃料の次世代化が不可欠です。ガソリンにさとうきび等から製造したエタノー
ルを混合したり、天然ガスから軽油と同等の性状をもつGTLを製造することなどによって、石油依存からの脱却を進めていきます。さらに、次世代自動車と呼
ばれる電気自動車・燃料電池自動車等の開発・普及にも力を尽くしていかなければなりません。


◆ 環境問題への対応も

 さらに、エネルギーの使用による二酸化炭素の排出をできるだけ少なくするために、太陽光発電や風力発電等の再生可能エネルギーの開発・普及が重要です。
また、原子力発電は運転中に二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー源であり、安全の確保を大前提に、核燃料サイクルを含め着実に推進していくことが
必要です。
 一方、石油、天然ガス等外国に依存する化石燃料については、安価で安定的な確保をしなければなりません。このため、産油国・産ガス国等との関係強化を戦略的に取り組むとともに、ODAの活用も考える必要があります。
 こうした取り組みは、政治、行政、経済界、そして国民が一体となって取り組んでいくことが不可欠です。党の提案を受けて、政府はこの度、「新・国家エネルギー戦略」を取りまとめました。また、日本経団連や経済同友会もエネルギーに関する提言を取りまとめています。


◆ クールビズを推進しよう

 私たち一人一人ができる取り組みとして私が皆様に強くお薦めしたいのが、昨年から始まったクールビズです。上着を脱ぎネクタイをはずすと、体感温度はお
よそ2℃下がると言われています。省エネルギーや環境問題のみならず、以前この「週刊新藤」でご提案したように、服装を自然に無理なく場面や環境に合わせ
ていくセンスアップの一環として、このクールビズ運動を活用してみてはどうでしょうか。私も早速実践しています。
 是非とも皆様一人一人に、ライフスタイルを見つめ直す意味でも、エネルギー問題について今一度お考えいただけたらと存じます。

新 藤 義 孝

竹島問題について(質疑) 衆議院外務委員会-20号 2006年6月7日

外務委員会で竹島問題に関して質疑をおこないました。
日韓間の大きな懸案である竹島問題につきまして、所属する外務委員会で2回にわたり質疑を行いました。日韓両国民が共通の歴史認識をもち、感情論によらない客観的な議論が広がっていくよう望みます。

2006年6月7日 衆議院外務委員会 新藤義孝質疑

○新藤委員 先週に続きまして質問の機会をいただきましたことは、委員長、そして理事、また同僚委員の皆様方に感謝を申し上げたいと存じます。

 大臣、御出発されなければいけないということなので、手短に、一問だけ麻生大臣にお尋ねしたいと思います。竹島の海洋調査をめぐる関係でございます。

 この問題で、四月の十四日に、我が国海保が海洋調査を行う、こういうことで表明して以来、摩擦が起きました。そして、谷内事務次官が韓国へ行って話をまとめてきた。その後に、今度、大臣は五月二十三日、カタールで潘基文外交通商部長官と会談をしてお話をされたわけです。EEZの境界画定交渉を来週始めることを合意していただきました。

 そのときに、大臣は三つのことをお話をされておりますが、その中で、特に海洋調査に関しては、今後の海洋調査をめぐる協力も取り上げたいということでお話をされました。海洋調査の協力というのはどういう趣旨をおっしゃるつもりだったのか。

○麻生国務大臣 御指摘のありました、先般の日韓の外相会議において、私より、EEZの境界の画定交渉をやるに当たっては、懸案になっている海洋の科学的調査にかかわる協力についてもその場で取り上げようじゃないかという話を私どもの方から発言をいたしております。

 この海洋の科学的調査に当たりましては、先般のような、先般というのは、谷内が行くことになりました先般のような事態が再発することを防止するということが必要、重要と思っております。

 したがって、日韓間での話し合いでEEZの境界が画定するまでの間、これは、EEZの境界が画定するまで結構時間がかかると思いますので、その間、日韓の間で海洋の科学的調査をめぐる協力というものは進めていく必要があろうと存じます、このEEZの画定とは別に。

 そこで、私としては、そういった点もこのEEZの境界画定交渉の中であわせて論議をすべきではないかということを、趣旨を申し上げたということでありまして、きょうこの段階で、韓国側が私どもの提案に対して、十六日からだと思いますが、来週から交渉の議題とすることにはまだ応じてきてはおりませんけれども、引き続き、この点につきましては調整をしていきたい。六月十二、十三日だそうです。調整をしていくというように考えております。

○新藤委員 それでは、大臣、お時間でしたら、大丈夫です。どうぞ。

 今の大臣のお答えは、両国において、この周辺海域で国際法で認められている海洋調査を進めていくんだ、進めていくためのいろいろな協議をしようじゃないか、こういうお話をされた、こういうふうに理解をします。

 その上で、ちょっとお尋ねをしたいと思います。

 きょうは提出資料をお配りしておりますので、これは委員の皆さんもごらんをいただきたいと思うんですが、海洋調査を行うためには水路通報というものを出します。これはだれでも見られることで、私も、ホームページでチェックをして、きょうはここに持ってまいりました。

 これによると、一枚めくっていただいて、我が国の水路通報、四月十四日付、これで、一番上に四角で囲ってある、二枚目のところです。水路通報をもう一枚めくっていただくと、二枚目に、日本海南西部、水路測量実施、そして四点に囲まれる区域、それが一番最初にあります図表の中の斜線で囲まれた区域。

 これについて調査をやろうとして、四月の十四日にこれを公表したら、その日の午後に猛烈な抗議が来て、そして日本はこの問題で韓国と大きな争いになって、結果的に今この調査は中止している、こういう段階だということなんです。

 ところが一方で、韓国側はどういうふうになっているかというと、もう一枚めくっていただいて、今度は英文のものがございます。これは韓国が出している水路通報です。ことしの一月の二十七日付で水路通報が出ていて、これをめくりますと、非常に興味深いというか、いろいろ書いてあります。韓国が、ことし一年間でこんな水路調査を行います、こういうことを通報しているわけなんです。

 その中に、よく見ると、下の方の二のエリアのところに、「ドンハエ―ドクト」と書いてあります。それから、その下が「ドクト―ウルサン」と書いてあります。これは、ハエヤン二〇〇〇という船で調査を行いますということが予定されているんですね、この予定海域が。

 それは、オーシャノグラフィック・オブザべーションをいつ行うかというと、ハエヤン二〇〇〇が、今下線が引いてあるのが七月十八日になっておりますが、これは間違いです、この一段上、七月三日から十七日にイーストシーで行う、それから十月十二日から十月三十一日に同じくイーストシー及びサウスシーで行う。

 この表からいうと、トンヘと竹島、それからウルサンと竹島をめぐる我が国の排他的経済水域の中で、韓国はことしも水路調査を予定しているということになっておるわけなんでございます。

 今度は、韓国がこの水路調査をやるときにどうなるんだろうか。またここで摩擦が起きて、緊張が発生するようなことであれば、極めて非建設的だと私は思っているんです。

 今、大臣のお話のように、海洋調査を進めていこうじゃないか、こういう趣旨でこれからEEZの画定交渉が始まるんだとするならば、交渉の場でしっかりとこの部分は取り上げる。

 それから、まず日本も、私たちもよくわからなかったんです、一月の二十七日の段階で韓国はもう海洋調査をやると言っているわけなんですから、これに対して我々はどういう抗議を行ったのか、しっかりと国民は知らなければいけないと思っております。

 そして、何よりも摩擦が起きないようにするためには、例えば、こういう水路調査、海洋法条約で認められた科学的な調査であれば、お互いに自由にできるようなもの、または共同調査を行うとか、そういうルールを何か決めて、建設的な話し合いをしていく。共通のルールをつくる必要があるのではないかと思いますが、政府として、いかがですか、副大臣。

○塩崎副大臣 かつて、二〇〇〇年ごろ、二〇〇一年にかけて、中国が東シナ海で調査船を日本のEEZと目されるような水域にも繰り返し出してきたことがあって、特別円借款の一時停止の問題にまで至ったわけでありますけれども、その際に、共通のルールをつくろうじゃないかということで、かなり時間をかけましたけれども、そこでルールができ上がったという経験を持っているわけであります。

 今、先生御指摘のように、本来、日韓関係が未来志向で、発展的な関係を結ばなければならないということは、特に近隣の一番近い国でありますから、それはおっしゃるとおりでありますが、今回、いろいろな問題が起きました。

 先ほど大臣から答弁がございましたように、五月の二十三日の外相会談でも、EEZの交渉の中で、海洋の科学的調査をめぐる日韓間の協力について取り上げるようにということで働きはしているわけでございますし、私も五月の一日に潘長官とお会いをしたときに、要は、同じような問題がまた起きるようなことはやめましょうねということで、意見の一致を見ているわけでございます。

 今御指摘のようなオーシャノグラフィック・オブザべーションというのがホームページに載っているわけでありますが、私どもとしても、日韓間で、海洋の科学的調査をめぐる同じような事態を避けるべきだという認識を潘長官との間にも共有しまして、できる限り日韓関係の大局を見据えた話し合いを行うことによって、今おっしゃったようなルールができればいいかなというふうに思っているわけであります。十二、十三日の東京における交渉において、できる限りそういう方向で進めるように努力をするよう事務方の方にも申しつけているところでございます。

○新藤委員 この間の四月の二十一、二十二日の谷内次官と向こうの第一次官との話し合いというのは、今回の海洋調査は中止する、それから韓国は地形名称の提案を行わない、それからEEZの画定交渉を始めようじゃないか、三つだったんです。

 でも、そこにもう一つ、韓国側が予定をしている水路調査の問題があって、これはEEZ交渉のときに取り上げてしっかりと議論をしなければいけない、これは日本人もみんな知らなければいけない、私は、その意味で、きょうはこのことを取り上げたのでございます。

 そして、この海洋調査、何度もさっきから言っているように、科学的な調査であれば、これはどの国にも認められた権利です。そして、韓国は、過去、少なくとも四年間ずっと調査を行ってきているわけです。竹島周辺の水路通報を公表しておりますけれども、海上保安庁、きょう来ていただいていると思いますが、海上保安庁としては、この水路通報に対してどういう対応をしてきたのか。

○陶政府参考人 お答え申し上げます。

 海上保安庁といたしましては、我が国のEEZ内における韓国の海洋調査を水路通報により認知いたしました場合、直ちに外務省を初め関係省庁に連絡しているところでございます。

○新藤委員 そうすると、直ちに関係省庁に通報してもらっている、その関係省庁である外務省、これはどういうふうに対応しているんですか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 今、先生が指摘されたように、過去四年間、韓国は水路通報を行ってきておりますけれども、我が方は、その事実を承知次第、韓国側に対しまして、我が国のEEZ内における海洋の科学調査については、国連海洋法条約により、我が国の明示の同意が必要である、きちっとした事前通報がないことは遺憾であるということを、外交ルートを通じ、そのたびに抗議してきております。

○新藤委員 時間がありませんので一つ一つ取り上げませんけれども、少なくとも韓国は、四月十四日に我が国が水路通報を出したらば、その日の午後に、まだ相手に書簡が郵送で届いていない、ホームページに上げた段階でチェックをして、猛烈な抗議を行ってくる。

 うちの方は、一月の二十七日に、韓国が水路通報を出しちゃっているわけです。しかも、これは、今の現状では有効なわけなんですから、やはりこれをしっかりと抗議するとともに、それは我々がみんな知らなければいけないじゃないか。

 これは本来、韓国が、我々の科学的な調査に対して、あのような反応をしなければ、お互い、粛々と進めればよかったことなんだけれども、これは、向こうがああいう過激な態度をとってしまっていると、そこはまた別の政治問題化するということになるわけでございまして、これはしっかりと外務省もやっていかなきゃ困る。大体、一月の二十七日なんですから、これはよく心にとめておいていただきたい、こういうふうに思います。

 今申し上げましたように、理屈で言えば、韓国の水路調査は今のところ有効です。だとすると、この七月にもし韓国の船が日本のEEZ内に侵入してきた場合、海上保安庁はどういう対応をするんですか。

○石橋政府参考人 海上保安庁としては、竹島周辺海域の我が国排他的経済水域において韓国側の海洋調査が行われた場合には、国際法に基づき適切に対処してまいる所存です。

 我が国の排他的経済水域において海洋調査を行う他国の海洋調査船は、一般的には公船であるため、国連海洋法条約の規定により旗国以外の国の管轄権から完全に免除されることになりますけれども、当該船舶の調査活動を確認した場合には、巡視船などにより、無線などを通じ厳重に中止要求を行うなど所要の措置を講ずるとともに、外交ルートにより申し入れを行うこととします。

 いずれにしましても、海上保安庁としましては、関係機関と綿密に連絡をとり適正に対処してまいります。

○新藤委員 海保が限られた、限定的な条件の中で極めて頑張っているというのは、私はよく承知しています。現場にも視察をしておりますから、極めて厳しい状況であると思いますが、今お話のございましたように、これはもう厳密に対応していくしかない。国際法にのっとってしっかりと対応しなきゃならぬ、こういうことになるわけです。

 でも、その対応は、結果的には国の摩擦を生むことになります。何でこんなに摩擦が起きるのかといえば、私は、前回のときにも取り上げさせていただきましたが、韓国の人たちは、竹島、独島は私たちの島で、日本が不当に持っていってしまったものなんだ、それを戦争が終わった後の解放によって我々は取り返したんだ、二度と入れてはならぬ、こう思い込んで、とてつもない大きな反応を示すわけですね。日本人の方は、一方で、どうしてそんなに摩擦が起きるんだろう、竹島って日本の島じゃないの、でも、何で日本の島なんだかはよくわからないと。

 ですから、そこのところをしっかりと、これは、今の時代は政府間同士が、役人の人たち同士でもって、部屋の中だけで話し合いが済むわけじゃないわけですよ。これは、両国民の世論が、日本人と韓国人が、冷静に、客観的な事実に基づいて、この問題をどう対処していくか。これをそういう形に持っていかない限り、いつまでたっても進まない。そして、要するに、その場をうまく玉虫色におさめて先送りする。それで、いつかは起こってはならない不測の事態、摩擦が起きたらどうするんだ、こういうことになります。

 その意味においても、これは事務方でなかなかやり切れるのも難しいと思います。前回、ホームページだとか政府の広報物としての竹島のパンフレットとかつくったらどうだと御提案しましたけれども、ここはやはり、政治任命を受けている政務官が、御担当の政務官と御相談されて、これは御自分の任期中に一つ成果物をつくったらどうかと思いますが、いかがですか、伊藤政務官。

○伊藤大臣政務官 さきの大戦で硫黄島の司令官をなさった栗林大将を祖父に持たれる新藤議員の日本に対する大変な愛情、そしてまた島国、海洋国である日本の権益を守ることに対する熱情には大変敬服するところでございますし、先ほど名前が出ましたクリント・イーストウッド監督でありますけれども、今度は、栗林大将が新藤さんのお母様に書かれた手紙を一つのベースに、日本語による硫黄島の映画を撮られて、全世界で公開されるということでございます。

 これからの広報というもの、おっしゃられたようなホームページまたパンフレット、また今はビジュアルといいますか映像の衝撃もありますので、ぜひ政治主導で、日本国民に対する御理解を深めていただくことはもとより、韓国民を含む世界の世論に訴える力強い広報活動というものを外務省としても進めてまいりたいと思いますし、今おっしゃられましたように、政治任命された我々もリーダーシップを持って、このことに対しては、遅かりし由良之助ということにならないようにしっかり進めてまいりたいという考えでございます。

○新藤委員 映画の宣伝までしていただきまして、ありがとうございます。さすが伊藤政務官、元映画づくりの専門家でございますので、大変ありがとうございました。

 しかし、今の話は、まさに政務官の仕事だと私は思うんですね。政務官がこういう大臣、副大臣をバックアップするための仕事をして、事務方に御指導いただいて立派なものをつくることを期待したいというふうに思います。

 そして、最後でございますが、来週予定されている日韓のEEZ画定交渉に関しまして、先ほど松原議員さんからも少し御指摘がございましたけれども、報道によれば、韓国側は独島を基点とする新しい境界線の提案をする、こういう話が漏れ伝わってきました。

 これは、あくまで未確認の報道です。でも、もし、こんなようなことを韓国がやってくれば、日本も引くに引けなくなってしまいます。ですから、こんな互いに傷ついて、真っ正面からぶつかり合うようなことをやるのは全く得策でないと私は思っています。

 そして、それはまず、今、日韓のEEZの境界画定については、平成八年の三月、橋本総理と金泳三大統領との首脳間において、日韓のEEZ問題は領有権問題と切り離して、EEZの境界画定や漁業協定交渉を促進することに合意した、これが今我々が日韓で持っている知恵です。ですから、こういうものをしっかりと前提にして、これも事務方にきちっとした指導、指示をしなければいけないと私は思っています。

 今、大臣はもう御出発ですから、副大臣にお尋ねしますが、「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」、これはビスマルクの格言です。我々はそういう歴史を踏まえて、そして日韓は隣り合った友好国として、お互いに仲よくやっていこうじゃないか、いろいろな歴史があって、それを踏み越えていかなくてはいけません。そのときに、過激な、単なる独善的な提案は絶対に慎むべきだ。

 その意味において、来週から始まってしまうわけでございます、一回で終わるとは思いませんが、しっかりと政治的なリーダーシップが必要ではないかと思いますが、副大臣、御見解をぜひお願いいたします。

○塩崎副大臣 先生おっしゃるとおり、日韓関係は未来志向で、冷静な、そしてしっかりとした関係にしなければならないのは言うまでもないわけでありまして、先ほど大臣から答弁申し上げたとおり、来週、東京で開催されます交渉において、前向きな答えが出るように努力をせないかぬと思っておりますが、先ほどの報道につきましては、私たちも承知はしておりますけれども、内容についてはまだ確認をしているわけではございません。

 いずれにしても、はっきりしていることは、六年ぶりに再開されるEEZに関する交渉をきちっと建設的に、前へ向いて進めさせるということが大事であり、そしてまた、さっきの御指摘にあった海洋調査、科学的な調査に関するルールについても交渉のテーブルにのせて、そして国際法にのっとったルールをつくっていくということをやらなければいけないと思っておりますし、日韓間でその大事さについては認識を共有していると思っておりますけれども、今お話がありましたように、来週始まるこの交渉に当たっては、事務方がきちっと、今申し上げたような問題点を含めて頭の中に入れて、しっかりした交渉をするように大臣からも、私からも申しているところでございます。

○新藤委員 ありがとうございます。

 これは外務省だけに任せておくことではなくて、我々国会も、この外務委員会も、そして国民の皆様も、やはり事実を知った上で、みんなで応援していかなきゃいけない。世論をきちっとつくっていかないと、大ごとでございますので、頑張っていただきたい、また私たちも頑張りたいと思います。

 どうもありがとうございました。

第105号 竹島の真実



◆「独島は我が地」

 5月31日、所属する衆議院外務委員会で質問に立ちました。私は委員会室にCDラジカセを持ち込んで、冒頭「独島(竹島の韓国名)は我が地」という韓国の大衆歌謡曲を流しました。「誰がいくら自分達の土地だと言い張っても独島は我が地」「ハワイはアメリカの地
対馬は日本の地 独島は我が地 我が地」こんな歌詞が続きます。
 韓国では、こうした曲がカラオケで歌われたり、歴史教科書(韓国側から見た一方的な記述ですが)にも記述されたり、官民あげてプロパガンダに努めていま
す。独島(=竹島)を自国領と信じて疑わない韓国民。竹島問題に関心の薄い日本人。この温度差はどうして生じてくるのでしょうか?
 今年の4月、竹島周辺の海洋調査に関して外務次官協議がおこなわれましたが、そうした外交交渉の場においても、日本側から竹島の歴史について触れることは避けられてしまっています。
 私はあえて国会の場で竹島の歴史について質問することで、政府間の交渉の場はもとより、日本国民そして韓国国民にも共通の歴史認識をもち、感情論によらない客観的な議論が広がっていくよう望んだのです。


◆ 竹島とその現状

 竹島は、島根県の隠岐の島町に属している日本海に浮かぶ孤島です。西島、東島と呼ばれる2つの小島と、これを取り囲む数十の岩礁で構成されており、面積
は全てを合わせても約0.2平方kmで、日比谷公園ほどの大きさしかありません。2島とも四方は断崖絶壁をなし、一本の立木もなく、飲料水の確保も困難
で、昔から人が住めない島でした。
 現在は韓国が、灯台や見張場、兵舎等を築き、軍に準ずる装備を持つ韓国の武装警察官(独島警備隊)を常駐させ不法占拠を続けています。


竹島と鬱陵島の歴史

 明治時代まで、現在の竹島は「松島」、鬱陵島は「竹島」と呼ばれていました(この名称の混乱が歴史理解を困難にしています)。歴史上、日韓で領土に関する争いがあったのは、昔の竹島(=鬱陵島)のことであり、松島(=竹島)は一貫して日本領として認知されていました。

 江戸時代の初期(1618年)、伯耆藩(鳥取)の町人が幕府から鬱陵島への渡海免許を受け、アワビ等の漁業を行っていましたが、松島(竹島)はその際の
寄港地、漁労地として利用されていました。その後、漁をめぐっての争いから、1696年に江戸幕府は鬱陵島を朝鮮の領土と認め、鳥取藩主に渡航を禁止しま
した。しかし、松島(竹島)への渡航は禁じておらず、明治まで漁業基地として活用されていました。
 1900年(明治33年)、大韓帝国は鬱陵島を領土と宣言。一方、松島は、1905年(明治38年)正式に日本領とされ、竹島と命名の上、島根県知事が公示を行ったのです。
 1910年、日韓併合が行われ、鬱陵島も日本領となりましたが、第二次大戦後、1951年9月に連合国との間で調印されたサンフランシスコ平和条約にお
いて、日本は朝鮮の独立を承認し、済州島、巨文島、鬱陵島を放棄することを求められました。韓国は、竹島も日本が放棄する地域に含めるよう、ダレス米国務
長官に要求しましたが、米国極東担当国務次官補によって「竹島はかつて朝鮮の一部として取り扱われたことはない」旨の回答がなされ、要求は連合国により拒否されたのです。
 そこで韓国側は、条約が発効される1952年4月に先立って、同年1月に当時の李承晩韓国大統領が、日本海上にいわゆる「李承晩ライン」を一方的に設定し、竹島も韓国領に含まれると主張したのです。現在にいたる不法占拠は、ここに端を発します。
 以来、1965年に日韓基本条約が締結し国交が正常化されるまでの間、このラインを超えた300隻以上の日本漁船が韓国側に拿捕され、死傷者も出ました。そして、李承晩ラインがなくなった現在に至っても、竹島周辺海域には日本漁船が近づけない状態が続いています。


◆ 共通理解と対話こそが友好への扉

 残念なことに、日韓外交交渉の場において竹島問題を話しあう際に、明治以前の歴史に触れると韓国側は極めて感情的になり、日本政府もそれを危惧して本質
的な歴史議論を持ち出せないのが現状です。また、日韓の歴史問題は文献や史料のきちんとした検証がなされないまま、感情論や贖罪観で語られてしまうことが
多いのも確かです。
 私は今回の委員会で、多くの歴史的事実を日本政府に確認しました。
 そして、この事実を何よりも日本と韓国の国民の皆さんに広く知ってもらい理解を深めるために、政府広報物の発行や外務省ホームページの改善を要求いたしました。
 竹島問題解決のためには、歴史的、客観的事実を互いが認識し、最大限の知恵と冷静な対話を通じて解決策を見つけ出さなければなりません。

新 藤 義 孝

  (追加資料) 竹島領有権問題について

  (リンク) 外務省 「竹島問題」

竹島問題について(質疑)衆議院外務委員会-18号 2006年5月31日

外務委員会で竹島問題に関して質疑をおこないました。
日韓間の大きな懸案である竹島問題につきまして、所属する外務委員会で2回にわたり質疑を行いました。日韓両国民が共通の歴史認識をもち、感情論によらない客観的な議論が広がっていくよう望みます。

2006年5月31日 衆議院外務委員会 新藤義孝質疑

○新藤委員 おはようございます。新藤義孝でございます。

 本日は、私、竹島問題について、いろいろ歴史的事実、またこのたびの海洋調査、これに関することで御質問させていただきたいというふうに思います。

 まず、麻生大臣、塩崎副大臣、連日御苦労さまでございます。

 麻生大臣、もうお聞きかもしれませんが、ぜひ私は外務委員の皆さんにこの歌を聞いていただきたい。韓国のカラオケ屋には必ずある歌でございます。これは、歌詞がお配りした資料の二枚目にございますので、ぜひごらんください。(録音を再生)

 こんな感じで、五番まであるんでございます。麻生大臣のセンスにはちょっと合わないような気がいたしますけれども。これは、一九八二年に大衆歌謡として韓国で生まれて以来、非常に愛唱されている、それから最近はいろいろな場面で韓国で歌われているということでございます。「トクト(独島)は我が地」、こういう歌なんです。ここで、島がどこにあって、それから歴史的に独島というのは韓国の島だったんだ、こういうことをずっと言って、これはもう刷り込み効果というか、愛唱歌として韓国の人はみんな知っている。ですから、独島、竹島は韓国のものだ、これが考えもなしにすっと当たり前のように皆さんでお考えになっているということなんです。

 そこで、ちょっと外務省に確認したいんだけれども、四番の詞で、チジュン王十三年、五一二年のころ、島国、于山国、それから世宗実録、地理、五十ページ三行目、ここでもう歌われているんだ、だから古代において独島は我が地だったんだと証明されているというんですけれども、これについて、外務省、ここの于山国、これは独島のことなんでしょうか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 今先生が御指摘になった于山国につきましては、何を指すかは明確ではないと思います。

 理由を御説明させていただきますと、ここにも載っております世宗実録でございますが、この中に、于山及び武陵の両島は于山国と称せられるとの記述がございますが、少なくともそこでの具体的描写の概要は、両島の距離は隔たることないといったものになっております。これが相互に現在九十キロ離れた竹島と鬱陵島の地理的状況に合致するとはとても考えられないということでございます。

○新藤委員 先に申し上げればよかったんですが、きょうお配りした資料の一枚物で、この四番にある世宗実録というもの、この原文をおつけいたしました。こういう漢文のようなものですからわかりづらいですけれども、でも、最初にございますですね、一行目に、二島は遠くないですよと。風が吹いて、日当たりがよく、明るくて、そしてよく見えると。これは、新羅に後で吸収されるわけですけれども、于山国。でも、ずっといくと、一番左の最後の方には、土地肥沃、それから竹は柱のごとし、ネズミは猫のごとく大きい、こうなっているんですけれども、我々が見ている竹島は岩山でございまして、竹なんか一本も生えていないし、水も出ないわけですから、ネズミや猫がいるわけがない。

 そして、しかも、この鬱陵島と竹島という、きょうお配りした資料の一番最初のページでございますが、竹島というのは、隠岐諸島から百五十七キロ、竹島と一番近い韓国領である鬱陵島というのは九十二キロあるわけです。于山国というのは鬱陵島の周辺の島だった、こういうことになっているわけでございまして、九十二キロで、百キロ近く離れていて、これを遠くないというのかどうなのか。いろいろ含めて、どうも于山国というのは、これは鬱陵島のことじゃないか、そういうことを推測する文献もいろいろあります。

 それでは、この鬱陵島に対して、では、もう一つ島があったんだ、竹島、独島。この独島は、このときはどういうふうに呼ばれていたのか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 昔の、昔といっても十七世紀のころでございますが、さまざまな文献とか地図を見ますと、竹島及び鬱陵島の呼称をめぐっては混乱が見られます。史実及び経緯に照らしますと、一六九六年の幕府による渡航禁止というものがございますけれども、当時竹島と呼ばれていた現在の鬱陵島を対象にしていたということもありまして、現在の竹島を含むものではないというようなこともございます。

 いずれにしても、呼称につきまして混乱をしていたという事実がございます。

○新藤委員 竹島は何と呼ばれていたんですか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 当時、松島と呼ばれていたこともございます。

○新藤委員 鬱陵島及び竹島、この付近の領有をめぐっては、かつての李氏朝鮮、それから大韓帝国と日本の江戸幕府、それから明治政府、かつて何回かその領有権の争いがあると私は調べてわかりました。数えただけでも、徳川幕府のころに、一六九六年にまず渡海禁止令があった。今外務省、御説明ありましたね。それから、天保八年に、やはり徳川幕府が渡海禁止令を当時の鳥取藩とか対馬藩とか、そういうところに出しているわけです。それから、江戸のころもそうですが、明治になりまして、明治十六年にやはり明治政府が竹島に対する渡海禁止令を出している。これ、あるわけです。

 最終的に、明治三十三年に、大韓帝国からの要請に基づいて、そして明治政府はこの竹島を大韓帝国の領土である、こういうふうに確定しているわけですね。これは歴史上の領有なんです。それは一体どこのことなのかということなんです。今まで日本と韓国が、かつて古代から中世において領有権をめぐって争っていたその島はどこかということ。どう確認していますか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 韓国側が竹島と言っていたとき、日本の中でもいろいろ呼称について混乱があるわけでございますが、さまざまな資料を見ますと、明らかに現在の鬱陵のことを竹島と言っていたというふうに思われます。

○新藤委員 今ちょっと外務省もびっくりしたかもしれません。私の言い方が、竹島を韓国領、大韓帝国領として認めたと言ったからびっくりしたんだと思います。ここに最大の混乱があるわけですよ。明治の三十八年に明治政府が、今の竹島を日本国として正式に手続をとって領土とした。そのときに、明治三十八年に領土としたときに初めて今の竹島という名前になったので、いろいろな名前はありますけれども、それまではずっと日本名は松島だったわけですよ、この韓国が独島と言っている竹島は。それで、これは日比谷公園ぐらいしかない面積のところ。人も住めないし、漁業の中継地だったり、さっきから出ている鬱陵島への中継基地として使われていた、こういうことが歴史的な文献で出てくる。

 一番最初に私がお配りした資料の中にございますが、鬱陵島という大きな島がございます。これは七十三平方キロでございまして、世田谷区より大きいです。そういう大きな島があって、これは一島だけではなくて、周りに、鬱陵島の拡大図のところには竹島という怪しい名前もあります。ここは竹がいっぱい生えているわけです。だから竹島だったんです。

 でも、ここをめぐっては、李氏朝鮮、要するに、朝鮮族の皆さんがこの島は自分たちのものだということで、それに対して明治政府が鬱陵島はそれでは認めましょうとなった。でも、今までの、過去の領有権を主張した中で、この松島について、両国の政府や、いろいろな手続的に、日本がここをずっと使っていることはあっても、渡海禁止令の中に含まれたことは一度もないんじゃないですか。どうですか。

○梅田政府参考人 先生御指摘のとおり、現在の竹島は、十七世紀当時は松島と一貫して呼ばれております。

 歴史的な背景を少し敷衍させていただきますと、一六一八年以降、伯耆の国、現在の鳥取県の一部でございますけれども、大谷及び村川両家が幕府から鬱陵島への渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上しておりました。この間、当時の松島、すなわち現在の竹島は、鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されておりました。さらに申し上げれば、大谷、村川両家は、遅くとも一六六一年には幕府から現在の竹島を拝領しております。

 いずれにしましても、これらの史実に照らしますと、我が国は、遅くとも十七世紀の半ばには竹島を有効に支配していたというふうに考えております。

○新藤委員 これは、調べれば切りがなくいろんなものが出てきます。そして、韓国側は、独島研究保全協会ということで、「韓国の領土・独島物語」という資料をつくって、日本語に翻訳して、外務省が持っている資料だけれども、私もいただきました。

 あらゆるところで、ここは昔から韓国の島だったんだ、こういうふうに言っているんだけれども、例えば、きょう一つ資料を出した、カラー刷りの資料がございます。これは一五三一年の東国輿地勝覧ということですね。このときは、李氏朝鮮だと思います。ここで、非常に見づらくて恐縮なんですけれども、黄色の丸で囲んだところ、右側が鬱陵島と書いてあります。それから左側が于山島で、ここが独島だと言っているんだけれども、さっき地図で見ていただいたように、明らかに、九十キロ離れた東側に竹島はあるわけで、ここの、もう既に一五三一年の韓国側が出している資料の中で、于山島というのは鬱陵島と並んで、しかも同じ大きさ。片や日比谷公園並みの面積、片や世田谷区より大きな場所、これが同じ場所に並んでいる。この状態を見ても明らかじゃないか。この于山島というのは鬱陵島近辺のことであって、竹島ではないですよ。

 しかもこれは、鬱陵島に独島博物館というのがあって、そこに御丁寧に掲げてあるんだそうですよ。ここの表示は何と言っているかというと、于山島の位置を鬱陵島の内側に書いたが、むしろこれは于山島の領有意識をもっと強烈にあらわしたことになると言っているわけだよ。これが間違っているかどうか、私は間違っていると思いますけれども、こういう状態でいる。

 私は、実はこのことに関心を持って、自民党の領土に関する委員会だとかそういうのがここで開かれて、いろいろ研究しました。そうしたらば、余りにも私も知らなかったことに気がついたんです。一方で韓国側は、独島は我が地ということで、昔の世宗実録だって、あれは鬱陵島のことを言っているとしか思えないような、そういうものでもって歌までつくって、独島は我が地だ、我が地だと。だれもみんな疑いなく、我が地だと思っているわけです。日本側は、一体これをなぜきちんと正さないんだ。私は、この歴史的な事実というものをしっかりと押さえるべきではないかというふうに思うんです。

 それから、時間がございませんので、これは本当は、じっくり一個ずつやっていくと、みんなおかしなことだらけなんです。このことに関して日本政府、外務省は、交渉のテーブルにおいて、この歌はおかしいですよ、それからこの表示もおかしいですよ、独島のこういう韓国側がつくっているものに対して、きちっと反論を今まで交渉のテーブルに着いてしてきたのかどうなのか、これはまずどうですか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 本当に過去の交渉の経緯については調査する時間をいただきたいと思いますが、最近のいろんな場においてこの問題を取り上げるに当たって、今先生が指摘された点、そこまで詳細な点にわたるやりとりはしたことはないと承知しております。

○新藤委員 これはぜひ、両国の歴史の専門家が見なくても、事務的な、外務省、お互いの役所の方たち同士の交渉の中だって、十分にお互いに検証できるものだと思いますよ。

 私が漏れ聞いている話では、この歴史の話をすると韓国側が猛烈に怒って、昔の細かい話できない、昔の細かい話するな、とにかくあなたたちが日韓併合したんだ、この歴史問題だというのでそれっきりになってしまうということなんだけれども、それでは自分の図面をわざわざ、位置が違って、昔の文献、間違っている文献じゃないか、まで使っているのを、これも、何かそこを追及しようとすると怒るというのでは、交渉にならないじゃないかということなんです。

 それから、ぜひこれは日本の国民に対しても、これをもっと、当たり前のことなんだから、竹島の真実としてわかりやすく知らせるべきだと思うし、外務省のホームページにはよく読むとそう書いてあるけれども、さらっと読めば全然わかりません。しかも、図面がついているわけじゃない。位置関係がわかるわけではない。今、外務省のホームページを検索すると、竹島関係で七十件ぐらいなんですね。それで、北方領土を調べると三百件ぐらい出てくるんだよね。

 だから、やはり竹島問題を、少なくとも、戦争が終わって李承晩ラインが引かれる、区切りとしては、明治三十八年に竹島を日本の領土として正式に明治政府が手続したとき、それからその後、四十三年でしたか、日韓併合があって、そのときは鬱陵島も竹島もすべて含めて日本になっちゃったから、そこには領土問題がなくなっちゃった。それが、戦争が終わって、昭和二十年に占領国の管理下に入って、そして二十七年にサンフランシスコ講和条約において、日本の独立と、また領土が画定されたわけです。

 このときに、これは質問していると時間かかっちゃいますから申し上げませんけれども、サンフランシスコ講和条約を調印したときに、そのときは、日本が韓国に返す領土として鬱陵島、巨文島、それから済州島、これは日本が領土膨張する前は持っていなかったところだから、韓国のものだと。

 そして、竹島については、これはわざわざ御丁寧に韓国の駐米大使が、竹島も韓国の領有とすべきだ、そういう文書を書いたらば、米国務省の極東担当次官補が、竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことはなく、一九〇五年ごろから日本の島根県隠岐支庁の管理下にある、この島はかつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとはみなせないと。これは、日本ではなくて連合国司令部、アメリカの国務省次官補が明快に韓国に対して文書で返しているわけじゃないですか。それを不服として、条約上に竹島を入れられないならばといって、条約を調印してから発効するまで、今度は翌年の四月二十八日に発効するまでの間に、一月二十何日ですか、李承晩がラインを引いてしまった。以来、不法占拠しているということじゃないですか。

 少なくとも、近世から江戸に、明治までにおいては、これは領有は、日本が実際に使っていた。それから日韓併合を経て、そして李承晩ラインが引かれるまでも日本の領土として国際的にも認められていた。そして、その後は不幸な状態になっている。不法占拠だ。ここをきちっとやはりやるべきだと私は思うんですよ。

 こういうことを、例えば北方領土なんか漫画で、私、北方領土の島民に配ってきたことがございます。私も択捉島に上陸していますから。これを日本できちんと、外務省、そういう資料をつくって、特に大臣は造詣が深いわけですから、そういうわかりやすいものを出して、客観的事実として、こっちのものだとかなんとかという以前に、事実としてこうですよということを明らかにすべきじゃないですか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 先ほど先生から御指摘のありましたホームページの充実も含めまして、資料の整備については努めていきたいと思います。

○新藤委員 それでは次に、過日の、四月に少し摩擦がというか騒ぎが起きました。竹島周辺の海路、海洋調査について、このことについてちょっと聞きたいと思います。

 まず、日本側が四月の十四日に水路通報十五号ということで、竹島周辺の海域の海洋調査を、水路測量を行います、こういうことで水路通報を出したわけですね。これについて、どういう内容のことをやろうとしたのか。それに対する韓国側の反応はどうだったんですか。

○梅田政府参考人 お答えいたします。

 日本側の調査につきましては、日本側が主張しておりますEEZ内の海底地形についての調査を行うということでございます。それに対しまして、韓国側からの反応でございますけれども、まず、四月十四日に、柳明桓外交通商部第一次官が大島大使を呼び、この調査に関連しまして、厳重な抗議と即時撤回を求める旨の申し入れがありました。

 さらに、この調査につきまして、安倍官房長官が同日、我が国のEEZ内でこうした調査を行うことは国際法上の観点も含め何ら問題はないということを述べられましたが、それに対して先方は、外交通商部のスポークスマンの発言という形で、国際法を日本は恣意的に歪曲しているだとか、不法な計画を即時撤退しなければならないといったようなコメントを出しました。

○新藤委員 時間が終了しておりますので、またこれは次回、申しわけありませんが、海保の人、来ていただいたんですけれども、この問題を私は取り上げたいというふうに思っています。

 今日言っていただいたように、まず資料をきちんとつくって、日本の国民と韓国の国民に、政府同士じゃなくて普通の我々がわかるように、そういう広報を心がけていただきたいとお願いして、質問を終わります。

 ありがとうございました。

第104号 医療制度改革案の目指すもの



◆ 医療制度改革の国会審議

 医療制度改革関連法案が、今月18日に衆議院を通過し、参議院での審議に入っています。この改革は国民の皆さんにとって年金と並んで関心の高い分野だけに、地域の医療サービスや患者の負担がどうなるのか、具体的な姿を描きながら考えていく必要があると思います。
 野党の議論では、今回の改革により医療格差や健康格差が生じ、金持ちしか医療が受けられなくなる、病院から追い出されるといった、国民に誤解と不安を与えかねない極論が目立ちますが、今回の改革はむしろそうした事態を回避するために必要なものと私は考えています。
 日本は昭和36年から、国民の誰もが医療保険制度に加入する「国民皆保険」を採用しています。サラリーマンの方であれば、医療費の原則3割、高齢者の方
では原則1割の窓口負担で医療が受けられます。この点が4,000万人も無保険者がいるアメリカと違うところであり、日本の医療保険制度の最大の良さで
す。
 国民皆保険は、これまで皆さんが支払う保険料、税金の負担により保険財政が健全に運営されてきました。しかし高齢化による医療費の増大などにより、その財政が苦しくなっています。何とか維持できるように改革を進めなければなりません。


◆ 医療費の適正化

 今後高齢化はますます進み、医療費の増加傾向が続くことが見込まれており、このままでは保険料や窓口での負担の更なる引上げを行わざるを得なくなりま
す。そこで今回の改革は、その負担をできる限り抑えるために、医療費の値段表(診療報酬)を見直す(18年4月から、平均3.2%の引下げ)などの短期的
な対策に加えて、中長期的に医療費を抑える、医療費の適正化対策を進めることとしています。
 具体的には、第1に、糖尿病、高血圧、肺がんなど、主に生活習慣(運動、食事等)に原因がある病気の予防や進行を遅らせるための対策を重視します。生活
習慣病は、医療費の約3割、死亡者数では約6割を占めており、生活習慣の改善により予防し、薬の投与や治療を減らすことを目指す取組みを進めます。
 第2に、日本では入院期間が諸外国に比べてきわめて長く、平均的な入院期間がドイツ、フランス、イギリスでそれぞれ平均11日、17日、7日であるのに
対して、日本では平均36日と極めて長く、これは病院(療養病床)と介護施設の利用の混在が原因のひとつとなっています。介護施設に入るべき人が地域に受
け入れ施設がないため、病院への入院に頼らざるを得ない状況になっているのです。
 そこで、病院のうち、医療が必要な方が入院するベッド(療養病床)を集約し、減らす一方で、介護施設として老人保健施設や高齢者向けの住宅(ケアハウス)等への転換を進めます。転換は6年間かけて徐々にすすめ、病院から追い出すことがないように配慮がなされます。


◆ 新しい高齢者医療制度

 この他、高齢者の医療制度を独立した制度として見直します。現在の制度(老人保健制度)では、高齢者医療のために現役世代の保険料の一部が充てられてい
ますが、現役世代の保険料のどの程度が充てられているか、現役世代にはわからない仕組みになっています。改正により、加入している制度の保険料と高齢者を
支援するための保険料を分ける仕組みとし、その際に、高齢者の方も、1割程度の保険料を納めていただくことになります。また、現役世代との負担の公平を図
るため、療養病床での食費や居住費について負担の見直しも図らなければなりません。


◆ 小児・産科医療の確保

 また、地域で受ける医療サービスについての見直しを行います。現在の医療制度はさまざまな問題を抱えています。①どの医療機関に専門医がいるか、どこを
選択したらよいかなどの疑問に応えることができる医療情報が不足している、②急性期から慢性期まで、地域で切れ目なく医療サービスが受けられるのか、③地
域で不足している小児科、産科などどのように確保していくのか、など様々です。今回の改革で、都道府県が作成する医療計画において具体的な医療連携体制を
つくるともに、特に地域的に偏在している小児科、産科などの医療について、できる限り集約化して、救急体制などにしっかり対応するための見直しを行わなく
てはなりません。


◆ 医療は地域つくりの発想で

 医療制度は、負担面のみが強調されがちですが、大切なことは良質なサービスを安心して身近で受けられるか、という点にあります。その意味で、地域の医師会等医療関係団体や、行政との連携が極めて重要となり、信頼できる医療体制を持つことは、まちの大きな魅力となります。
 住みよい安心のまちづくりに向けて、私も医療制度改革に取り組んで参りたいと思います。

新 藤 義 孝

第103号 新しい経済成長戦略が必要だ



◆ 日本経済の復活をかけて

 わが国は戦後の廃墟から見事な経済復興を遂げ、奇跡的な高度経済成長を果たしてきました。その結果、1968年には西ドイツを追い抜いてアメリカに次ぐ
世界第二位の経済大国となりました。1979年にはエズラ・ヴォーゲルというアメリカの学者が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本を書き、日本経済
の強さを誉め讃えました。私たち日本人も、経済大国であるということを誇りに思ってきました。しかし最近では、中国やインドなどアジアの国々の成長はめざ
ましく、経済の規模はどんどん大きくなっています。日本もいつかは中国やインドに追い抜かれ、世界第2位の経済大国ではなくなってしまうでしょう。
 しかし、たとえ経済の規模が追い抜かれたとしても、経済の質で負けるわけにはいきません。景気が回復しつつある今、日本経済の復活をかけて、新しい経済成長に向けた戦略を立て、実行しなくてはいけません。


◆ アジア経済圏の確立に向けて

 バブル経済の崩壊を受け、金融不良債権処理を行わなければならなかった「失われた10年」を経て、今、政府では経済構造改革の先の明るい未来を示すための「新経済成長戦略」の検討が進められています。
 この「新経済成長戦略」では、2つのことに取り組むことが重要だとされています。ひとつは、「アジアの発展に貢献し、アジアと共に成長する」ことです。
 近年、アジアの経済は急速な発展を遂げつつあり、今や、世界の成長の中心となっています。このようなアジアの成長には、実は、自動車や家電製品など我が
国からの投資が大きく貢献しています。一方、金型など重要な部品の多くが日本から輸出され、また、アジアが豊かになることで我が国からの輸出が拡大し、ア
ジアからの観光客が増えてきています。まさに、日本発の優れた製品や技術がアジアの成長をもたらすと同時に、アジアの活力を日本の活力として取り込むこと
により日本の成長が可能になっていると言えます。
 これからも、我が国が高い技術力でアジア全体の成長を引っ張っていくためには、ハイブリッド自動車やプラズマテレビ、液晶テレビなどの新しい製品や技術を次々に生み出して行くことが必要です。日本経済の強みを伸ばし、アジアと共に成長していくことが、求められています。


◆ 地域の発展と日本経済の再生

 もうひとつは、「地域の活性化」です。日本全体の景気は回復してきましたが、まだまだ苦しい地域もたくさんあります。しかし、地域の発展なくして日本経
済の再生はありませんし、豊かな暮らしも実現しません。そこで、地域の皆さんが意欲をもってアイデアを出しながら地域の発展を目指していける環境を作るこ
とが重要です。
 地域には、世界に通用する商品を作り出す元気の良い中小企業がたくさんありますし、特産品や観光地などその地域にしかない資源もたくさんあります。ま
た、介護などの福祉サービスや観光などの産業も重要です。同時に、地域では、そこに住む皆さんが生き甲斐を感じることができる場をたくさん創り出すことも
大切です。
 徳島ではお年寄りが色とりどりの葉っぱを拾い集めて、大阪などの料亭につまものとして販売するビジネスを始め大成功を収めているケースもありますし、また、最近ではNPOやボランティア活動も盛んになってきました。
 会社だけではなく、様々な形で生き甲斐や働きがいを感じることができる場を、地域の人々の手で創り出していくことが大切です。私たちのまちでも、地域ブランドとして川口食文化研究会の皆さんによるお酒造りが話題を呼んでいます。


◆ 「誇りの持てる」日本経済へ

 すでに、昨年から我が国の人口は減り始め、あと10年もすると、本格的な人口減少社会に突入します。若者の数が少なくなり、お年寄りの数が増えていきま
す。したがって、そうした人口減少社会でも、私たちや私たちの子孫が豊かに暮らしていくことができるようにするためには、まだ余力がある間に、活き活きと
した日本経済の土台をしっかりとつくっておかなければいけません。
 まさにこれからの10年は、成長への布石を打つ余力がある「残された10年」と言えます。この「残された10年」のうちに、新しい経済成長に向かって準
備をしておくことが欠かせません。景気が回復し、本格的な人口減少が始まる今こそ、新しい経済成長戦略を策定し、それに国を挙げて取り組む時期なのです。
 私は、仮に将来、経済の規模では世界第2位ではなくなったとしても、世界から頼りにされる「強い日本経済」、世界からあこがれられる「魅力ある日本経
済」、そして、なにより日本国民が「誇りの持てる日本経済」をつくっていく必要があると考えています。経済産業委員会の理事として、地場産業のまち川口の
声も参考にしながら、新しい経済成長戦略の策定に汗をかいて参りたいと存じます。

新 藤 義 孝

第102号 「ようこそジャパン」キャンペーン



◆ 日本は33位?

 天候にも恵まれた今年のゴールデン・ウイーク。皆様はどう過ごされましたか? 報道によれば今年の大型連休中の海外旅行者数は過去最高だったそうです。
 ところでわが国は、海外への旅行者は大変多いのですが、反対に日本を訪れる外国人の数はかなり少ないという特徴があります。外国を訪れる日本人は年間に約1,600万人位いますが、日本を訪れる外国人は約500万人とその3分の1ほどです。
 
日本人の年間出国者数は世界第11位ですが、外国人旅行者の受入数は世界第33位、アジアの中だけで比べても第8位という意外なほど低い順位です。アジア
1位の中国は世界ランキングでも5位と、わが国とは比べようもありませんが、韓国やシンガポールなどでは国を挙げて熱心に外国人招致をして結果を出してい
る国もあります。
 日本の出入国者数におけるこのような著しい不均衡はどんな問題につながるでしょうか。直ちに影響するのは、国際収支の中の旅行収支という項目の赤字とい
うことでしょうか。旅行収支は最近はだいたい2兆円から3兆円程度の赤字で推移していますが、日本に入国する外国人が使うお金よりも日本人が海外で使うお
金の方が多いので、これは当然のことです。しかし日本はその何十倍ものお金を外国にモノを売ることで稼いでいますから、旅行収支の赤字が日本の国際収支の
バランスを危うくするということはあまり心配しなくても良さそうです。


◆ 国家戦略としての観光

 むしろ数字に表れない影響を懸念すべきではないでしょうか。一言でいえばそれは国際相互理解の希薄さ、ということです。
 観光を通じて、人が交流し、それに伴って互いの文化や生活習慣、ものの考え方について理解を深めることが、国のイメージや評判につながっていきます。
 観光は、世界一の輸出産業とも言われ、経済や雇用に大きな影響を及ぼしますが、単なる経済収支の問題だけではなく、外交や安全保障にも波及する、大切な国家戦略といえるのではないでしょうか。
 世界中の人々が、日本と日本人について正しい理解を深めることが、わが国に対する信頼や好感度の向上につながっていきます。観光は、国家戦略として大いに力を入れるべき分野だと私は考えています。


◆ 観光立国基本法の制定に向けて

 政府は「観光立国」という呼び名で観光を重視し、その一環として平成15年春からビジット・ジャパン・キャンペーンを実施しています。平成22年までに
1,000万人を目標に、もっと多くの外国人に日本を訪れてもらうため、外国の観光関係者を招いて日本の観光をPRしたり、小泉総理も自らテレビコマー
シャルに出演して、「ようこそ、ジャパン」と呼びかけたりしました。政府・民間挙げての招致運動の結果、平成17年の外国人訪問者数は過去最高の673万
人まで増えました。この国際観光の伸びにより、平成16年度の国内旅行消費額及びその経済波及効果は増大し、額にして55兆円余り、475万人の雇用創出
効果が推計されるほどになっています。
 ところが国の政策の基本となる観光基本法は、昭和38年に制定されて以来43年間一度も改正されておらず、観光に対するこれまでのわが国の取り組みを象
徴したものといわざるを得ません。自民党ではプロジェクトチームをつくって法改正に向けて作業を進め、5月10日の国土交通部会で「観光立国推進基本法
案」が審議され了承されました。今国会提出に向けて手続きが進みます。


◆ YOKOSOの気持ちを持って

 
外国を訪問するとき、私はいわゆる名所旧跡ばかりでなく、必ず街の市場や普通の商店などその国の日常の暮らしに触れられるように街を歩いてみます。パンや
ジュースを片言の言葉で買うときの楽しさは格別です。その国の普通の人々との何気ない会話や笑顔によって、訪問した国のイメージが決まってしまいます。
 今回、観光立国について考えながら、私の日常において仕事以外にほとんど外国人との触れ合いがないことに気づきました。
 私たちの街、川口・鳩ヶ谷地区は外国人居住者の数が埼玉県内で最も多いと言うことをご存じでしょうか。「わが国の観光とは?」などと大上段に振りかぶら
なくても、私自身まずは日常の暮らしの中で外国人との触れ合いを意識し、YOKOSO(ようこそ)の気持ちで街の中を見つめ直してみようと思っています。

新 藤 義 孝

第101号 三位一体の改革と私たちのまちづくり



◆ 三位一体の改革で何が変わるのか

「三位一体の改革」とは、①国庫補助負担金の削減、②国から地方への税源移譲、③地方交付税の見直し、の3つを一体的に進めようというもので、小泉構造改革の大きな柱のひとつ「国から地方へ」を実現させるための改革です。
 今回の三位一体の改革では、国から地方へ、国税である所得税から地方税である住民税に3兆円の税源が移譲され、学校教育や生活福祉関連の事務経費に相当する国庫補助負担金改革が実施されました。
 これらの補助金の場合、地方自治体は霞ヶ関のお役所に頭を下げて貰ってきた上、その使い途は国の基準にがんじがらめに縛られてしまっています。このた
め、地方自治体がどのように行政サービスを提供するかを決める自由度が制約されてしまいます。また、「国から貰った補助金だから使わなければ損だ」といっ
た甘えを生みやすく、より効率的な行政サービスを追求しようとする意欲を低下させます。
 補助金を貰うのをやめて、地方自治体が住民から直接「地方税」の形で財源を確保し、自治体の自由と責任のもとで、学校教育や福祉といった行政サービスの
あり方を決定するようになれば、これまで以上に地域住民の声を反映しやすくなり、また、無駄遣いをしていないか、もっと必要なところにお金をつかうべきで
はないか、といった地域住民の監視の目も行き届きやすくなるはずです。


◆ 交付税改革

 残る一つが地方交付税の見直しです。
 地方交付税とは、国税の一定割合(例えば、所得税の32%など)を国から地方自治体へ交付しているお金のことです。
 交付税の額は、その団体が必要とするお金とその団体が得る収入の差引で計算されています。つまり、税収が多い豊かな団体では、交付税の算定上、収入額が
需要額を上回ることとなるため、交付税の額はゼロとなります。一方、税収が落ち込んでいる団体では、いわば赤字を埋めるために交付税の額が増えることにな
るわけです。
 今回の交付税改革では、この算定のルールを簡素化してわかりやすくするとともに、財政健全化の観点から、地方財政全体をスリム化しつつ、景気回復による地方税収の伸びを背景に、交付税の総額を抑制する改革を行いました。


◆ 川口・鳩ヶ谷の場合

 川口市の18年度予算では市税収入の伸びもあり、昨年度1億2千万円あった普通地方交付税が、今年はゼロになっています。しかし税源移譲による所得譲与税が16億円から33億円に増え(17億円の増加)、三位一体の改革の恩恵を受けた形になっています。
 一方、鳩ヶ谷市は、地下鉄により人口も増えていますが、税収の不足分については、17億円の普通地方交付税を受けることになります。税源移譲の効果を上げるためには、より一層の人口増が必要です。


川口・鳩ヶ谷のまちづくりと国庫補助

 三位一体の改革では、まちづくりの補助金は削減対象となっておりません。先般、国の18年度予算成立を受け、国土交通省所管の国庫補助事業予算の箇所づ
けがありました。予算編成にあたりましては川口・鳩ヶ谷両市からの要望を受け、市民の声が反映されるよう精一杯の活動をさせていただきました。交付額は事
業費に対し決まるもので毎年変動しますが、特に川口市の場合、市の要望に対する充当率が昨年の87%から今年は101%と大きな上昇がみられました。鳩ヶ
谷市でも、17年度では削られた下水道事業についても満額を確保することができ、市の要望通りの結果となりました。引き続き、より一層の事業進捗が図られ
るよう努力して参ります。


◆ 自立した地方に向けて

 三位一体の改革の真のねらいは、「小さな政府」と「自立した地方」の確立です。国の基準や制約にしばられず、地方の自主財源を増やすことで個性と魅力あるまちづくりが進むものと期待しています。
 地方分権を目指す改革に終わりはありません。国と地方の関係だけでなく、これからの地域社会に求められているのは、自己決定、自己責任の原則の強化です。私たちのまちをどのように作っていくのか、それはそこに暮らす私たち自身の責任で決めるべきことです。
 私は夢のあるまちづくりを進めるためにも、地方分権の推進に全力をあげて取り組んで参ります。

新 藤 義 孝

第100号 心からの感謝の気持ちを込めて



◆ 感謝を込めて

 沢山のご支援を賜りながらも、私の力及ばず辛酸を嘗めた平成15年の総選挙。その結果を真摯に受け止め、政治を志すわけを自らに問い直す日々が続きました。
 しかし、議席を失ったがために、たくさんの貴重な経験もさせていただきました。私たちの街に住む一人ひとりの声を聞き、その暮らしを見つめ直し、要望をお伺いしたり、意見を交換しあう。多くの方と直接向き合いながら、様々な勉強をさせていただきました。
 
自転車で市内を巡る活動を始めたのもこの頃からです。思いがけぬほど多くの方が手を振って応援して下さいました。議席を失った浪人の身の私に、まだまだ多
くの方が期待を寄せて下さっている。お世話になった皆様のお顔が私の目に映り、思わず涙がこぼれてくるほど感激しました。皆様のお力で国政へ復帰させてい
ただいた今、そうした思いを体に刻みつけて、与えられた職務に邁進して参る所存です。議席をいただき、仕事ができる喜びとともに、心を込めて皆様に感謝を
申し上げます。


◆ 結婚のご報告

 多くの皆様のお支えとご理解を賜り、去る二月、昨夏に入籍した妻との挙式・披露宴を執り行いました。本来ならば、皆様お一人ずつに御礼のご挨拶をさせていただきたいところではございますが、この紙面を借りてご報告を申し上げます。
 現在、教育基本法の改正をめぐり「愛国心」を盛り込むべきか否かが大きな論点となっています。
 誰でも、自分の家族、友人知人、自分の住んでいる地域などは大切にするでしょう。社会の最小単位である家族の絆を大切にすること、自分の住む地域、更にはこの国を愛すること、地球環境を大切に思うこと、全て同じ流れの中にあるのではないでしょうか?
 家族という自分の足元をしっかりと固めることができ、私は今そうした想いをしみじみと実感しています。


◆「週刊新藤」100号を迎えて

 一昨年の春に創刊した「週刊新藤」が、皆様のおかげ様で今号をもちまして100号を迎えることができました。私が考える「今」を皆様にお伝えしたい、そ
して皆様からのお声をじかに受け止めていきたい。そうした想いで、毎週毎週勉強しながら、拙い文章を発行し続けてきました。その作業を通じて、思ってもい
なかったほどの多くの方との触れあいが生まれ、実にたくさんのことを学ばせていただきました。
 うまく筆が進まず、想いを伝えることができず苦しんだこともありました。そうした際に大きな心の支えとなったのが、毎週配布を手伝って下さる多くのボランティアの皆さんの存在です。
 仕事を終えたあとの夜間に配布作業をしてくれているという方がいました。毎週のことではさぞ大変だろうと思い、配布は隔週でも結構ですよと申し上げたところ、「週刊新藤が届くのを楽しみに待っている顔なじみの人もいるから・・・」と、実に嬉しそうに応えてくれました。
 この「週刊新藤」のみならず、私の活動は、自民党や後援会の方々、志を同じくする仲間の議員をはじめ、本当に大勢の支援者の方々の支えがあって成り立っているものだということを、身に染みて感じております。


◆ 国会の毎日

 3期目となる議席をいただき、現在私は、安全保障政策の取りまとめ役である自民党国防部会長という大役も拝命し、また衆議院の経済産業委員会理事、外務委員に就任しました。まず国防部会長として主催する会議は、週2日、朝8時より行っています。そして、経済産業委員会の理事会と委員会が週2日、同じく外務委員会が週2日、粗酒手衆議院本会議が週3日、定例で開催されます。
 月~金の5日間でこれらが断続的に行われており、他に様々な打合せ、会議が週に20~30回、朝から夜までの間に加わるわけで、まさに目がまわるような日々を過ごしております。
 平日はなかなか地元に戻ることもかないませんが、週末の活動や集会などを通じ、皆様との身近な政治を心がけていきたいと思います。


◆ 明日の日本を

 人口減少という新たな時代を迎え、それに対応するわが国の新しいシステムを構築する過渡期にあたり、私たちは今こそ、経済的発展とともに失われつつあった道徳性や精神的規範をしっかり整えなければならないと感じています。
 自前の憲法をつくること、教育、年金等社会保障、まちづくりなど閣内成分屋の改革に加え、国家と国民を守るための安全保障、国際平和と日本の発展のための外交の拡充を果たすこと。戦後60年の節目を経て、私たちは次の新しい国家の形を造らなければなりません。
 皆様からの想いを託されて議席をいただいていることを肝に銘じ、感謝の気持ちを込めて、これからの国づくりにむけて力を尽くして参りたいと思います。皆様には今後ともよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。

新 藤 義 孝

第99号 これからの街づくりを考える



◆ 人口減少時代の街づくりとは

 昨年12月、日本の人口が国勢調査開始以来初めて減少に転じたと報じられました。総人口のピークは2004年12月の1億2,783万人で、これが2025年には約1億2,000万人、2050年には約1億人となると予測されています。
 少子化に伴って高齢者の比率は増加し続け、2025年には総人口の4人に1人が、2050年には3人に1人が65歳以上の高齢者になると予測されています。人口減少・高齢化社会を迎えて、これからの街づくりはどうあるべきでしょうか。


◆ 身近でコンパクトな街づくり

 都市生活を支える公共施設や大規模な集客施設が無秩序に薄く拡散して立地されると、高齢者を始めとする自動車を利用しない人々が都市機能へアクセスしづ
らくなるなど様々な問題が生まれます。これからの街づくりは、こうした都市機能を中心市街地に集約し、効率的で効果的なインフラ整備を推し進めていくこと
が必要です。地域住民が手軽に買い物に行けるような、住みやすく、コンパクトでにぎわいあふれる街づくりが求められているのです。


◆ 高度成長期に求められたもの

 わが国の戦後の国土計画の皮切りは、昭和37年に策定された第一次全国総合開発計画でした。この計画では、東京などの既成の大集積地以外の開発拠点を全
国に配置し、それらを交通施設によって連携させたり、工場を分散させたりすることにより、地域間の均衡ある発展を図ることを目標としていました。
 当時は池田内閣の所得倍増計画のもと、日本全体が高度経済成長への移行期にあり、より豊かで便利な生活を実現するという国民共通の目標がありました。
 全国総合開発計画はその後、現行の「21世紀の国土のグランドデザイン」まで4回の改定がなされ、利便性の向上という意味ではもはや比較しようもない程
の進歩が見られます。映画も今はショッピングモールに併設されたシネマコンプレックスで一度に何本も観ることができますし、ITの普及によって日用品の購
買程度ならば自宅にいながら何の不便もなくできます。


◆ 地域コミュニティの再生に向けて

 しかし、利便性と引き替えに私たちが失いかけているものも多くあります。それは環境問題や防犯・治安問題であり、地域の独自性の喪失やコミュニティの弱体化なども指摘されています。
 特に地域コミュニティは、郊外への大規模店の出店などによって、魚屋さんや酒屋さんなど昔ながらの街中の商店街の活気が失われるにつれ、ますます弱体化
が進んでいると思います。地域コミュニティを再生するとともにそれを守っていくことが、地域の中でお互いが協力して暮らしていくために重要な課題となりま
す。
 また、平成10年に中心市街地活性化法が制定された際、地域住民や商店街などの協力を得ながら街づくりの課題に取り組んでいく「タウンマネジメント構想
(TMO構想)」というのが脚光を浴びましたが、結果的には必ずしも効果が上がりませんでした。いくつかの反省点がありますが、TMOがあまりにも商業に
特化した構想であったことも原因としてあげられます。
 もっと一人一人の生活に根ざした総合的な街づくりの計画と、それを推進する母体が必要とされているのです。地元自治体の総合力を活用しながら、産業界、
建築主、企業を巻き込んだ街づくりの推進機関が必要です。そして取りまとめ役として、地元の建築家などによる街づくりプランナーを置いてみてはどうかと考
えています。こうしたプランナーが、権限をもって街づくりをコントロールすることによって、街のにぎわいと魅力度が上がるのだと思います。


◆ 「まちづくり三法」の改正へ

 これに関連して、今国会に「中心市街地活性化法」「都市計画法」の改正案が内閣から提出されており、私は3月16日の衆議院本会議で、自由民主党を代表して質問をする機会を得ました。その際に、これからの街づくりには「品格」が必要だということを述べました。
 街の品格とはそこに住む人が自ずと愛着を持ち、住んでいることを誇りに感じられる、そんな魅力のことだと思います。そうした魅力ある街をつくるには、住人が自発的に考えて、自ら実現していけるような仕組みを整える必要があります。
 私は日頃仕事で国内だけでなく、海外の街並みも見て回ることが多いのですが、その際に感銘を受けるのは、決して華美な装飾や大規模なビルによって構成された街ではなく、そこに暮らす人々の歴史や自らの街をつくっていこうという情熱が伝わってくるような街です。
 今回の法改正にあたり、そうした街づくりが進むためのものになって欲しいと考えて質問をしました。幸い経済産業大臣からも国土交通大臣からもご賛同をいただくことができ、思いを強くしたところです。
 これからも品格ある国土づくり・街づくりに取り組んで行きたいと考えています。

新 藤 義 孝

中心市街地の整備改善及び商業等の活性化に関する一部改正法律案(質疑)  衆議院 経済産業委員会・国土交通委員会 連合審査会-1号 2006年4月7日

経済産業委員会の理事として、皆様の暮らしに直結する法案の審議が充実したものになるよう努めて参ります。

2006年4月7日 衆議院 経済産業・国土交通 連合審査会 新藤義孝質疑

○石田委員長 これより経済産業委員会国土交通委員会連合審査会を開会いたします。

 先例によりまして、私が委員長の職務を行います。

 内閣提出、中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律の一部を改正する等の法律案を議題といたします。

 本案の趣旨の説明につきましては、これを省略し、お手元に配付してあります資料をもって説明にかえさせていただきますので、御了承願います。

 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。新藤義孝君。

○新藤委員 皆さん、おはようございます。自由民主党の新藤義孝でございます。

 私は、自民党を代表いたしまして、ただいま案件となりました法案の質疑について行わせていただきたいと思います。

 きょうは、何かちょっといろいろ国会の中も騒がしいようでございますが、みんなで気を落ちつけてしっかりとこの審議をやっていきたい、このように思っております。

 本日の連合審査は、この中心市街地活性化法のねらいというものが、商業の活性化に加えてまちづくりを総合的かつ一体的に推進する、こういうねらいがあるということでありますから、その観点からすると非常に有意義な連合審査になったんじゃないかな、このように思っております。

 そして、現行の中心市街地活性化法、平成十年に制定されております。これまでに約六百九十の市街地活性化基本計画が作成されて、多くの市町村で実施されました。しかし、全国の中心市街地の現況というものはまことに厳しいものがある、憂慮する事態だと私は承知しております。

 例えば、平成九年度と十五年度を対比した総務省の中心市街地活性化に関する行政評価というのがございますが、これによりますと、全人口に占める中心市街地の人口割合が、全国約七〇%の市町村で減少している、こういう傾向が報告されております。また、中心市街地の商店数ですとか商品販売額等々の統計指標においても減少が見えるわけでございまして、まさに商店街はシャッター通り化、なりつつある、進んでいる、そしてまた中心市街地の衰退は進んでいる、こう言わざるを得ないわけでございます。

 こういう背景を踏まえて、私ども自民党といたしましても、まちづくり三法の見直しのワーキングチームというものをつくって検討し、またいろいろな提言をしてまいりました。今回、この提言等も踏まえまして、政府から中心市街地活性化法及び都市計画法の改正案を提出したわけでございます。

 まず、どうしてこういう事態に至ったのか、これまでの中心市街地をめぐる制度の反省点、そしてまた今回の法改正においてどういう改善をしようとしているのか、二階経済産業大臣及び北側国土交通大臣から、簡単で結構ですので、総括的にまず見解をお願いしたいと思います。

○二階国務大臣 中心市街地活性化法の審査に当たりまして、本日、連合審査を開催いただきまして北側国土交通大臣にも御出席をいただいておりますが、私ども、国土交通省と経済産業省、相協力して、今度こそという思いでしっかり取り組んでまいりたいという決意をまず申し上げておきたいと思います。

 まちづくり三法の制定後、中心市街地は、一部の例外を除き、先ほど議員から御指摘のとおり、全体的には厳しい状況が続いておることは事実であります。これは、その後の経済状況が厳しかったということが大きな原因の一つであろうと思いますが、同時に、各地域の取り組みも必ずしも十分でなかった面もあるのではないかと考えております。

 商業の活性化のみならず、まちづくり全体をより一体的に進める必要があったものと今反省をしておるところであります。例えば、居住地を町中に呼び戻すことや、学校、病院などのいわゆる公的な施設、都市機能を中心市街地に集約することなどへの取り組みをさらに強化し、努力する必要があると考えております。

 このため、改正法案では、地域の方々の御協力をいただきながら、町全体を活性化する意欲的な取り組みを政府が一丸となって集中的に後押しをするということであります。特に、経済産業省としましては、活性化の成功事例百選というものを今つくりつつあります。恐らく連休の後ぐらいには両委員会の先生方にもごらんに入れることができるようになろうと思います。そして、その成功事例をごらんになりながら、我々の町、私たちの町でもこの程度のことは努力次第ではできるではないかということをお考えいただくと同時に、私ども経済産業省の出先の職員も総動員しまして、机に座っておって商店街を指導するなんということを言ってないで、みずから現場へ出ていって、お邪魔にならなければ一週間ぐらいはお手伝いをするぐらいの気持ちで、法律に述べておることとみずからが行動することとをやはり一致させなきゃだめだということを、けさも関係幹部によく注意してきたところであります。

 私ども、そうした面で、早稲田商店会の代表も国会に籍を置くようになっておるわけでありますから、そうした関係者とも十分議論して、なるほどということをわかってもらえるように、経済産業省、国土交通省の御理解をいただきながら取り組んでまいることを御答弁申し上げたいと思います。

○北側国務大臣 国土交通大臣の北側でございます。よろしくお願いいたします。

 平成十年のまちづくり三法が十分機能しなかったのではないか、その反省点でございますけれども、幾つかあると思っております。

 大きな要因だけお話ししたいと思いますけれども、一つは、やはり中心市街地を生活空間として十分位置づけなかったのではないかというふうに思うんです。商業をいかに振興させていくかというところにむしろ重点があって、そこが生活空間であるという位置づけが必ずしも十分ではなかったというふうに思っております。

 それと関連いたしますが、二点目に、やはり町というのは人が住まないとにぎわいは出てこないというふうに思うわけでございます。我々は町中居住と言っておりますが、そうした町中居住を維持し、また進めていく、そうした対策が不十分であったというふうに反省をしておるところでございます。中心市街地に人が住んでいない、さらには、中心市街地の商店街の方までが郊外に住んでいらっしゃって、朝、通勤して自分の商店にやってこられる、これではやはり中心市街地のにぎわいは取り戻せないというふうに私は思います。

 三点目に、今は非常に交通が発達をしまして、人の動きが広域にわたっております。そういう中で、例えば、ある市が一生懸命、都市計画をしっかりやる、そして大規模店舗についても立地を規制していくというふうなことを仮にやったとしても、隣接する市で、その辺が大規模店舗がどんどんできてしまったら、その立地規制をしている市にとってはそうした効果が全く出てこないわけですね。そういう意味で、やはりこれからの都市計画、まちづくりというのは、もちろん中心は市町村でございますけれども、広域的な調整というのがやはり必要である。そういう面で、広域的な観点からの適正立地を図っていくというふうな機能が必ずしも十分ではなかったのではないか、こういった点を反省しているところでございます。

 今、二階大臣からお話がございましたように、中心市街地に都市機能が集積されるように、また町中居住が進むような支援策をしっかり経産省と連携をとってやらせていただきたい。

 また、都市計画という観点からは、大規模集客施設については、これまでは広い地域で立地が可能であったわけでございますけれども、これからは、その土地利用の原則を逆転させまして、立地を一たん制限した上で、仮に立地をしていこうとするならば、地元の、地域の都市計画の手続を通じて広域的な観点から適正立地を図っていく、こういう手法にぜひ転換をさせていただきたいというふうに考えておるところでございます。

○新藤委員 ありがとうございました。

 平成十年に制定されたときも、この中心市街地というのは大切だよ、こういうことだったんですが、それ以降、少子高齢化という国の大きな流れがさらに加速されてきたわけです。ですから、この少子高齢化の時代においては、今度は、便利で、身近なところで、町中でいろいろな機能が果たせる、そういう町中居住というのはとても大切になってくる、私もそう思っておりまして、ますますこれは時代の要請にのっとった中心市街地の活性化だ、こういうことで、両大臣、ぜひ御指導を今後ともよろしくお願い申し上げたいというふうに存じます。

 そして、そういう中で、私、きょうは二十分しかございませんで、もう半分終わってしまいましたので、あとは少し具体的な話、三点お伺いしたいと思っています。

 まず、中心市街地活性化のスキームは、民間の支援、それから市町村の支援、そして国の支援と、それぞれ大きく分けると三つに分かれているんじゃないかな、こういうふうにも思うんです。

 まず第一に、民間の支援スキームとして、今までの現行で何が問題だったのか。いろいろあると思いますけれども、一番やはり問題なのは、民間の中心市街地活性化を進める推進役、この位置づけが、また役割がはっきりしていなかったんじゃないかと私は思っているんです。

 そして、今までの中心市街地活性化の推進役というのはTMOと言われるものでした。でも、TMOというのは法定機関ではありませんし、まさに商店街の高度化を図るような構想を立てなさいと。そういう意味において、共同駐車場の整備だとかモール、歩道の舗装ですとか、そういう個々の事業においては効果を上げたと思うんですけれども、まちづくり全体としての取り組みという意味においては、これはもう全く力が弱かったと言わざるを得ない。TMOの構想が四百七件、計画も二百二十五件あったというんですけれども、やはりこのTMOだけでは難しかった。まちづくりは総合力なんだという意味において、民間の推進組織というものをしっかり組織していかなきゃいけないんじゃないか、こういうふうに思っているんです。

 今回の法改正におきましては、中心市街地活性化協議会というものを法定化して置こう、こういう取り組みがあるわけです。ですから、TMOの反省点と、それを踏まえて今回の市街地活性化協議会、どういう改善がなされているのか。本当に短くていいですから、答えてください。

○迎政府参考人 TMOにつきましては、中小商業の活性化を中心に担うということで、御指摘のように、まさにまちづくり全体を担う主体としての位置づけがなかった。それで、メンバーにつきましても商業関係に偏っていたわけでございますけれども、新しい中心市街地活性化協議会におきましては、商業活性化を推進する方それから都市機能増進を推進する方が共同で組織をする、それで、開発関係の方、地権者、そういった幅広いメンバーを構成メンバーとするということで考えております。

 さらに、法律上の位置づけといたしましても、市町村が基本計画を作成する場合には中心市街地活性化協議会の意見を聞いた上でつくる、あるいは、その基本計画の実施の段階においても協議会が適時意見を述べるというふうなことで法律上もきちっと位置づけて、しっかりした中核推進機関にしていきたいということでございます。

○新藤委員 結構なことだと思うんですが、先ほど大臣からも御答弁がありましたように、TMOにまちづくり機能が弱かった、そして、中心市街地活性化の精神の中に商業活性化はきちんとしていたけれども、全体の町ぐるみでの取り組みというのが欠けていたんじゃないか、生活空間としての位置づけというのが弱かったんじゃないか、こういうお考えがありました。

 その意味において、市街地活性化協議会のメンバーとして、まちづくり会社だとか市街地推進機構だとか、いろいろ既存のものもございます、そういうものをしっかりと入れてもらいたい。これはもう答弁は結構ですから、そこをよく反省して改善してもらいたい、このように思います。

 それから、今お答えをいただきましたけれども、今度はもう一つのポイントとして、市町村の取り組み、市町村のスキーム。

 これも、今までの取り組みというのは、市町村がつくる中心市街地活性化基本計画というのは、まさに自治体と商工会議所だとかそういうところがつくっていたんですが、これは任意なんですね。ですから、やはり拘束力が弱かった、実行力が弱かったという意味において、この中心市街地活性化基本計画、今度は国による認定を行うんだ、こういうことでございます。

 それから、今もう答えてもらっちゃったから質問しませんけれども、ですから、今までは民間の意見はこの活性化基本計画には入らなかったわけですね、純粋な民間というのは。だから、それを今度は、市街地活性化協議会のメンバーも意見を言って、そして市町村とやりとりをする。こういう意味において非常にこれは期待をできると思うんだけれども、ここで大切なのは、結局、組織をつくっても、最後は人なんですよね。ですから、そこに、いかにやる気を持って能力のある人間を確保すること、これが私は大切だと思うんです。過去のTMOを見ると、一TMO当たりの平均配置人数が三・二人、そして専任従事者を一人も置いていないTMOが六割にも上っている、こういうような反省もあります。

 ですから、この活性化協議会をきちんと動かしていくためには有能な人材を確保しなければいけない。そういう工夫が今回なされているのかどうなのか、そこをちょっと確認しておきたいと思います。

○望月政府参考人 お答え申し上げます。

 全国で現在でも中心市街地が活性化している数少ない幾つかの例を見ますと、必ずと言っていいほど、まちづくりに執念を燃やすリーダーが常駐をして、継続的な活動が行われております。

 御指摘のとおり、中心市街地の活性化には、地域の実情に応じました独創的なアイデアを実現する熱意あるまちづくりの担い手が必要だと思っております。そのためには、地域に根差して、地域を愛する人材による取り組みが不可欠であるというふうに認識をいたしております。

 私どもといたしましては、今回、まちづくりのリーダーとなる常駐型のタウンマネジャーの活動経費を補助するような支援策なども新設をいたしまして、市街地活性化協議会のキーマンとなるようなまちづくりの担い手づくりに努めていきたいというふうに考えております。

○新藤委員 中心市街地支援措置ということで、この十八年度の予算化の項目を見てみると、いろいろあります。診断サポートだとかアドバイザーを派遣するとか、また業務委託事業というのもありますね。あるけれども、結局、時々お邪魔して講演をしたりアドバイスをする、これは、お手伝いにはなりますけれども、推進役にはならないんですよね。やはりそこにどっぷりつかって、一つの事業が始まりから終わるまで地元の人間と一緒になってやらなきゃいけない。

 それから、別に外から連れてくる必要はないので、地元に、建築家だとか、やはりまちづくりに大変関心を持っている人はたくさんいるんですよ。だけれども、その人たちには権限がないわけ。だから、人材を確保する意味において、例えばそういう人材をプールしておくことも必要だと思うし、それから、人件費になりますけれども、十分なこういう財政支援措置というのはしっかり考えてもらわなきゃいけない、このことも指摘をしたいと思います。

 本当はちょっといろいろやりとりしたいんだけれども、時間がなくなってきましたから、ここが一番ポイントだと思いますので、これからも我々はしっかり監視していきたいと思います。

 それから、今までは民間の支援スキームそれから自治体の支援スキーム、最後は国の支援スキーム、このことについてちょっと提案というか御指摘したいと思います。

 今回、国は中心市街地活性化本部というものをつくる、そして、総理大臣を本部長として、まちづくりの政府のチームをつくるんだ、こういうことで、これは、今までどうしてやっていなかったのかしらと思うのでございますが、非常によろしいことではないかなと期待をしております。

 でも一方で、私どもは今、行革をするんだ、こういうことで、行革推進を一生懸命やろうということでやっているわけでございます。そうなると、政府の中に何々本部というのは一体幾つあるのか、そして、今回また新たに対策本部をつくるとなるとそこに人員と予算が行くということになると、これは行革の精神からいうと大丈夫なのかなということになります。

 ですから、既存の政府内にあるいろいろな本部を、組織をしっかりと有効活用して、効率的に中心市街地を全体的にコントロールしていくという工夫が必要ではないかと思うんですが、この点について、何か工夫がないのか、これを確認したいと思います。

○小滝政府参考人 このたびの法案におきましては、全国各地で空洞化が深刻になっております中心市街地の活性化について、政府を挙げて集中的かつ効果的な支援を行うため、内閣に、全閣僚を構成員とする中心市街地活性化本部を設置しているわけでございます。

 この本部を支える事務局につきましては、御指摘のとおり、行革の観点も踏まえつつ、現在の体制をできる限り効果的かつ効率的に活用することが望ましいと考えております。

 また、今回講じようとしている施策でございますが、稚内から石垣までの都市再生を推進しております都市再生本部の実施している施策とも関連する面があるのではないかというふうに思っておりまして、こうした施策とも有機的に連携をさせていく必要があると考えております。

 このため、中心市街地活性化本部を支える事務局機能につきましては、内閣官房に設置されております都市再生本部事務局に兼ねさせることといたしまして、関連する諸施策が一体となって効果的に展開されるよう、政府一丸となって取り組んでいくこととしております。

○新藤委員 ありがとうございました。

 二階大臣、今度こそとおっしゃっていただきました。これは本当にこれからの私たちの国づくりの根幹になる政策だと思っておりますから、しっかり頑張っていきたいと思います。

 ありがとうございました。

第98号 国会はまわる ~法案が成立するまで


 今号では、ご存じの方もおられるかもしれませんが、国会で法案が成立するまでの過程に触れたいと思います。


◆ 国会での法案成立過程

 私たちの暮らしに密接に関係する法律が成立するには、多くの厳正な手続きが必要です。
 法案は、内閣または国会議員から議長に提出されます。議長は本会議を開き、そこで法案の趣旨説明と質疑がおこなわれたあと、関係の委員会に付託されま
す。委員会が開かれると、大臣より再び法案の趣旨説明があり、ここで本格的な審議となります。委員会で審議が終了すると採決が行われ、委員長が可否を宣言
します。
 その後また本会議が招集され、委員長から委員会の審議結果が報告され、その結果に対し各党からの討論を行ったあとに、議長により採決が行われてその可否が決まるのです。
 こうして衆議院を通過した法案は、参議院に送られ、また同じ段取りで審議が行われます。
 このように国会での法案審議は非常に手間と時間をかけて行われる厳正な手続きの場でもあるのです。
 わが国の国会は会期制がとられており、会期末までに成立しない法案は原則として廃案となってしまいます。そのため、与野党間で様々な駆け引きがあり、これを担当するのが国会対策委員会です。
 国会内では議員にしか通じない独特の言い回しがあります。そうした用語の一部をご紹介しましょう。


◆ 「つるしをおろす」?

 実際にはおこなわないのに本会議で法案について趣旨説明、質疑を要求することを「つるし」といいます。「つるし」になった法案は、委員会で審議ができず
宙ぶらりん状態になってしまいます。これを取り下げて法案の審議ができる状態にするのを「つるしをおろす」と言います。どの法案をどういう順序で審議する
のかとか、複数の法案を同時に委員会に付託するのかは、議院運営委員会において決定します。野党は「つるし」を使いながら審議を引きのばしたり、なるべく
有利な条件を引き出そうとしたりします。


◆ 「お経読み」?

 国会における法案の提案理由の朗読等、文章を読み上げるだけの説明を「お経読み」と呼びます。これは、法案の審議を始めるにあたり、大臣がその提案理由
等を読み上げる姿を、僧侶の経文になぞらえたものです。確かに平均3分間程の抑揚のない声を聞いていると、うまいことを言うなと思わずうなずけるものがあ
ります。


◆ 「堂々巡り」?

 先に進まないということではありません。本会議で予算等の重要案件の採決や選挙において、自分の名を呼ばれた国会議員が演壇に登り順々に投票する記名投
票のことを、俗に「堂々巡り」と呼んでいます。賛成は白票を、反対は青票を持参して演壇に置かれた投票箱に投入する方法です。


◆ 「法案を上げる」?

 委員会で法案を採決することを上がると呼んでいます。今日は何か上がるのかと聞かれ、思わず天ぷら屋さんを想像してしまうような言葉ですが、ひとつには
委員会の審議を経て、本会議に上がる法案という意味を持っています。「お経読み」から「上がり」までが、委員会審議の基本的な流れです。


◆ 委員長のマイクを奪え

 国会は法案を審議する場であるとともに、厳粛に手続きを進行させる場でもあります。委員会では委員長が、本会議では議長が開会を宣言しないと議事は始まりませんし、採決をとって可決したことを宣言しないと法案は成立しません。
 そのため、採決を成立させないために、委員長を委員室に入れなかったり、委員長のマイクを奪うなど、物理的に議事運営を阻止する手段が用いられることも
あります。本会議の場合は、議長を本会議場に入れなかったり、他の議題を連発して議事に入れないようにする手段もとられたりします。
 一方で、法案を成立させたい与党側は、与党単独で採決日を決めて採決を行う強行採決という手段にでることもあります。
 近年は少なくなってきたとはいえ、与野党の話し合いが決裂したギリギリのところでは野党議員が委員長席に押し寄せたりすることもあります。委員長によっては、「この日ばかりは安い背広にしといたよ」と、後で何度か聞かされたものです。


◆ いよいよ加速する法案審議

 3月27日の参議院本会議で予算審議が終了し、平成19年度予算が年度内に成立しました。これにより、今国会は6月18日の会期末に向けて、残る約100本の法案審議が佳境に入ります。
 私も経済産業委員会の理事として、委員会の運営にあたっております。皆様の暮らしに直結する法案の審議が充実したものになるよう心がけて参ります。

新 藤 義 孝

第97号 植木の里 安行に出かけませんか ~植木直売所の開設


 植木の里、安行。その名前は、国内はもとより海外にも広く知れ渡っています。
 この度、安行植物取引所では一般の方向けに植木直売所を新設しました。植物取引所はせり取引を中心とした植木の卸売を主要業務にしており、植木の流通拠点として全国に名の知られた場所です。この市場は業者しか使うことができず、一般にはあまり馴染みのないところでした。
 
そこで、植木産業の未来を開く新たな事業として、植物取引所の鈴木社長をはじめとする植木業者さんたちが打ち出したのが、この植木直売所です。ここには、
植物取引所の株主である川口市内の植木業者の中から36社がそれぞれに展示スペースを持ち、その出展品目は1,000を超えるそうです。植木や苗木、鉢物
や花物のみならず、4月からは地元のあゆみの農協の協力を得て、野菜の販売も開催されるそうです。
 3月18日、私はこの植木直売所の開始式に招待され、関係者にいろいろとお話を伺ってきました。


◆「売り手は一流の植木職人」

 川口の誇る地場産業である植木産業も、和風の庭園が少なくなってきたことや消費者の好みの変化などから、近年ではなかなか厳しいものがあります。
 300年以上もの歴史と伝統を守っていくために、仲買人や流通業者のみならず、ぜひ一般の人にも植木産業に眼を向けてもらいたい。それが関係者の願いです。
 この度開設された植木直売所の特徴は、3つあります。まず第一に、「世界中の品揃え」があげられます。安行に来れば、国内はおろか世界中の3,000種以上の品種を入手することができるのです。
 次に、「いいものを安く」提供できることです。何よりも植木業者さんの直売ですから、品質の良さと低価格のものがそろっていると関係者は語っておりました。
 最後に、特に私がアピールしたいのは、「売り手は一流の植木職人」の皆さんだということです。代々培ってきた技術とノウハウを持ったプロの植木業の方た
ちが交代で常時詰めており、植木の手入れの仕方や病気のこと、庭造りのこと等々、あらゆることで相談に乗ってくれます。職人さんたちですから、ややとっつ
きにくい人も見受けられますが、気軽に声をかけて欲しい、とご本人たちは申しております。


◆ 新たな川口ブランドの創出-安行桜

 また、新たなセールスポイントとして、この地の名を冠したサクラ、「安行桜」をご紹介します。大島桜と緋寒桜が自然交配してできたもので、今から50数年前、この安行から販売された品種です。ソメイヨシノより半月から1カ月ほど早く咲き、濃いピンク色の大きい花びらが特徴です。
 私はこれまで、地域産業活性化のために地域ブランドの創出を提案してまいりましたが、我が街の地酒「初扇」、健酎「たたら」に続き、この「安行桜」を応援したいと思っています。
 植木直売所では、この安行桜のイラストをあしらった袋を作成し、シンボルとしています。敷地内にも数本の安行桜が植えられておりますので、ご覧になってみてください。もちろん、苗木も販売されています。
 川口駅近くの、旧サッポロビール工場跡地 リボンシティ内の公園にもたくさん植えられたそうです。


◆ 春に誘われて

 植物取引センターの道を隔てた向いには、川口緑化センター「樹里安」があり、さらに、すぐ近くに「あゆみの農協園芸センター」もあります。いずれも、植
木や苗木、花や盆栽などありとあらゆる品種が販売されています。昨今のガーデニングブームでデパートなどにも園芸コーナーがみられますが、こちらは3カ所
あわせて200近い業者が入っていますので、見応えは充分。
 「今の時期なら、ウメ、モモ、サクラ、シャクナゲ、ツツジなどの花ものの苗木がおすすめ」だそうです。
 色とりどりの花が春の到来を告げるこの時期に、ぜひ皆さんも、散策をかねて安行を訪ねてみてはどうでしょうか。

安行植物取引所 「植木直売所」
 水曜日定休(せり市開催のため)
 3月~8月 9:00~18:00
 9月~2月 9:00~17:00
 TEL:048-295-2580
川口緑化センター 「樹里安」
 年中無休(年末年始を除く)
 園芸販売 9:00~18:00
 TEL:048-296-4021
あゆみ野農協 園芸センター
 年中無休(但し1月1.2.3日は休み)
 3月~9月 9:00~18:00
 10月~2月 9:00~17:00
 TEL:048-295-1013
新 藤 義 孝

第96号 映画 「硫黄島からの手紙」 ~祖父 栗林大将のこと~


3月8日、映画制作発表の日に、硫黄島では日米合同慰霊祭が開催されました。

 3月8日、クリント・イーストウッド監督が取り組んでいる硫黄島戦を描いた映画「硫黄島からの手紙」の制作発表がありました。

 昨年4月に「週刊新藤54号」でもご紹介しましたが、イーストウッド監督は、この太平洋戦争最大の激戦と言われる戦闘を、日米双方の視点から描きたいという構想を持っていました。
 そのうちのひとつ、硫黄島の擂鉢山に米国旗を打ち立てた6人の米軍兵士を描いた「父親たちの星条旗」は既に昨年末に撮影を終えており、この秋に公開が予定されています。
 そして、日本側の視点から描かれたもうひとつの作品「硫黄島からの手紙」は、この3月半ばから撮影が始まることになっていて、公開は今年12月の予定とのことです。


◆ 「硫黄島からの手紙」

 映画のプレスリリースの一節をご紹介しましょう。
「アメリカで教育を受け
た栗林は、米軍による硫黄島総攻撃に対し日本軍を率いて果敢に臨んでいく。このすさまじい戦いの先にあるものはもはや名誉の死しかないと思われるなかで、
栗林の意外な戦略により日本兵たちは思いもよらぬ力を発揮して、すぐに決着がつくはずの戦いを40日近くに及ぶ歴史的な死闘に変える...」

 島中に地下壕を掘って前代未聞のゲリラ戦を展開し、鬼神のごとく戦った栗林忠道陸軍中将も、幼い末娘を案じた手紙を送る1人の優しい父親でした。その栗林の人柄は、映画化の元となった「玉砕総指揮官の絵手紙」(小学館文庫)や、昨年刊行された「散るぞ悲しき」(新潮社)に詳しく描かれています。
(「週刊新藤11号でも紹介させていただきました)
 主人公、私の母方の祖父となる栗林忠道を演じるのは、今やハリウッドスターとして名高い渡辺 謙さんです。「撮影に入る前にぜひお会いしたい」という連絡があったのは、先月半ばのことでした。


◆ 渡辺 謙さんのこと

 渡辺 謙さんは、想像していた以上に謙虚で穏和な方でした。配役が決まってから、硫黄島や栗林忠道に関する文献を調べて読み漁っていたそうで、私たちの話を聞きながら熱心にメモを取っていました。
 2万余の硫黄島守備隊に対し、米軍は6万の上陸部隊を先頭に総数15万人を投入。「絶対に勝てるはずのない戦いに、降伏するという道もあるのに、日本人
は負けるのがわかっていながら何故戦うのか」アメリカ的合理主義では理解できない日本人の行動と心情が、この映画のテーマのひとつです。
 渡辺 謙さんは、「ラストサムライの撮影の時にも、『人を守るために自分が犠牲になる』という武士道精神は、騎士道精神を文化に持ったヨーロッパの人たちには理解してもらえたが、アメリカ人にはなかなかわかってもらえなかった」と語っていました。
 日本人として、そうした心情を表現しなければならない、と熱い思いを私に語ってくれました。
 対談から数日後、役を演ずる前にお墓参りをしたいという渡辺 謙さんを、長野市松代の明徳寺にある栗林家の墓にお連れしました。遺族を気遣っていただくと共に、今回の役づくりにかけるトップ俳優としての心意気に、私は感心しました。


◆ 遺族たちの想いを次世代へ

 映画の発表があった日と同じ3月8日、硫黄島では、今年も日米合同慰霊祭が行われました。自衛隊の輸送機で渡島した私は、遺族を代表し、尊い犠牲となった英霊に追悼のことばを述べました。「この硫黄ガスが噴き出す小さな島で、玉砕突撃をせず地下のトンネルに籠もり、死ぬより苦しい生を生き抜いた皆様は、何を支えに戦ってくれたのでしょうか。私の祖父が、当時10歳だった娘に宛てた手紙にその本当の理由が見えてきます...
 私たちは過去の厳しい戦いを決して忘れることなく、また何よりも平和を守るために戦って戴いた皆様方の気持ちを受け止めて、国の発展と世界の平和のために私たち一人一人が努力していかなければならない。そのことを教えていただくのがこの島でございます...」
 2万人を超える日本軍戦死者を出した硫黄島から生還したのはわずか1,033名。しかし、戦後60年以上を経た今、生存者も20名程に減り、英霊たちを
直接知る遺族も高齢化しています。当時の悲惨な状況を知らない世代が国民の大半となっている今こそ、現在の平和が尊い犠牲の下に成り立っていることを知
り、繰り返してはいけない悲しみの歴史に思いを馳せる。今回の映画が、その一助となればと願っています。

新 藤 義 孝

中心市街地の整備改善及び商業等の活性化に関する一部改正法律案(質疑)  衆議院本会議-14号 2006年3月16日

3月16日の衆議院本会議で、党を代表し質問に立ちました
 「中心市街地活性化法改正案」「都市計画法改正案」の2法案について、衰退に歯止めがかからない中心市街地に再び活気を取り戻すために、住んでいることに誇りを持てるような魅力と品格のある街づくり、地域のコミュニティ機能が向上するような街の再生をめざすべきというテーマで話をさせていただきました。

2006年3月16日 衆議院本会議 新藤義孝質疑

 中心市街地における市街地の整備改善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律の一部を改正する等の法律案(内閣提出)及び都市の秩序ある整備を図るための都市計画法等の一部を改正する法律案(内閣提出)の趣旨説明に対する質疑

○議長(河野洋平君) ただいまの趣旨の説明に対して質疑の通告があります。順次これを許します。新藤義孝君。

    〔新藤義孝君登壇〕

○新藤義孝君 私は、自由民主党を代表いたしまして、ただいま議題となりました中心市街地活性化法案及び都市計画法案につきまして質問させていただきます。(拍手)

 最近、国家の品格という言葉がよく聞かれます。私自身も、我が国は品格を失ってしまったのではないか、このように思うときが間々あります。特に、最近の国会の論戦を見ておりますと、にせメール問題等に象徴されるように、品格があるとは到底言いがたく、残念な状態が続いております。

 私たちは、代議士と呼ばれております。代議士というのは、国民のかわりに議論する侍だ、このように私は先輩から教わりました。我々は、この国民の代表として出処進退をよくわきまえて、そして、気概と自覚を持った品格ある論戦をしていこうではありませんか。

 さて、まちづくりに関する今国会の目玉として、この二法案が提出されております。

 かつて我が国では、全国総合開発計画のもとで、均衡ある国土の発展の旗印を掲げ、全国各地のまちづくりが進みました。しかし、金太郎あめとも言われる画一的な町並みができてしまったという反省もあります。こうした流れの中で、市街地から郊外へと大規模店舗を初めさまざまな機能が流出し、旧来の商店街はシャッター通りになり、中心市街地の衰退が進んだということでございます。

 このような社会的変化に対応するため、平成十年、中心市街地活性化法、改正都市計画法、そして大規模小売店舗立地法のいわゆるまちづくり三法が制定されました。しかしながら、八年が経過して、いまだ問題は解消されておりません。むしろ、大規模店舗に対する規制が緩められる一方で、都市計画制度はうまく活用されず、都市基盤整備が間に合わないまま、焼き畑的な乱開発が進んでしまう、無秩序なまちづくりになってしまっているのが現状ではないでしょうか。

 単純に大規模店舗を再び規制することは時代に逆行します。一方で、シャッター通りを放置することもできません。また、地域によりましては、大規模な工場跡地など、中心部が空洞化したことによって、新しいまちづくりのチャンスが生まれているところもあります。

 こうした状況のもとで、今回の法改正は、従来の金太郎あめ的な均衡ある国土の発展から、地域の判断による個性のあるまちづくりへ変えようとしている象徴的な法改正だと私は考えております。我々は、今後、どのようなまちづくりを進めていけばよろしいのでしょうか。

 私は、この我が国の都市が目指すまちづくりについて、冒頭に挙げました品格が必要だと考えております。品格とは、品位の程度、すなわち、その人や物に自然に備わっている、人が認めてくれる価値のことです。町の品格とは、住む人が自然に愛着を持ち、住んでいることに誇りを持てるような魅力のことだと思います。さらに、その町固有の歴史と文化とコミュニティーを感じられることが品格につながるのではないかと考えております。

 そこで、この今回の法改正を行うに当たり、我が国のまちづくりを品格のあるものとするためにどのようなお考えをお持ちか、経済産業大臣及び国土交通両大臣の御所見をお伺いしたいと思います。

 次に、都市計画法の改正についてであります。

 現行の都市計画法は、郊外に行くほど規制が緩やかになっているため、大規模店舗が郊外に乱立し、交通渋滞の発生、ごみ問題や治安の悪化といった諸問題が起きています。この対策として、従来の拡散型の都市計画制度を改め、集約型の都市計画制度に転換する必要があると思っております。

 そのため、今回の改正では、郊外の大規模集客施設の立地を一たん制限し、乱開発にブレーキをかけた上で、都市計画手続と地域の判断により新たな施設を立地させることになっておりますが、この改正によってどのような変化が期待できるのか、国土交通大臣の御所見をお伺いいたします。

 最後に、中心市街地の再生について大切なことをお尋ねいたします。

 平成十年、中心市街地活性化法が制定され、多くの市町村が活性化への取り組みを試みておりますが、残念ながら、目に見える効果につながっておりません。まちづくりの主役はそこに住む人々であり、市町村の主体的な取り組みや民間事業者等の地域ニーズに対応した取り組みが町ぐるみで一体的に実施され、それによって地域のコミュニティー機能が向上してこそ町の再生が図られるものと思います。

 今回の改正法案が、シャッター通りを解消し、商業等の活性化を図るとともに、にぎわい回復のアクセルとして真に機能するため、どのような支援を講ずるのか、経済産業大臣の御所見をお伺いいたします。

 以上、本法案の審議を通じ、個性と魅力を持った我が国の品格あるまちづくりが推進されることを期待して、私の質問とさせていただきます。(拍手)

    〔国務大臣二階俊博君登壇〕

○国務大臣(二階俊博君) 新藤義孝議員にお答えをいたします。

 品格のあるまちづくりについてのお尋ねでありますが、地域がみずからの発意と判断によって中心市街地の活性化に向け積極的に取り組むことにより、人々が集い、語り合う、にぎわいのある新たなコミュニティーとして、また過去の古い歴史や文化の薫りを持続しながら、まさに品格のあるまちづくりを進めていくことが重要なことであります。

 このような認識のもとに、中心市街地活性化法案においては、まちづくりの司令塔としての役割を担う中心市街地活性化協議会を位置づけ、市町村の基本計画を作成するに際しまして、地域の関係者が集まり、地域の持つ魅力を活用しながら自立的ににぎわいのあるまちづくりに参画できる仕組みを導入しております。

 また、中心市街地に対する支援策についてのお尋ねでありますが、本法案におきましては、まちづくりの司令塔としての役割を担う中心市街地活性化協議会を位置づけして、地域の関係者が地域のコミュニティーとして魅力向上に向けて一丸となって取り組んでいただく、そういう御努力をいただくことを推進してまいります。

 また、地域における中心市街地活性化の多様なニーズに対応するため、市街地の整備や商業の活性化などに対する支援策を総合的かつ一体的に行うことが重要であると考えております。

 そのため、本法案におきましては、内閣総理大臣を本部長とする中心市街地活性化本部を設置し、経済産業省のみならず関係省庁が連携して、総合的そして一体的に支援を実施し、まさに品格あるまちづくりを形成してまいりたいと考えております。(拍手)

    〔国務大臣北側一雄君登壇〕

○国務大臣(北側一雄君) 新藤議員にお答え申し上げます。

 まちづくりを品格のあるものとするための考え方についてお尋ねがございました。

 我が国のまちづくりを品格のあるものにするためには、地域固有の文化や歴史を継承しつつ、地域の主体的な創意と工夫を生かしたまちづくりを進めていくことが重要と認識しております。

 特に、これからの人口減少・超高齢社会におきましては、町の顔である中心市街地を再生し、都市の既存ストックを有効活用しつつ、高齢者も含めた多くの人々にとって暮らしやすいコンパクトなまちづくりを実現していくことが必要と考えております。

 今回の法改正はこれからのまちづくりの先駆けとなるものであり、中心市街地の再生を通じて、品格のあるまちづくりに取り組んでまいる所存でございます。

 都市計画法の改正で期待されるまちづくりの変化についてお尋ねがございました。

 現行の都市計画制度は、高度成長期において、人口が増大し、都市が拡大するという社会経済情勢を前提として創設をされました。結果として、大規模集客施設等の各種都市機能の郊外への無秩序な拡散を許してきました。

 そこで、今回の改正では、大規模集客施設について、商業地域等を除きその立地を一たん制限し、立地に当たっては都市計画手続を経させることで、地域の判断を反映した適正な立地を図ってまいります。また、病院等の公共公益施設についても開発許可の対象としてまいります。これらにより、今後は、中心市街地活性化法による支援策と相まって、高齢者等が歩いて暮らすことができるコンパクトなまちづくりが進むことが期待されます。(拍手)

第95号 「信頼」と「不信」はどちらが「得」か? 「囚人のジレンマ」論

信頼に基づく交渉は外交の要諦。3月7日、イギリス保守党の影の国防大臣フォックス
下院議員と中国問題や安全保障政策について突っ込んだ対談を行いました。

 今月6日・7日両日にわたって行われた東シナ海ガス田に関する日中政府間協議の内容は、私にとっても強い不満を抱かせるものでした。
 ガス田の共同開発について、中国側は、前回の協議で日本が示した日中中間線付近とする案を受け入れず、新たに尖閣諸島周辺の海域と東シナ海北部の2カ所
を対象にすることを提示。また、日本側は、共同開発の合意が得られるまでは日中中間線にまたがるガス田の開発作業中止を求めていましたが、それも応じられ
ないままでした。
 日本側海域での共同開発案は、日中境界線画定に向けての進出意図なのか、あるいは協議を引き延ばすための時間稼ぎの駆け引きなのか。日本の中国への不信感はますます深まってしまったと言えるでしょう。
 そもそも4回目となる今回の協議は昨年10月に開かれるはずでしたが、同月に行われた総理の靖国神社参拝に対する批判を盾に中国がここまでずれ込ませてきたものです。
 中国の李外相は7日の記者会見で、「戦後、ドイツの指導者の中にヒトラーやナチスを崇拝する人はいない」と語り、総理の靖国神社参拝を激しく非難。先月
後半に中川政調会長が訪中した際にも、中国側は「日中関係の改善には靖国神社問題の解決が前提となる」という立場を強調しました。
 外交は、国家間の信頼があってこそ成立するもの。靖国神社を参拝するなら他の交渉にも応じられない-そうした中国側の姿勢は、不信感を生むのに充分です。
 さて、こうした不信感を残したまま、日本側が譲歩しさえすれば果たして両国の関係改善につながるものでしょうか。ちょっとここで、ある有名なたとえ話をしてみます。どうぞご一緒に考えてみて下さい。


◆ 囚人のジレンマ

 経済学や社会学などで使われるゲーム理論の中で「囚人のジレンマ」と考え方があります。
 とある事件で、共犯者だと思われる2人の容疑者が逮捕されました。2人は隔離され別々に取り調べが行われましたが、決定的な証拠はつかめないままでした。そこで当局は、2人の容疑者それぞれに次のような取引を持ちかけました。
「このままお前も相棒も黙秘を続けた場合は、証拠不十分で2人とも懲役2年だ。しかし、もしお前が自白するなら、相棒を15年の刑とするかわりに、お前を1年の刑としてやろう」
 ここまでならうまい話と言えますが、条件は更に続きます。
「ただし、もし、お前も相棒も自白した場合、双方とも懲役10年だ」
 2人は別々に独房に入れられていて、相談することは不可能です。
 さて、あなたならどうしますか。
 あなたにとって最も刑が軽いのは自分だけが自白すること(1年の刑)。次に2人とも黙秘すること(2年)。その次は2人とも自白すること(10年)。最も重いのは自分は黙秘を続け、相手に自白されることです(15年)。

 あなたは相棒の動きを予想して、自白すべきか黙秘するのがいいか悩むことになります。もし相棒が自白をするとしたら、あなたも自白をした方が得です。ま
た、相棒が黙秘をするとしても、あなたは自白をする方が得することになります。結局あなたは、相棒が自白しようとしまいと自白をした方が得だという考えに
到りました。
 そして当然のごとく相棒も同じことを思いつき、結局2人とも自白をしてそれぞれ懲役10年という結果になってしまいました。
 しかし、2人とも黙秘を続けていれば、それぞれ2年の刑で済んだのに。懸命に頭をひねったあげくに、2人あわせれ考えてみれば20年の刑という一番重い結果になってしまったのは何故でしょう?

 これは、相互に交流がなく信頼関係もない状態で、個人が自分だけの損得勘定で行動すると、全体として最悪の状況をもたらすことがあるというお話です。


◆ 日中間のジレンマ

 もちろん日中間の案件は複雑で多岐にわたり、こんなたとえ話で解決できるほど単純にはいきません。
 しかし、相手を牽制し、自国がさらに悪い状態に陥ってしまわないように主張し合う結果、お互いに強い不信感をつくってしまっている現状は、まさに「外交のジレンマ」です。
 外交の場では、自国の国益・国民の利益が損なわれてはならないのは当然ですが、他国との信頼関係を築かずに自国の利益を優先させようとしても、それは逆の結果を生みかねません。
 利己的な行動が自分にとってもよい結果につながらないというのは、個人間だけでなく、国同士の外交についても同様です。
 お互いの不信感を前提とした、主張の応酬ではなく、相手の立場を理解した上で信頼に基づく交渉を進めることが何よりも求められていると思います。

新 藤 義 孝

第94号 品格ある国家をつくるには


 昨年から今年にかけて、今の社会を取り巻く象徴的な出来事が立て続けに生じています。
 いわゆる「4点セット」と言われる耐震強度偽装問題やライブドア事件、米国産牛肉輸入問題、防衛施設庁を巡る官製談合問題などの不祥事が相次いで発覚し、小泉内閣の政権運営を揺るがすことになりました。
 ところが、民主党が、出所不明の信ぴょう性のないメール問題を予算委員会や党首討論の場で取り上げ、国政が大混乱となりました。その後の迷走ぶりは皆様もよくご存じのことでしょう。
 2月28日、民主党は「メールは本物ではない」として謝罪。永田議員を6カ月の党員資格停止処分とするとともに、永田議員の説明を鵜呑みにした国会対応
の責任を取るとして野田国対委員長が辞任しました。しかしながら、同日、党声明発表に先立って行われた当の永田議員の謝罪会見では、メールの真偽について
はまだ事実確認の余地があると述べ、歯切れの悪い内容に終始していました。国会議員には、院内での発言には責任を問われないという免責特権があります。し
かし、だからこそ、議員の国会での発言というものは、しっかりとした調査と情報分析に基づいたものでなくてはならず、その責任も重いものだという自覚が必
要なのです。
 この問題にはっきりとした決着をつけない限り、今後国会の場で、野党の政府追及を国民が信用できなくなってしまうのは自明のことです。野党が国民の信用を失えば、国会の議論そのものも信用を失ってしまうことになりかねません。
 民主党は単なる謝罪に終始することなく、自らの党とさらには国政運営に与える将来の影響を考えてこの問題を収束させ、そして私たち全ての国会議員は、一刻も早く国会を本来の政策論争の場に戻さなければなりません。


◆ 今こそ思う 「富国有徳」という理念

 こうした相次ぐ不祥事を目の当たりにする中、私が思い起こすのは、庶民宰相として国民に親しまれた故小渕恵三総理大臣の「富国有徳」という理念です。
 8年前に就任した小渕総理は、経済や物の繁栄ばかりを追求するのではなく、心の問題や志の問題を考える時期なのではないか、ということをたびたび訴えて
いました。私欲にとらわれずに、世の中のために役立とうという志を持って多くの人が活躍するような社会の実現を目指していたのです。
 一連の不祥事の根本に共通しているのは、「法に触れさえしなければ、何をやってもいい」「法に触れていても、
バレなければいい」「自分さえよければいい」というようなモラルの欠如したご都合主義です。いずれも非常に優秀な方々なのにもかかわらず、自己の利益拡大
のみに腐心したり、目的と手段をはき違えた志ない行為に傾倒した結果であり、なぜその能力を公共に資する方向へ向けられなかったのか。私はそう思うと残念
でなりません。


◆ 「品格のある国家」をつくるには

「国家の品格」という本がベストセラーになっています。多くの人にそれが読まれるというのは、私たちの国が品格を失ってしまっていることの裏返しであり、品格ある国家への強い憧憬をもっているからに他ならないと感じます。
 経済拡大を目指してきた改革が成功しつつある今、私たちの国が今後更なる発展を遂げるには、国が品格を取り戻すことができるかどうかにかかっているのだと思います。
 いかに経済的に豊かであっても、国としての品格がなければ国際社会において尊敬されることも、発言力や信用が高まることもありません。
 国家の最大の責務は国民の生命と身体の安全を守り、領土・領海を守ることにあります。しかしこれは自国一国だけで成しえることではありません。周囲の国との信頼を醸成し、周辺諸国との安全保障体制を整えていかなくてはならないのです。
 GDP比で世界第2位の経済大国となったにもかかわらず、現代日本の国際社会における存在感はそれに見合うだけのものはありません。それは何よりも、現代の日本と私たちに、経済至上主義を超えた精神的な規範が欠けていることによるものだと思われてなりません。
 19世紀初頭にイギリスのサミュエル・スマイルズが書いた「品性論」という本の中に、「国としての品格は、その国民が自分は偉大なる民族に属するのだと
いう感情から、その支持と力をえるものである。先祖の偉大さを受け継ぎ、先祖の遂げた栄光を永続させるべきだという風土がその国に出来上がったときに、国
家としての品格が高まる」という一節があります。
 国家の品格は、この国をつくってきた先人を敬う心から始まり、自国を愛し、自分の国に誇りを持てる人たちが数多く育っていくことから生じます。品格のあ
る国をつくるためには、正しい歴史観とそれに基づく教育が必要なのです。私が以前から訴えている教育基本法改正についての議論の中で、焦点のひとつに「愛
国心」の取り扱いについてがあります。「国を愛する心」という表現を盛り込むべきか、それとも「国を大切にする心」とするべきか。これについては、私が信
頼する安倍晋三官房長官が明確な答えを出しています。「国を愛することが目的なのであり、大切にするというのはその手段である」のだと。
 経済の繁栄は、本来私たちが生きていくための手段に過ぎなかったはずです。一連の不祥事は、目的をはき違えて手段を最優先してしまったことにあるのです。
 私は、我が国が、国民が誇りを感ずることができるような品格ある国となるよう全力をあげて国政に取り組んで参ります。

新 藤 義 孝

第93号 日本の海洋権益を確保せよ ~東シナ海ガス油田問題~


◆ 世界で6番目の広さを持つ国?

 小さい国土に1億2千万人もの人が住む狭い島国、日本。皆さんが抱いている私たちの国のイメージはおそらくそんな感じでしょうか。確かに、国土面積が約38万k㎡、世界で59番目の広さとなる日本は、陸地だけを見れば決して広いとは言えないでしょう。
 しかし海に目を転じれば、日本の経済的な主権がおよぶ排他的経済水域(200海里=約370km)は国土面積の12倍、約447万k㎡となり、世界で6番目の広さを持っているのです。
 この広大な排他的経済水域(EEZ)における海洋権益を確保することは、四方を海に囲まれ資源の9割を対外依存している私たちの国にとって必須課題です。
 そのわが国の生命線とも言えるEEZ付近で、深刻な問題が発生しています。


◆ 東シナ海ガス油田問題

 沖縄諸島の北西、中国大陸と向かいあった日中両国のEEZが重なり合う水域の中間線付近で中国が海洋資源調査を行い、計6カ所の天然ガス油田を確認し、採掘の準備を進めているのです。
 2004年6月には、中国がガス田の本格開発に着手したことがわかり、日本政府は日中中間線付近の海域を独自に調査しました。2つのガス田は地下構造が
中間線を挟んで日本側につながっており、さらにその他の2つのガス田もそうした可能性があることを確認した上で、中国側に抗議を行いました。
 しかし中国は、日本の抗議にもかかわらず採掘施設の建設を進め、2005年9月下旬には、日中中間線から4kmの位置でガス田の生産を開始しました。
 昨年の暮れに操業を始めたとみられる別の採掘施設は中間線から1.5kmしか離れていないところにあり、採掘を示す炎も確認されています。
 率直に言ってこの問題に関するわが国の出遅れは否めない事実であり、昨年7月には経済産業省が民間の帝国石油に試掘権を付与しましたが、まだ何も動きを示すことができません。
 一方で中国は、周辺水域の実効支配をうかがう姿勢を示し、これまでに中国海軍のミサイル駆逐艦を含む艦隊によるガス田付近の警備行動や、日本領海内への中国原子力潜水艦の潜没航行を行ったり、軍事的なプレゼンスを高めています。
 わが国は、外交ルートを通じて東シナ海に関する日中協議を続けており、日本側からは
① 中間線をまたがる構造のガス田については共同開発を行う。
② 中間線の西側は中国、東側は日本がそれぞれ試掘や開発を行うことに異議を唱えない。
③ 共同開発について、日中間で最終的な合意が得られるまでの間、中国側は作業を中止する。
という提案を示していますが、中国側からは明確な回答はなく、協議は難航しています。
 さらに見逃してはならないことがあります。あくまで私の個人的な見解ですが、中国は東シナ海の海洋資源開発研究を30年前から続けておりましたが、実力
行使を伴う強硬な姿勢はここ数年急に顕著となって参りました。二桁台に近い成長を続ける経済の拡大とともに、軍事費、特に海軍力が著しい増加を示してお
り、最近の中国軍事力の能力と意図には十分な注意を払わなければならないと思っています。
 あくまでこの問題は、両国間の外交努力において平和的に解決されなければなりませんが、竹島問題のように相手に実効支配されてからでは話し合いができなくなってしまう恐れがあります。


◆ 海洋構築物の安全水域に関する法律(案)

 自民党ではこの問題の解決の一助とするために、今国会に「海洋構築物等に係るの安全水域の設定等に関する法律案(仮称)」を議員立法で提出する準備をし
ております。この法案は、わが国のEEZあるいは大陸棚で、天然資源の探査や開発等を行うことに関連して一定の海洋構築物が設置される場合に、その構築物
あるいはその付近の航行船舶の安全を確保することを目的としています。私も自民党の法案作成ワーキングチームの一員として活動しています。
 また、自民党の国防部会長を拝命している私としても、国家の最大の責務は、領土・領海の確保と、国民の生命と身体の安全を守ることであり、東シナ海におけるわが国の海洋権益の確保は、主権国家として絶対に譲れない大課題です。
 ぜひ皆様にもこの問題について関心を持っていただき、ご一緒に考えていただきたいと存じます。

新 藤 義 孝

第92号 誰でも、どこでも、自由に。 ~ 更なる交通バリアフリー化に向けて~


 急速に高齢化が進むわが国では、10年後には4人に1人が高齢者になると予測されています。高齢化社会のキーワードのひとつとなるのがバリアフリーです。
「子供からお年寄りまで、体格、障がいなどの有無などに関わらず、誰もが自由に移動でき利用できる安全な環境を整えること」。わたしはそれを目標に、街づくりを進めていきたいと思っています。


◆ バリアフリー推進議員連盟での活動

 平成6年、デパートやホテル、病院等の不特定多数の者が利用する建物について、高齢者や障がい者が円滑に利用できるような努力義務を課した「ハートビル
法」が施行され、車椅子用のトイレや駐車スペース、通路幅の確保、段差の解消、緩勾配のスロープ、点字ブロックの敷設等々が徐々に推進されていきました。
 平成10年に設立された自民党のバリアフリー推進議員連盟に参加した私は、バリアフリー社会の実現に向けて議論を重ね、公共交通機関におけるエスカレーターやエレベーター整備に対する補助制度を創設し、さらに平成12年には「交通バリアフリー法」の成立を果たしました。
 この法律の施行後、私は川口・鳩ヶ谷の街をバリアフリー化推進のモデル地区としたいと考え、JRや地元の議員さんたちと協議を進め、川口駅、西川口駅、
蕨駅、そして東川口駅に、エスカレーターやエレベーターの設置を進めて参りました。駅の構造や事業費負担の問題で設置するまでには時間がかかりますが、県
内で最も早く市内全駅にエスカレーターを設置できたことは、私の内なる喜びです。
 昨年国政に復帰させていただき、私は再びバリアフリー推進議連に参加しております。今国会では、新たに「高齢者、障がい者等の移動等の円滑化の促進に関
する法案」が提出さる予定になっております。従来の2法案を一体化し、個々の施設から街全体にバリアフリー化を進めていくための法案です。


◆ JR川口駅構内にエレベーター設置

 このような状況をふまえて、私が今手がけているのが川口駅の更なるバリアフリー化です。
 1日約15万人が利用する、県内乗降客数第3位のJR川口駅。東口からは川口そごうやキャスティ、西口からはリリアのエレベーターを利用すれば、車椅子の方でも改札まであがることはできます。しかし、そこからホームに降りる手段がないのが現状です。
 私は昨年の暮れより、改札内からホームに降りるためのエレベーターと下りのエスカレーターの設置についてJRと協議を行っています。
 これは、JRと川口市の共同事業となり、市側の費用負担に関しては、市議会の予算措置が必要です。市の費用負担に対する県の補助制度もあり、仲間の県議、市議と協力し、国・県・市一体となって早期実現に向けて活動して参ります。


◆ 東横インの不正改造問題について

「身障者用客室を造っても年に1、2人しか来なくて、一般の人には使い勝手が悪い。うちのほかのホテルでもロッカーやリネン庫になっているのが現実だ」
 身体障害者用の施設や駐車場を完了検査直後に改造工事をして撤去していたことをはじめとして、全国で70以上もの不正改造や問題ホテルがみつかった東横
イン。社長のこうした発言には、企業の社会に対する責任や倫理感は一切感じられません。耐震強度偽装問題に引き続き、法やモラルを無視してでも効率や利益
を追求しようとする姿勢は決して許せるものではありません。早急な是正、再発防止のための対策はむろんのこと、バリアフリーの理念の徹底が不可欠だとつく
づく感じさせられました。


◆ こころのバリアフリーを大切に

 街中で、障がい者用駐車場に健常者の方が車を止めてしまっている光景を時折見かけます。車椅子を利用している方が身近にいない人には、その必要性がピンとこないのかもしれません。
 バリアフリーはただ設備などを設置すればいいというものではありません。その設備がきちんと機能し、気軽に自由に使ってもらえるようになることが大切な
のです。高齢者や障がい者にとって歩きやすい街は、子どもや妊産婦をはじめ誰にとっても快適な街になるでしょう。バリアフリー化は、そこに住む皆さんの意
識の高まりによって完成するのではないでしょうか。
 その実現のためには、障害を持った方、そうでない方も含めた、この街に住む多くの人たちの声に耳を傾けていかなければなりません。
 川口駅構内エレベーター設置の話は、昨秋、私の事務所を訪ねてくれた車椅子の方からも強く要望をいただきました。私たちの街をバリアフリーを進めるモデル都市にするために、ぜひ多くの皆様の想いをお聞かせ下さい。

新 藤 義 孝

第91号 私たちの街は昔 海だった ~前野宿貝塚遺跡を訪ねて~


 私たちの街で、たくさんの原始・古代遺跡が発見されていることを皆さんはご存じでしょうか。
 今からおよそ6,000年程前は、気候の温暖化により最も海面が高くなっていた頃で、川口市の戸塚・神根・安行・新郷や鳩ヶ谷市北部などの大宮台地の高
台を取り囲むように海水が入ってきていました。そして、かつて海だった低地との境には、川口で最も古い6,000年前の小谷場貝塚、縄文時代晩期の土器が
最初に発見された安行の猿貝貝塚、5体の人骨が見つかり新郷若宮公園として整備されている新郷貝塚をはじめとし、多くの貝塚が残っています。
 「こうした縄文時代のタイムカプセルは、人間と自然のあり方について私たちに語りかけてくれます」遺跡の発掘にあたっている市の教育委員会の方はこう言
います。縄文人が残したメッセージとは何なのでしょうか。今回私は、今年1月から発掘調査が行われている前野宿貝塚遺跡を見学に行きました。


◆ 発掘現場を視察して

 川口市の東本郷にある前野宿貝塚遺跡。今からおよそ2,800年前のものとみられているこの遺跡は、過去の調査では竪穴式住居跡なども見つかり、県選定重要遺跡になっています。
 私が伺ったときには、30名近くの方たちが発掘作業にあたっていました。小さなシャベルを片手に慎重に土の表面をなぞっていた方が、自分がたった今掘り出したという土器の破片を見せてくれました。
 貝塚は、縄文の人たちが食べた貝の殻や魚や獣の骨などを捨ててできたものです。多数の貝がらにまじって、土器や石器なども発見されます。
 火山灰が堆積してできた関東ローム層の土壌は酸性なので、長い年月の間には人も獣も魚も骨は分解してなくなってしまいます。しかし貝塚は、貝のカルシウムが土をアルカリ性に保ちたくさんの遺物が残り、様々な情報を得ることができるのだそうです。
 例えば、この遺跡からはハマグリやオキシジミの貝殻が大量に出ていますが、それぞれの貝の生息地から、すぐ目の前まで砂浜が広がっていたことや、川が近
くに流れていたことなどがわかります。木の年輪のように見える貝の成長線を観察すると、その貝がいつ採取されたものかといういこともわかるのだそうです。
 
私たちの街は地形の高低が複雑なため、植物も動物も豊かな資源をもたらしてくれました。バランスのとれた食料が確保できる環境にあったと考えられていま
す。トチやどんぐりなどの実をつぶして灰汁抜きをしたものを水で練って焼き、クッキーをつくっていたことも確認されています。
 この遺跡からは、他にも、シカのあごや歯、イノシシの骨、また石斧や縄文人の耳飾りなどもみつかっているそうです。
 掘り出された大量の土は、持ち帰ってふるいにかけて、魚の骨やうろこなど小さな貴重な遺物を調べます。根気の要る作業です。


◆ 縄文人の暮らしを想う

 この前野宿貝塚遺跡が営まれた頃には、数世帯の家族が共に暮らす20人程の規模の集落をつくっていたと考えられています。当時はこうした集落が市内に数箇所あったとみられており、当時の川口の人口は、多くても500人程度だったものと思われます。
 寿命は30歳ほど。多産で1人の女性が5~6人の子を産みますが、そのうち2/3は幼児期に亡くなってしまっていました。
 魚や獣を捕ったり木の実を採ったりして食べ物としていた彼らは、それを捕るための道具やおいしく食べる方法などあらゆることに知恵を働かせながら生活し
ていました。それらはすべて自然からの恵みであり、縄文の人々は自然そのものを神とし、豊かな恵みを授かったときには心からの感謝を捧げていました。竪穴
住居の中では家族が炉を囲んで団欒し、祖先からの知恵を語り伝えていました。
 縄文人の持っていた、自然との共生、家族愛、そして物を大切にし感謝する心など、そうした精神はほんの数世代前までは確かに私たちにも受け継がれていたはずのものです。
 縄文人の2倍以上長生きできる現代の私たちは、はたして2倍以上の恵まれた人生を送っていると言えるのでしょうか。発掘現場に立って、ほんの1~2m下に広がる数千年前の人たちの暮らしを想像し、ふとそんな感慨を抱きました。


◆ 文化財センターで縄文時代を体験!

 現在川口市では、旧中央公民館の跡地に、街の歴史資料を展示する市立文化財センターの整備を進めています。私の見た、この前野宿貝塚遺跡で発掘された出
土品と出会えるかもしれません。土器づくり体験教室なども検討されているようです。一般公開は6月頃の予定です。ぜひ皆さんも、悠久の古代に想いを巡らせ
てみてはいかがでしょうか。

新 藤 義 孝

第90号 皇室典範改正について思う ~慎重で静かな議論を~

秋篠宮妃紀子さまのご懐妊の報にふれ、心からお慶び申し上げます。
お体をご自愛なされて、元気なお子様をお産みいただきたいと存じます。


 
2月7日、秋篠宮妃紀子さまのご懐妊という誠に喜ばしいニュースが入りました。秋篠宮ご夫妻にとって眞子さま、佳子さまに続く第3子、天皇皇后両陛下に
とっては敬宮愛子さまに続く4人目のお孫様となります。「皇室典範に関する有識者会議」が昨年11月末に報告書を提出して以来、女性天皇や女系天皇を認め
るかどうかといった議論が盛んにおこなわれてきました。
 皇位継承の仕方など皇室の制度を定める法律「皇室典範」では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が継承する」とされています。しかし現在、今から40年
前の昭和40年に秋篠宮文仁親王が誕生したのを最後として皇室に男子が生まれていなかったことから、このままでは皇位継承資格者がいなくなってしまうこと
が懸念されていました。
 昨年末の各報道機関の調査では8割もの国民が女性天皇・女系天皇に賛成だったものが、最近の調査では6割程に低下するなど、慎重な意見も増えつつありま
す。現在、私のホームページ上の「意見箱」への投書も皇室典範改正に関するご意見がかなりあり、この問題に対する皆様の関心の高さを感じさせられます。
 皇室制度の根幹にかかわる重要な問題だけに、国民の間に理解が浸透し、広く合意が形成されなくてはならないと思われます。今号ではこの問題を整理し、皆様とともに考えて行く一助となればと思います。


◆ 有識者会議の結論

 総理大臣の私的諮問機関として設置された「有識者会議」が、11ヶ月17回にわたる議論の末に出した結論は、
・女性天皇及び女系天皇を認める。
・皇位継承順位は、男女を問わず第一子を優先とする。
・女性天皇及び女性の皇族の配偶者も皇族とする。
・女性宮家の設立を認める。

 というものでした。同会議では継承順位をめぐって「兄弟姉妹間で男子優先」案も検討されましたが、「男子誕生を待つ期間が長くなるのは不安定で好ましくない」とされました。


◆ どう違う?女性天皇と女系天皇

 女性天皇とは文字通り女性の天皇のことで、女系天皇とは母が天皇である場合に即位した天皇のことです。つまり、愛子さまが即位した場合は「男系の女性天
皇」で、仮に愛子さまが民間出身の男性とご結婚し、そのあいだに生まれた方が即位すると、男女を問わず「女系天皇」ということになります。
 女性天皇はこれまで推古天皇をはじめ8人(10代)が在位しましたが、女系天皇は歴史上ひとりも存在したことがありません。
 皇室はこれまで一貫して万世一系と称される男系による皇位継承を行ってきました。男系継承とは、簡単に言うと「今上天皇の父親の父親の……」と辿ってい
くと、最後には初代神武天皇にたどり着くことを示しています。女系天皇の誕生は、これまで維持されてきた男系の伝統を崩してしまうことになります。


◆ 男系か女系かをめぐる意見

 男系維持派の主な意見としては、
・二千年もの男系継承の歴史的重みを充分に認識し、戦後に皇籍離脱した旧11宮家の復帰など男系維持のための方策を講ずるべき。
・女系天皇が即位すれば125代にわたり男系で継承されてきたとされる皇統は断絶し、従来とは全く別の血統の天皇となってしまう。
・女系天皇には歴史と伝統に裏付けられた正統性がなく、わが国と国民の象徴となりえない。
・一度途絶えた伝統は二度と元に戻らない。1年足らずの議論で軽々しく伝統を変革すべきではない。
・皇室の存在は世界の中でも極めて希で、諸外国の王室と単純に比較すどう違う?女性天皇と女系天皇有識者会議の結論男系か女系かをめぐる意見べきではない。
 というものがあります。

 女系天皇容認派の意見としては、
・皇統の意義を男系に限らず女系にも広げてよいと考える国民が増えており、男女平等や男女共同参画社会の形成という現在の潮流にも適う。
・皇位継承資格者を安定的に確保できる。側室制度のない今日では男系継承はいずれ不可能となる。
・女性天皇を容認し継承順位を長子優先とすればルールが単純で、男子が後から誕生すると順位が逆転するという不安定性もなくてすむ。
・既に60年近く一般国民として過ごしている旧皇族の皇籍復帰は、国民の理解と支持を得るのは難しい。
・女系天皇を容認しなければ、男子出生への周囲からの過大な期待が、今後も皇室への重圧となり続けてしまう。
 といったものがあります。


◆ 静かな議論と国民的同意を

 仮に秋篠宮さまの第3子が男子であれば、現行の皇室典範のもとでは皇位継承順位は皇太子さま・秋篠宮〈討議資料〉さまに次いで第3位となります。
 ご懐妊の報を受けて小泉総理は、8日の衆院予算委員会で、皇室典範の改正については慎重に論議するという方針を表明しました。
 今回の議論は、皇室制度について広い認知と理解を深めるための良い契機だったと思います。世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を守っていくためにも、政争の具とならぬことを大前提に、慎重で静かな議論となるよう願っています。

新 藤 義 孝

第89号 少子化対策と幼児教育の無償化


◆ 少子化対策をどうするか?

 昨年のわが国の出生数は106万7,000人。死亡数を約1万人下回っています。戦後すぐの第1次ベビーブーム期(1947~49年)の出生数は約
270万人、1970年第前半の第2次ベビーブーム期には200万人。しかし、これをピークに出生数は減少を続け、現在の人口減の主たる要因となっていま
す。1人の女性が生涯に産む子どもの数は、戦後4人以上あったのが、昨年には1.26人にまで低下しています。
 国の社会保障給付費全体に占める高齢者関係の給付費は全体の約70%に上る一方で、保育所運営費や児童手当、児童扶養手当など児童・家族関係給付費の割
合は4%程度しかありません。年金受給者の増大、老人医療費や介護給付費の増大で高齢者関係給付費が増大するのはやむを得ないとしても、ヨーロッパ諸国の
社会保障給付の対象者別構成割合を見ても、日本の場合には高齢者給付に偏っているということが言えます。少子化の流れを変えるためにも、大きな比重を占め
ている高齢者関係給付を見直し、これを支える若い世代や将来世代の負担増を抑え、少子化社会対策に関する施策を充実させる必要があります。


◆ 子育て費用の負担軽減を考える

 少子化に歯止めをかけるために、最も要望が高いもののひとつに「子育てに対する経済的支援を充実させること」があげられます。子どもが乳幼児期にある場
合、親の年齢は比較的若く世帯収入も相対的に低いため、子育て費用は経済的な負担感を生じさせています。2005年度「少子化社会白書」を参考に、実際に
子育て世帯ではどのくらいの費用がかかっているのか、また、それに対する有効な支援策は何か考えてみたいと思います。

 乳幼児期の子育て費用について、妊娠・出産費用の平均額は約50万円、0歳~3歳の子育て費用は各年50万円前後、4歳から6歳までは各年65万円前後
となっており、これらを合計すると子どもが生まれてから小学校にあがるまでの子育て費用は、約440万円かかっています。
 とりわけ大きいのが「幼稚園・保育園関係費」です。0歳児保育を利用すると、保育所の保護者負担は月額約3万5千円(年額42万円)かかります。3歳児
以降でも、月額2万5千円(年額30万円)前後の保育料が必要です。もし、子どもが同時期に2人保育所を利用していれば、保育料の負担はさらに重くなりま
す。
 幼稚園の場合には、公立幼稚園であれば月額6千円(年額7万2千円)程度の保護者負担ですが、全幼稚園児の8割を占める私立幼稚園の場合には月額2万5
千円(年額30万円)程度の負担が必要となります。保育料や幼稚園費の軽減や児童手当の引上げなどの経済的支援への対策は、切実な課題です。
 こうした経済的負担に対して現在講じられている公的な支援策には、下の表のようなのものがあります。このうち、医療保険における3歳未満の乳幼児の一部
負担金については、多くの地方自治体が地方単独事業として自己負担分を助成しています。また、子どもが保育所を利用する場合、保護者が負担する保育料以外
は、国や都道府県または市町村の負担で賄われています。たとえば、ゼロ歳児であれば、1人あたり月額約16万円の経費がかかり、約3.5万円の保護者負担
以外の約12.4万円は、国及び地方自治体の負担となっています。


◆ 幼稚園が義務教育課!?

 正月の新聞報道では、「政府・与党が義務教育に幼稚園などの幼児教育を加える方針を固めた」という記事が掲載され、多くの方の目を引いたことと思いま
す。私も文部科学省に確認をとりましたが、政府としてこうした方針を固めた事実はなく、昨年の自民党政権公約の中で、「幼児教育を国家戦略として展開-保
育園・幼稚園の幼児教育機能の充実を図るとともに、幼児教育の無償化を目指す」ことが記されており、このことが混同されたものだと思われます。しかしいず
れにせよ、小中学校教育と合わせ、幼児教育も無償化されれば、若い子育て世代の経済的負担は大幅に軽減されることは間違いありません。
 今や少子化対策の充実は、この国の未来がかかっています。実効性のある、わかりやすい政策立案が求められているのです。

新 藤 義 孝

第88号 私たちの街(川口・鳩ヶ谷)の展望 ~街づくりへの提言~


 年明けから2週にわたって国政にかける今年の抱負を述べさせていただきましたが、今号では、私たちの住む川口・鳩ヶ谷の街づくりについてお話しさせてもらいます。
 地方分権が進む中で、国・県・市は決して上下の関係ではなく、三者が一致協力して、多様化する住民のニーズや地域特性に応じた取り組みが求められています。
 先日、川口市の岡村市長、奥ノ木・田中
埼玉県議、そして自民党川口市議団の皆さんとの座談会が行われました(座談会の詳細は、近く発行される自民党川口支部の広報誌「自由民主」に掲載されま
す)。そこで触れた項目も含めいくつかをピックアップして、今年の私たちの街づくりへの提言とさせていただきます。


◆ 治安-警察力の向上
 まずは、皆様の暮らしの安全を支える治安の問題です。埼玉県自体が犯罪の多い県であり、犯罪件数は増加する一方で、それと反比例して犯罪検挙率は著しく
低下しています。警察官の人員不足は深刻な課題で、私はこれまで予算要求折衝を行うたびにこの問題を精力的に取り上げ、増員確保に努めてきました。来年度
の政府予算案では、警察官増員数3,500人のうち330人を埼玉県で確保し、全国最多の増員が実現しました。しかし今なお、警察官1人あたりの人口負担
率で見れば全国でワースト6位であり、まだまだ増やしていかなければなりません。また、私たちの街の川口・武南両警察署への人員割り振りをいかに多くする
か、仲間の県会議員さんたちと働きかけていきます。


◆ 少子化対策と小児医療の充実
 現在、わが国の最大の課題のひとつが少子化です。私たちの街を、子どもを安心して産み育てられる街にすることは、街を選択するときの大きな魅力になりま
す。夜間・深夜の小児医療の輪番体制を充実させることや、すでに週刊新藤でも取り上げた乳幼児医療費の窓口払い撤廃の実現に向けて、引き続き関係機関に働
きかけを行って参ります。


◆ 公共施設のバリアフリー促進
 今国会では、高齢者や障害をもった方が移動しやすい街づくりを推進するため、地方自治体などにバリアフリー化を義務づける法案が提出される予定です。今
までも、JR川口駅・西川口駅・蕨駅のエスカレーター設置に努めてきましたが、新年度は、川口駅の駅舎からホームに降りるエレベーターを、JRとの協議に
より実現させようとしています。


◆ 自然災害対策
 頻発する自然災害は各地に甚大な被害をもたらし、私たちの街においても防災への取り組みは大きな課題となっています。市内には、昨年の集中豪雨で床上浸
水などの被害に遭った地域もあります。市街化が進み浸水被害が多発している川口東部の前野宿川流域について、昨年に地域住民や地元市議の宇田川好秀議員や
阿部ひろ子議員からも要望を受け、雨水を貯留する調節池整備事業に取り組んでいます。昨年11月より国交省の担当官と協議を行い、事業費の増額に努めてお
ります。


◆ 癒しの街とドッグラン
 平成17年現在の15歳未満人口は1765万人。一方で、犬や猫のペット登録しているのは1920万頭。私たちの街の中でもペットと一緒に暮らしている
人が増えている今、そのための政策というのも考えていく必要があります。私も、わんわんパトロールなど防犯運動のお手伝いもさせてもらっており、新しいコ
ミュニティの形成にも役立つものと確信しています。今年こそは、私たちの街にドッグランの実現を。


◆ 美しさをもつ街づくり
 昨年末、川口駅東口エリアに大規模集合住宅施設と大型ショッピングセンターを擁する約12万㎡の大規模複合開発地「リボンシティ」が誕生しました。私も
何度か訪れてみましたが、シネマコンプレックスは思っていた以上の素晴らしい出来で、大変嬉しく思っています。川口駅からの人の流れが大きく変化する中
で、私は、リボンシティに至る沿道に新しいショッピングモールをつくる構想をもっています。そしてそこには、一定のルールを決めた景観を配慮した街づくり
を実現したいと思っています。


◆ 鳩ヶ谷市の街づくりと合併
 地下鉄の開通と区画整理や道路事業の進捗により、ここ5年間の鳩ヶ谷市の人口増加率は全国で19番目と勢いがついてきました。今年も都市の基盤を整える
事業の国庫予算を獲得し、足腰の強い街づくりが進むよう努力してまいります。また、地方分権の受け皿の前提となる合併は何としても実現させなければなりま
せん。川口市・鳩ヶ谷市の話し合いの橋渡し役となるよう、ねばり強く大きな視点で取り組んで参りたいと思います。

 私は、国の改革を加速させる一方で、私たちの街の改革も強力に推し進めていかなければならないと思っています。地元の自民党議員団の一員として、国県市が一丸となった街づくりを展開して参ります。

新 藤 義 孝

第87号 「わが国のあり方を問う一年に」 ~通常国会開会に向けて~


 暮れから年始にかけて、数多くの地域の会合に参加しています。昨年の今頃を思い出し、改めて皆様に感謝を申し上げます。できる限り多くの皆様とふれあい、ご意見を頂戴したいと思っています。
 とりわけ感じることは、多くの方が、大きく変貌しつつあるこの社会のあり方に漠然とした不安を感じているということです。高齢化と出生率の低迷を背景と
した人口の自然減はわが国が今まで遭遇したことのないことであり、経済や社会保障など様々な面での変革が迫られています。膨れ続ける財政赤字は経済の活力
を削いでいき、所得階層の2極化は暮らしへの不安を生んでいきます。
 わが国が未だ体験したことのない新たな時代にどう立ち向かっていくべきか。皆様とともに新たな価値観を創造し、この国の目指すビジョン・方向性を明示することが政治家としての使命と心得て、決意を新たに活動を続けていきたいと参ります。


◆ 通常国会提出予定の注目法案

 1月20日より通常国会が開会されます。政府は、小泉改革の総仕上げと改革続行に向けた「行革国会」と位置付け、まさにこの国のあり方を問う数多くの重要な法案が提出される予定です。
 政策金融、独立法人、特別会計、公務員制度など行政改革に関するすべてのテーマについての方針を指し示す「行政改革推進法案」。政策金融は、中小零細企
業や個人の資金調達支援、国際競争力確保に不可欠な金融、円借款などに限定し、一つの機関に統合する。31ある特別会計は、統合・独立行政法人化・一般会
計化等によりスリム化し、財政健全化に向けて全体で45兆円に上る剰余金や資産・負債を今後5年間で約20兆円程度圧縮する。政府規模の縮小に向け、
68.7万人いる国家公務員(郵政公社職員を除く)を5年間で5%
以上純減させる。平成20年を目処に社会保険庁を廃止し、年金と健保の運営を分離した上でそれぞれ新組織を設置する。小さくて効率的な政府への道筋を確か
なものとするための多くの方針が示されています。
 昨年10月には立党50年の節目として自民党の新憲法草案が発表されました。新たな国家の将来像と理念を確立するための議論を、今年こそは一層深めていかなければなりません。この通常国会では、
憲法改正に必要な国民投票の手続きを具体化する「国民投票法案」
が大きな焦点となります。
 そして憲法に次いでわが国の理念を指し示す、全ての教育の根本となる「教育基本法改正案」。国家の理念は、教育の力によってこそ実現されるのです。現行
法の基本理念を引き継ぎながら自らの国や地域の伝統・文化について理解を深め,尊重し,郷土や国を愛する心をはぐくむことを盛り込みます。両者は、私に
とっても国会議員就任以来の最大のテーマです。
 テロや弾道ミサイル等の新たな脅威への対応が国際社会の差し迫った課題となっている現在、国民の生命・財産を守るためより安定した安全保障体制を整備し
ようというのは、独立国として当然の責務です。自民党国防部会長というお役目をいただいたこの時期に、「防衛省設置法案」や「米軍再編推進関連法案」とい
う重要法案に携わることに、緊張感を持って取り組んでいくつもりです。
 財政的に危機的状態にある医療制度を将来にわたり持続可能なものとするため、世代間負担の公平化を図る「医療制度改革関連法案」。年金制度を再構築する
ための第一弾としての「議員年金廃止法案」など、生活に安心と活力をもたらす礎となる社会保障制度の改革も力を尽くしていかなければなりません。


◆ 改革を加速する国会に

 小泉総理は年頭所感で、「改革の芽がさまざまな分野で大きな木に育ちつつある現在、改革を止めてはならない」と述べ、「改革が成功するか否かは、国民の強い意思と政治家の断固たる行動力にかかっている」ことを訴えました。
 改革を成すには、国民の多くの監視の下で、今まで目が届かなかった不合理・不経済な部分を洗い出し、さらけ出す必要があります。9月に実施される自民党
総裁選の行方も多くの方が気にされているところでしょうが、小泉政権にとって最後となるこの通常国会が、わが国のあり方を根本から問うに相応しいものにす
るためにも、是非とも皆様に強い関心を持って見守っていただきたいと思います。

新 藤 義 孝

第85・86号 「平成18年を迎えて」 ~小泉劇場は続く~


  皆様には健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。本年が皆様にとりまして輝かしい一年となりますようご祈念申し上げます。
 昨年は私にとって、大きな節目となる一年でした。前年に議席を失って以来、今までには得られなった様々な経験をさせていただきました。そして、昨年9月に皆様の暖かいご支援のおかげ様で国政に復帰させていただき、衆議院では経済産業委員会理事、自民党では国防部会長という大役も拝命いたしました。本年もよろしくご指導賜りますようお願い申し上げます。
 選挙戦とその後を通じて、私は今、自民党が大きく変貌していることを実感しています。ベテラン議員の引退と、多彩な分野からの個性的な83人の新人議員の加入により、自民党は新陳代謝を行ったのです。
 また、この度当選した自民党296人のうち、小選挙区において元職で復帰できたのは私を含めた9人のみでした。いかに皆様の私へのご支援が大きいものであったか、身に染みて感謝しております。

 党内の政策審議機関である政調審議会、その各部会長、調査会長も人事が一新されました。いわゆる族議員やドンと呼ばれていたお偉方の先生たちがリーダー
となっていた時代は終焉を迎え、総裁と党執行部の求心力が高まりました。それは部会での会議の様子にも顕著に表れています。以前は、会議の場で、重鎮の先
生の鶴の一声で議論が終結してしまい、大勢が決まってしまうことが少なからずありました。私が衆議院に初当選したばかりの頃のことですが、部会で意見を述
べようととした際に先輩議員から「あの(幹部の)先生のあとには発言するものではない」とたしなめられたこともありました。
 しかし今では新人が積極的にどんどんと発言し、納得いくまで議論されます。活発な新人議員たちと総裁のリーダーシップにより、自民党の体質は明らかに変化しつつあります。
 総裁任期が終わる今年9月に勇退することを明言している小泉総理は、自らの信念に基づいた政策実現の総仕上げに取りかかっています。徹底した歳出削減と財政再建、小さく効率的な政府の実現を果たし、国家運営の仕組みを根本から見直そうとする大きな仕事です。
 その象徴が郵政民営化と、それに連動した、郵貯・簡保の資金を原資としていた政府系金融機関の統廃合です。また、特定財源としていわゆる族議員の力の源
となっている特別会計の見直しや、定員純減を始め公務員の総人件費改革などの抜本的な行政改革も控えています。そしてその先には、私にとって初当選以来の
テーマである、憲法改正、教育基本法の改正、道州制の実現といったこの国の根本を形づくる大事業が見えています。
 長い間懸案とされていたにも係わらずなかなか手をつけられなかったこれらの政治的課題が今まさに実施されようとしているのは、選挙戦での国民との約束を通じて、小泉総理が時代を揺るがしたからこそです。
 小泉総理にとって最後の予算編成となる平成18年度予算案では、4.4兆円という過去最大の減額により新規国債発行の「30兆円枠」を達成、就任当初の公約を果たし、基礎的財政収支黒字化に向けた意気込みを示しました。
 思えば4年前、派閥反乱軍と言われながらも新しい自民党の総裁選びを目指した私には、感慨深いものがあります。小泉政権の最後の締めくくり、そして続くポスト小泉政権においても、私はこの改革路線を党内でしっかり支えていきたいと思っています。

 総選挙後一躍マスコミで注目された最年少議員、杉村太蔵さんに象徴されるように、自民党の新人議員は多種多彩な人材が揃っています。「政治家としての資
質」云々といった声もありますが、彼の26歳という等身大の目で同世代の若者たちを見つめる視点に大いに期待しています。こうした若者が「国のために」と
いう意識を持って働いてくれることが大切だと私は思っています。
 さまざまなキャリアを積んだ専門家や霞ヶ関出身の議員ばかりでなく、例えば主婦が自分の身近な家庭の感覚で、自分たちの立場で国を論じる。今の自民党は、そうした声を拾い上げていく体制が整いつつあると私は感じています。
 政治への参加意識を高め、みんなで国のことを考える-そうした民主国家の理念こそが小泉劇場の本質です。私も新しい仲間が加わった自民党で、自らの信念に基づき、国の改革と暮らしの改善に向け全力で取り組んで参りたいと存じます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

新 藤 義 孝

第83・84号 「縁を活かす」


◆ 縁と政治と

 様々な世代の、様々な分野の、実に多くの人とめぐり会えること。政治家になってよかったと感じることのひとつです。
 市役所勤めをしていた私を、「政治の道」へと推して下さった方たち-当時の若い私に、多くの方々が勇気を与えてくれました。市議会議員から、思いもかけ
ず衆議院へと挑戦することになったときも。そして、一昨年に議席を失ったときも。様々な場面で沢山の人と出会い、ご縁をいただき、お世話になってきまし
た。そうした縁を大切に、必ず皆様にご恩返しをする。それが私の政治を志す根本です。
 長い人生の中には、一生を左右するような出会いもあります。今回、ある雑誌で素晴らしい話を拝見しましたので、ここにご紹介させていただきたいと思います。

◆ 「縁を生かす」

 その先生が五年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。
 ある時、少年の一年生からの記録が目に止まった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
 二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠り
する」。後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力
をふるう」。
 先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
 放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。
 それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
 クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違
いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫ん
だ。「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」
 六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
 それから六年。またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学
部に進学することができます」。十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから患者の痛みがわかる医
者になれると記され、こう締めくくられていた。「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様
のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任してくださった先生です」
 そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と、一行、書き添えられていた。

 本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。
 たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。
 人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
月刊「致知」2005年12月号(致知出版社刊)より )

 ある会社の社長がこの雑誌を購読していて、あまりに良い話だったので、朝のミーティングで社員に紹介しました。その中に私の仲間がいて、それを私に教えてくれました。
 受け取った私は、ぜひ皆様にもご紹介したいと思い、出版社に許可を得て、お届けさせていただきました。
 人生とは正に、人との出会いの積み重ねなのだと感じさせられます。
 多くの皆様とのご縁に支えられているこの「週刊新藤」も、これで今年最後の号となります。本年は大変お世話になりました。また来年もよろしくお願いいたします。

新 藤 義 孝

第82号 わが街の地酒 第二弾 健酎 「たたら」


◆ わが街に名産を

 「この街の風土に適した、街の特産と呼べるお酒を自分たちでつくってみたい」-そう思い立った川口食文化研究会の皆さんは、騎西町にある蔵元さんの協力の下、この春に「初扇(はつおおぎ)」という地酒をつくりました。おかげ様でこの「初扇」は、気軽に家庭で楽しめるお酒として、また贈答用としても、川口市内はもとより各方面でご好評をいただいているようです。
 「初扇」に使う米までも自らの手でつくりたいと、食文化研究会の皆さんは実際に川口市木曽呂の水田で田植えや稲刈りも行いました。
 

 川口ブランドの創出による地域産業の活性化。そして、それをつくりだす過程の多くの人たちの暖かい交流。川口の活力をつくりだすの食文化研究会の皆さんのチャレンジを応援していきたいと、私は以前、「週刊新藤55・56合併号-新たな名産品
生まれる!わが街の地酒」で「初扇」をご紹介させていただきました。
「初扇」の成功に引き続き、「食文化を通じて広く川口を理解してもらう」ために、研究会の皆さんは、川口ならではの作物を使った、第二弾となる名産品を生み出す企画を立てたのです。


◆ 川口の特産物「ぼうふう」

 刺身や和え物、吸い物などに彩りを添える「つまもの野菜」。その中でも高級食材として用いられている「ぼうふう」の9割以上が私たちの街でつくられています。全国でも、川口市の神根地区だけが本格的な生産を続けており、我が街の誇る特産物です。
 「週刊新藤47号-全国シェア95%の農産物が川口に!」では、川口市東内野で「ぼうふう」を栽培している守谷賢一さん(武州軟化蔬菜出荷組合・前組合長)を取材させていただきました。


◆ 「ぼうふう」との融合

 つまものとして珍重されている「ぼうふう」ですが、守谷さんは、ぼうふうの新たな使い道、新たな可能性を探していました。それが縁で誕生したのが「健酎 たたら」です。守谷さんと、食文化研究会の皆さんと、野菜焼酎をつくっている宮崎県の酒造会社との連携により、新しいお酒が生まれたのです。
 ぼうふうの個性的な香りと焼酎が融合した独特な味わい。ぼうふうの茎と葉は抗酸化の働きが強く、解熱・鎮痛・強壮・の作用があり、風邪・頭痛・関節痛な
どに有効とされ、漢方薬としても用いられています。薬効のあるこの「たたら」には”健酎”という名も付けられました。500ml、1,575円。淡い緑色
のしゃれた瓶や、パッケージのこだわりに、手がけた皆さんの自信の程が伺えます。

 先日行われた農協主催の即売会でもこの「たたら」は大人気を博しました。
 街のやる気と元気を促す「川口ブランド創出」への挑戦を、多くの方に応援していただけたらと思います。「初扇」と「たたら」-ぜひ皆様も試してみて下さい。

新 藤 義 孝

第81号 生活保護のあり方を考える


◆ 国と地方の対立

 国と地方の税財政を見直す三位一体の改革を進める議論の中で、生活保護費の扱いをめぐって厚生労働省と地方自治体の対立が生じました。
 補助金削減・税源移譲・地方交付税改革の3つを一体的に行うという小泉改革の大きな柱のひとつである三位一体の改革。国から地方への補助金を4兆円削減
し、3兆円の税源を地方に移譲する計画ですが、これまでに2.4兆円の税源移譲が固まっています。残る6,000億円の税源移譲に見合う補助金の削減が課
題となっていましたが、厚生労働省が提示したのが生活保護費の国庫負担率を現行の3/4から1/2に引き下げるという案でした。
 これに対し地方は「国の責任放棄、地方への負担転嫁だ」と強く反発、「生活保護事務の返上も辞さない」と抗議を続けていました。川口市や川口市議会から同様の要望を受けた私は、市議会議長らとともに所管官庁を訪れ、生活保護の地方での実態を訴えました。
 昨年10月には生活保護の受給世帯が100万世帯に達し、1950年の制度発足以来過去最高を記録しました。受給者数は140万人で、わが国の人口の
1%を占めており、生活保護費の総額は2.5兆円にも及びます。単身高齢世帯の増加などで今後も受給者数は増加していくことが見込まれています。財政再建
上の大きな課題となっているのは確かですが、「三位一体の改革」の名の下で、数字合わせに終わることになってはなりません。
 11月29日の関係閣僚による協議で、「地方側の意見を尊重」し、生活保護費の削減は見送られることが決まりました。


◆ 生活保護制度とは

 生活に困窮するすべての国民に対し、国が最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする - 生活保護法第1条には、そう記されています。
 生活保護制度は、自らの資産や能力その他のあらゆるものを活用してもなお生活が維持できなくなった人(世帯)に対して、国の責任において「最低限度の生活」のために必要な扶助等を行うものです。
 保護は、生活扶助とその他の扶助(教育・住宅・医療・介護・出産・生業・葬祭)に分かれ、保護を受ける人の世帯構成や収入などの状況に応じて適用されま
す。生活保護費は、世帯全体一カ月分の最低生活費から世帯全体の収入(就労、年金など)を差し引いた金額が支給されます。経済・雇用情勢や物価の違いに応
じて6つの区分がありますが、例えば首都近郊の川口市は「1級地-1」に分類されており、国の定めた生活扶助基準(月額)によると、標準3人世帯(33歳
男、29歳女、4歳子供)で、最低生活費は約16万円となります。この世帯に10万円の収入があれば、それを差し引いた6万円の保護費が支給されるわけで
す。

 川口市の場合、生活保護世帯数はおよそ4,000件、5,800人(平成16年月平均)。人口に対する受給者数(保護率)は1.2パーセントです。


◆ 持続できる制度に向けて

 50年を経過したこの生活保護制度は、様々な問題点が指摘されるようにもなっています。
 受給者に一定の収入を保障するものであるが故に、保障水準やその執行状況によってはモラルハザードが生じたり、不正受給や、あるいはその逆に、必要な人が保護を受けられないことも言われています。
 また、地域別の保護率をみると、北海道や大阪府が2%、富山県は0.2%などと、地域によって20倍もの差がみられます。

 40年間掛け続けて得る基礎年金(月約66,200円)よりも生活扶助費が高い、働く母子世帯の平均収入よりも扶助費の方が高い―などという逆転現象への批判もあります。医療費の自己負担がないことから過剰受診などを生じかねないという懸念もあります。
 生活保護は、失業や傷病などが原因で生計を維持できなくなった人と家族を、社会の連帯で支える究極の福祉施策であり、福祉の原点でもあります。保護の申
請受け付けや資産調査、保護の可否などの実務は、厚労省の基準に基づき地方が行っていいます。まさに国と地方が一体となり担ってきた制度です。
 国と地方自治体の共同作業と連帯責任によって、高齢化社会にあっても持続可能な制度のあり方検討し、受給者に就労による自立を促して被保護世帯を減らしていく努力をしていくべきでしょう。

新 藤 義 孝


第80号 自由民主党 国防部会長に就任 ~立党50年の節目にあたって~


◆ 自民党50年の節目にあたって

 戦後の混乱期を抜け出した昭和30年。自由党と日本民主党の保守合同により、自由民主党が誕生しました。
 以来半世紀にわたり、19人の首相を輩出しながら、自民党は政権与党であり続けてきました。先進国でも例のないこの長期政権政党は、一方で派閥を中心と
した党内権力闘争やそれに伴う様々な弊害を生みだしました。しかし、戦後日本の復興と経済成長を牽引し、「戦争のない平和な時代」を築いてきたこともまた
確かなことです。
 11月22日に開催された立党50年を記念する党大会では、結党以来党是として掲げてきた自主憲法制定に向け、新憲法草案が発表されました。「平和のう
ちに世界の変化に対応できる改革をしなければならない。それが我々の責務だ」と、小泉総理は国民の皆様に熱く語りかけたのです。


◆ 自民党国防部会長に就任

 この度の内閣改造に伴う自民党の役員人事により、私は「国防部会長」に就任しました。自民党では、政府の各省庁に対する政策要望を行うために、政務調査
会(略して「政調」と呼ばれ、部会・調査会・特別委員会から成ります)を組織しています。そのトップが党3役のひとつ、政務調査会長です(略して政調会長
と呼ばれています)。
 私が部会長に就任した国防部会は13部会のひとつで、その名の通りわが国の防衛、安全保障問題を取り扱うもので、部会長は防衛予算と関連法案の自民党の取りまとめ責任者として部会を開催し、国会議員の意見集約を行うとともに、党の方針を決定します。

 自民党立党50年の最大の成果は、戦争のない平和な国をつくり、その上で経済の繁栄を成し遂げたことです。
 一方で、冷戦終結と引き替えに、宗教や民族紛争、テロリズムが世界に拡大し、わが国周辺においても、中国や北朝鮮の軍事的脅威は高まっています。国民の
生命と安全を守ることは国家の責務であり、政権党の防衛政策の取りまとめ役を拝命した私は、極めて重い責任とともに身の引き締まる思いを感じています。
 任期中の直近の課題は、沖縄の普天間基地移転問題を始めとする在日米軍再編問題や、12月14日に期限を迎えるイラクに駐留する自衛隊の派遣延長問題、年明けの通常国会に提出することになる防衛庁を省に格上げする防衛省設置法案等、期限付きの問題が山積しています。
 さらに、弾道ミサイル防衛システム構想やサイバーテロ・化学兵器への対策等、わが国の安全に関わる様々な懸案があり、いずれも早急に推進していかなければならない問題です。
 幸いなことに、これらは私が外務大臣政務官を始め、国会議員として取り組んできたことです。これまでの蓄積を活かしながら、国会の仲間の力も借りて精一杯務めさせていただきます。
 そして「週刊新藤」の読者の皆様には、折にふれ種々ご報告をさせていただき、ご一緒に私たちの平和な暮らしについて考えていきたいと思います。

新 藤 義 孝

第79号 夢を追う若者との出会い ~工藤慎太郎さんのこと~


◆ 工藤さんとの出会い

 昨年の夏、心に残る出会いがありました。議席を失っていた私は、あるマンション自治会の夏祭りに招かれました。そこで、アコースティックギターを抱えて切々と歌うステージ上の青年に目を奪われたのです。
 透明感のある素直な歌声に私は心を打たれ、ステージ終了後に挨拶を交わしたときに、夢を追う若者の情熱が強く印象に残りました。
 2度目の出会いは今年9月9日、衆議院総選挙投票日の2日前のことです。審判の日を目前に控え、私は川口駅東口で夜の挨拶運動を行っていました。その同
じ時刻に、彼は西口で、路上ライブを行っていたのです。あまりの人だかりに直接声を交わすことはできませんでしたが、タスキをはずして見ていた私が手を振
ると、工藤さんも私に合図を送ってくれました。


◆ 工藤慎太郎さんのこと

 工藤さんは、川口市朝日の出身、昭和55年生まれの25歳。幼い頃からフォークソングに傾倒していた彼は、16歳でロンドン留学を決意。地元のミュージ
シャンとセッションやライブをする生活を続けていたそうです。しかし日本に帰国してからは、果たして音楽で生活していけるのか自問自答の日々を過ごしてい
たと言います。お父さんからも家業の工場に入らないかと言われ、このまま音楽を続けるべきかどうか、まさに人生の瀬戸際だったそうです。

 そんな彼にひとつの転機が訪れます。川口駅で改札から出てきた仕事帰りの皆さんが、あまりに疲れて、元気がないように見える。自分の歌で、皆さんに少し
でも元気を与えてあげられたら・・・。そう思った彼は、駅前で路上ライブを始めました。昨年9月のことです。当初は立ち止まって聞いてくれる人もまばら
で、2・3人しか人がいないこともあったといいます。
 ところが、毎週金曜日に川口駅西口のデッキで定期的にライブを続けたところ、徐々にファンが増え、今年9月に路上ライブを卒業する頃には、駅前に300人の聴衆が集まり、交通整理の警察官まで出動するほどになりました。
 今年3月から5月にかけて、テレビ埼玉のオーディション番組で10週勝ち抜きという番組初の快挙を成し遂げ、それを見ていた歌手の八代亜紀さんから直接声がかかり、来年1月にプロデビューが決まりました。


◆ 人との出会いを大切に

 
自ら作詞作曲した「シェフ」というデビュー曲は、彼がアルバイト生活を続けていた頃のことを歌ったものです。その一節に「頑張る事が馬鹿にされる世の中だ
から、皆素直になれなくて…」というフレーズがあります。しっとりとしたメロディーとやさしい歌声が、彼のメッセージに説得力を持たせます。頑張っている
若い人たちを応援したい。素直にそんな気持ちにさせてくれる曲です。
 人の縁とは不思議なものです。9月の選挙中の駅のことを覚えていた工藤さんが、ある方にその話をしました。その人は、「週刊新藤」の配布を手伝ってくれている私の支援者の方でした。その方の紹介で、私たちは3度目に会うことになったのです。
 政治も音楽も、出会いや人とのつながりを大切にしていくことに変わりありません。
 私は、この夢を追う若者を応援したいと思っています。

新 藤 義 孝