第78号 第163回特別国会の閉会にあたって

◆ 第163回特別国会が閉会

 
11月1日、第163回特別国会が閉会しました。42日間という会期にもかかわらず52本(政府提出24本,議員立法28本)もの法案が提出され、私たち
与党の選挙公約であった郵政民営化関連法の成立を始めとし、懸案であった改正政治資金規正法、改正公務員給与関連法、改正テロ対策特別措置法、高齢者虐待
防止法、障害者自立支援法など28法が成立。短いながらも成果の多い国会でした。
 10月31日には第三次小泉改造内閣も発足。小泉改革の総仕上げへ向けた、重厚で実力ある方々の顔ぶれがそろった布陣に、総理の強い意志が感じられました。
 小泉政権は発足して4年半で、道路公団改革や三位一体改革、そして宿願だった郵政民営化に挑み、着実に成果をおさめてきました。来年9月の任期まで残すところ1年をきりましたが、改革への取り組みはこれからますます加速していきます。
 少子高齢化によって、20年後には65歳以上の高齢者が総人口の約3割を占めるようになると予測されています。このままでは、年金・医療・福祉など社会
保障の給付額は現在の2倍、152兆円にも増大してしまいます。皆様の暮らしに直結する、持続可能な社会保障制度の確立は喫緊の課題です。
 国と地方を合わせて774兆円にも膨れ上がった財政赤字。財政健全化に向けた取り組みは、わが国にとって最重要課題です。そのためには、大胆な歳出削減
を行いながら、歳入を増やすことも考えなければなりません。小泉総理は在任中に消費税率の引き上げを行わないことを明言していますが、政府の目指す
2010年代初頭の財政安定化に向けての道筋をつける必要があります。
 私は政府・与党の一員として、閉会中は年末まで、税制改正及び来年度予算編成に全力を挙げながら、山積する課題に取り組んで参ります。


◆ 国会運営のあり方について

 この特別国会で、民主党は「対案提出・改革競争」路線に転じました。与野党がそれぞれに法案を示し、議論を深め、政策を競い合う-(法案の質や完成度は
ひとまず置いておくとして)野党がこうした姿勢を打ち出したことを私は大いに評価しています。与党は法案作成を役人まかせにし、野党は成立する見込みのな
い対案を提出する気力もなく、重箱のスミを突っつくような質問、あげ足取りの質問、個人のスキャンダル追及に熱をあげるだけ・・・。そうした従来の国会論
戦をかねがね心苦しく感じていたからです。
 ところが、前ページの表で明らかなように、野党提出法案は19本ありましたが1本も成立することはなく、委員会審議すら行われないものも多くあります。民主党内のベテラン議員からは、早くも対案作成の労力の大きさとその報われなさに不満の声もあがっているそうです。

 せっかく芽生えた対案討論型の国会運営が後退しないよう、有権者の皆さんには大いに関心を持っていただき、また監視していただきたいと思います。
 今こそ、政治は国の改革を進めることと併せ、国会の立法活動そのものを構造改革すべきです。国会審議の活性化と政治主導による政策立案システムの確立に向けて、私も力を注いで参ります。

新 藤 義 孝

第77号 子どもに「元気」を!    -第2回キッズサッカージャンボリー開催に寄せて



◆ 子どもに元気を!

 子どもの体力低下が叫ばれて久しいですが、その状況は年々深刻化しています。スポーツをしない、運動が苦手というレベルではもはやなく、心の成長や知的発育を阻害する程にまで悪化していると言われています。
 10月10日、体育の日。文部科学省が発表した体力・運動能力調査結果を受けて、この日の新聞各紙には子どもの体力・運動能力の低下を危惧する記事が多
く掲載されました。実際、健康に配慮する人が増えて体力が向上している中高年層に比べ、子どもの体力は昭和60年頃をピークに低下し続けています。
 椅子に長時間座っていることが難しく、机にうつぶせになってしまう子。朝礼のときに直立することができず、ゆらゆらとゆれてしまう子。極端なケースです
が、授業中につらくなって床に寝転がってしまう子もいるそうです。20年前に比べ身長や体重など体格は向上しているにもかかわらず、自分の体を支えること
ができないほどに極度に筋力が不足してしまっている子どももいるのです。
 遊び場の不足、体を動かす必要が少なくなった生活習慣の影響、テレビやゲーム・パソコンなどのディスプレイ依存、食生活の乱れ、夜更かしによる睡眠不足など体力低下の原因は様々にあげられますが、これはもはや学校だけで解決できる問題ではありません。


◆ 体力=気力=学力=意欲

 現代の教育が抱える問題では学力低下が大きくクローズアップされていますが、私は教育の現場に身を置く者として、学力の低下そのものよりも、そして学習内容それ自体よりも、もっと問題視すべきなのは「学ぶ意欲の低下」についてだと思っています。
 体力・運動能力の低下は、子どもの精神面に大きな影響を与えると考えらています。文部科学省の調査によると、体力のある子どもほど意欲や気力、集中力やねばり強さなどに優れているという報告もあります。


◆ 子どもの体力向上基本法制定を目指して

 私はこの度「子どもの体力向上の実現を目指す議員連盟」に参加させていただきました。
 言うまでもないことですが、体力は、子どもの発達・成長を支え、創造的な活動をするために必要不可欠なものです。この議員連盟で私たちは「子どもの体力
向上基本法」の議員立法を目指しています。現状の学校教育の枠組みにおける体育指導に加えて、さらに子どもの体力向上の機会を増やしていくために。それに
は私が今取り組んでいる地域スポーツクラブを始めとする、新たな地域コミュニティ活動が重要な意味を持ってきます。法律・国の施策・学校・地域・家庭が一
体となって、体力・気力・学力にわたる子どもの生きる力全体の向上を目指していきたいと思います。


◆ キッズサッカージャンボリー開催

 県南各市の幼稚園、埼玉県クラブユース連盟のご協力をいただき、川口市・鳩ヶ谷市の両教育委員会から後援を得て昨年11月に開催し、多くの皆様からご好
評をいただいた「キッズ(U-6)サッカージャンボリー・県南大会」。その第2回大会を、この11月27日(日)に川口市青木町公園総合運動場(陸上競技
場)にて実施いたします。
 子どもたちに夢と希望と健康を与えられる環境をつくりたい。それは私の政治家として、また教育者としての最大のテーマのひとつです。
 子どもの体力低下を取り巻く問題では、日常的にスポーツをする子とほとんどしない子の2極化ということも指摘されています。私はこの大会を広く門戸を開き、多くの子どもたちにサッカーという素晴らしいスポーツに触れる機会を持ってもらいたいと願っています。
 神経系の発達が盛んな幼児期には遊びや運動を通じて多くの動作を体験させることが重要ですが、基本的な身体動作を多数含み、集団内でのチームワークを学べるサッカーは幼児の心身の発達にも適しています。
 当日は、大宮アルディージャのプロ選手がサッカーを教えてくれるサッカークリニックも開催します。
 多くの皆様からのご協力をいただき、末永く続けたいと願っているこの大会。読者の皆様方にはぜひグランドにお越しいただき、子どもたちを応援していただければ幸いです。

新 藤 義 孝

第76号 わが国の財政赤字を考える-私たちの暮らしと日本のあり方

予算編成ゲーム 「財務大臣になって予算を作ろう」
(財務省ホームページ http://www.mof.go.jp/)より

◆ 消費税が上がる?

 10月24日、自民党財政改革研究会が財政再建に向けた報告書の中間取りまとめを発表し、膨れ上がる社会保障費の財源として消費税を充てる考えを示しま
した。具体的な税率には触れていませんが、社会保障費の伸びが経済成長並みに押さえられたとしても税率が10%台になるという試算もあります。
 私たちの毎日の消費生活に直結する問題ですから諸手を挙げて賛成という人はいないでしょうが、そもそも何故こうしたことが言われるようになったのでしょうか?
 近頃、メディア等では「国家破綻」「あなたの預金がゼロになる」…などといった刺激的な文句も見受けられます。わが国の財政はそれ程危機的な状態なのでしょうか?
 これは、今後のわが国のあり方を考える重要な問題です。現在の日本の財政状況を簡単に触れながら、皆様とともに考えてみたいと思います。


◆ 莫大な財政赤字に頭を抱える日本

 まず、平成17年度のわが国の財政(一般会計)を見てみましょう。約82兆円の歳出に対し、税収は5割強の44兆円。不足分は借金(国債)で賄っている状況です。しかも歳出のうちの2割以上が国債の返済や利払いに充てられています。
 わが国の財政状況は、バブル経済崩壊後、景気の低迷による税収の落ち込みや経済対策に伴う財政支出の拡大・減税措置により急速に悪化しました。歳入と歳
出には毎年大きなギャップ(財政赤字)が生じており、そのギャップを借金で埋めていることにより、毎年新たな借金が積み重なっているのです。

 平成17年度末には国と地方をあわせた借金残高は774兆円にものぼる(GDP比151%)と見込まれています。
 現在のわが国の財政は、第2次大戦当時に迫る勢いで悪化しており、他の主要先進国と比べても最悪の水準にあります。
 一口に774兆円といっても額が膨大すぎてピンときませんが、一万円札で積み上げると富士山の2,050倍、総人口で割ると国民一人あたり600万円の借金をしていることになるのです。

平成2年は歳入が60兆円、歳出が69兆円。ところが平成17年には収入と支出の差は38兆円にものぼっています。平成10年以降は、毎年30兆円以上の借金を重ねています。

◆ 財務大臣になって予算をつくろう

 財務省のホームページにおもしろいゲームが掲載されています。「予算編成ゲーム~財務大臣になって予算を作ろう」(表紙参照)です。
 「医療」や「公共事業」などの歳出項目について「○%減額」または「○%増額」と打ち込むと、国の一般会計の基礎的財政収支(プライマリーバランス)がどうなるかが示され、「赤字拡大」「赤字縮小」「黒字化」などの結果が表示されます。
 政府は、2010年代初頭の基礎的財政収支の黒字化を目指しています。つまり、その年の収入でその年の政策を賄っていこうということです。一般の家計なら当たり前のことですが、現在のわが国は新しく借金をしながら政策を展開していると言う状況なのです。

 超高齢社会と人口減少に直面している私たちは、どのような経済社会を目指すべきでしょうか。北欧型の高福祉・高負担を目指すべきなのか、米国型の低福
祉・低負担を目指すのか、或いは、その中間の中福祉・注負担を目指すのかは、国民の皆様の考えに寄ることです。それだけに、どのような社会を目指し、どの
ような負担を皆様にお願いするのかを明確に示すことは政治の重要な責任だと思っています。
 皆さんも是非、上記のゲームを財務大臣になったつもりでチャレンジして、わが国の財政と今後のあり方について考えてみませんか?

新 藤 義 孝

第75号 加速する構造改革-郵政法案成立のその後



◆ 郵政法案成立

 10月11日の衆議院本会議、続く14日の参議院本会議で郵政民営化法案が可決されました。前国会で廃案となった同法案は、8月の衆院解散と9月の総選挙という政治的激動を経て国民の皆様の大きな支持のもとで成立するに至ったのです。
 明治4年に始まった日本の郵便制度。以来130年余を経た今、郵便物の引受総数は年間250億通、郵便貯金残高220兆円、簡易保険の総資産120兆
円、常勤職員は国家公務員の3分の1を占める28万人という巨大組織に成長しました。日本の個人金融資産の1400兆円の4分の1は郵貯・簡保が占めてい
ます。ドイツやフランスにも同様の郵便貯金がありますが、残高は日本の10分の1以下に過ぎません。その民営化は、明治以来の大改革なのです。

 関連6法は今月中に公布され、政府は来年4月に郵政民営化委員会を設置します。2年後、国営の日本郵政公社は解散し、郵政事業は民営化した4事業会社に
分割して引き継がれます。郵政法案の成立を皮切りに、財政再建、行政改革、公務員制度改革、社会保障制度改革、政府系金融機関改革など、改革への取り組み
は今後さらに加速していきます。

 「構造改革を断行し、政府の規模を大胆に縮減していく」-今国会の所信表明演説で、小泉総理は郵政民営化法成立後のテーマをはっきりと示しました。改革
の方向は、「誰もが安心して豊かに生活できるよう、国民への負担を少なくし、簡素で効率的な政府をつくること」です。


◆ 加速する改革と歳出削減

 総選挙中に小泉総理が繰り返していたように、郵政民営化はあらゆる改革の突破口となるものです。
 憲法や教育基本法といった国のあり方に関わる問題。福祉や年金、医療など私たちの暮らしに直結する課題。さらに、少子高齢化・人口減少化を迎えるわが国の経済の変化に合わせた小さな政府への構造改革は待ったなしの状況です。

 今のわが国の財政は危機的な状況にあります。国と地方の長期債務残高はGDPの1.5倍にあたる774兆円にも達する見通しです。国民一人当たり600万円超の借金を背負っていることになり、先進国の中でも最悪の水準となっています。
 わが国の財政を再建し、新たな借金に頼らずに財政の政策的な経費を賄っていくこと、基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化するには、徹底した歳出削減が不可欠です。
 郵政民営化は公的部門への資金の入口の改革であり、資金の出口の1つである政府系金融機関の改革は急務です。政策金融のゼロからの見直しが必要であり、
役割を終えた機関は廃止、民間でできるものは民営化するという大胆な改革が必要です。また、小さな政府実現のためには、総人件費削減を含む公務員制度の改
革も避けられません。仕事のやり方や人事制度にまで踏み込んだ改革も同時に進めていかなければなりません。
 一般会計の2.5倍にも膨れあがった、官庁が縦割りで管理している特別会計の抜本的見直しも重要課題です。
 従来、こうした公的部門の削減は、関係省庁や族議員、利益団体の抵抗によってなかなか進展しませんでした。既得権者の抵抗を排し、無駄を廃し、時代の変化に応じた適切な政府規模を実現すること。それが今回の総選挙で示された民意だと認識しています。
 「週刊新藤」ではこうした改革の取り組みについて、逐次皆様のもとへ国会の生の現状をお知らせして参ります。

新 藤 義 孝

第74号 マスコミ報道のあり方に想う-ある番組の取材を通じて


 
26歳の最年少議員、郵政民営化特別委員会で質問に立った女性議員など、自民党の新人議員がマスコミで話題になっています。応援、批判、様々なご意見が出
ているようですが、私はこのしがらみに縛られることのない新世代の議員たちに大いに期待しています。その自由な個性を伸ばして、巨大政党となった自民党に
おいてさらに党内論議を深める力になってくれるのでは、と思っています。また、若い人たちが政治に関心を持つようになる架け橋となることを願っています。
 さて、この度の総選挙戦は「劇場型」などと呼ばれ、「刺客」「くノ一」などといった刺激的な言葉も飛び交い、かつてない程のマスコミの注目を浴びまし
た。良きにつけ悪しきにつけ、マスコミが政治に及ぼす影響は非常に大きいものがあります。今回は、私が今まで政治家として活動してきた中で、マスコミの報
道や取材のあり方について感じたことを少しお話させていただきたいと思います。

 
今までに私も何度もテレビ出演や、新聞雑誌等の取材を受けてきました。しかし大抵において、制作者サイドはその意図に沿って取材内容を取捨選択して報道し
ます。私の経験では、取材された側の意が充分に尽くされた報道は希なのです。私はそこに、取材する側とされる側の「信義」、報道する側とそれを受ける側の
「信頼」の問題を感じないではいられません。

 先日、とあるテレビ局から私の国会事務所に取材申し込みの電話がありました。「数日後に放映したいので、取材に応じられる日を連絡下さい」ということでした。
 前号でもご案内したように、私は今国会で郵政民営化特別委員に任命されており、委員会審議等でどうしても時間が取れそうにありません。対応した秘書がそ
のように伝えると「取材を拒否されたと見なし、番組でその旨を放送します」と言われたのだそうです。秘書はすっかり慌ててしまい、報告を受けた私は、委員
会の合間を縫ってテレビ局に電話をしました。
 先方の取材内容についてコメントしていると、どうも電話の音がおかしいことに気づきました。不審に思い尋ねてみると、「実は電話の内容を録音しています。後ほど言おうと思っていたのですが…」との返事。
 これはまさに双方の信義の問題です。取材内容の録音は相手の了解を得るのが倫理的に当然であると告げると、相手もそれを認め「今回の取材はなかったものといたします」ということで決着しました。

 私はふと、NHK番組改変についての朝日新聞報道問題を思い起こしました。そして、私も報道陣から録音をされる対象になったのかと改めて認識し、身が引き締まる思いがしました。
 思い起こしますと、かつてある国を訪問した際に、日本の事務所や家族にした電話を全て録音されていたこともあります。呼び出し音の後で、明らかに電話の
トーンが変わるのです。友好的な関係を結んでいる国においてもこうした現実があります。加速する情報化社会の厳しい側面を見た思いがしました。 

 個人情報保護法の施行によりマスコミの方の取材や報道への規制も厳しい現状があるのかもしれませんが、法体系の整備もさることながら、信頼と安心のできる社会に向けてモラルを高めていくことが大事なのだと感じた一幕でした

新 藤 義 孝

第73号 「議論する自民党」-より開かれた政策決定のために



◆ 与党議員の責任の重み

 自民党296議席。公明党31議席。衆議院全480議席中327議席を獲得した自民・公明連立与党は、たとえ参議院で否決された法案であっても衆議院において3分の2以上の多数で再可決することが可能な「力」を手に入れました。
 これは国民の皆様の信任を得られた結果であり大変ありがたいことと受け止めておりますが、同時に野党勢力の退潮は、国会における与野党の伯仲した議論の
減少にもつながってしまいます。私たち与党議員は、数の力に頼った横暴につながりかねない強引な政権運営は厳に慎まなければなりません。
 こうした状況下では、法案成立過程に重要な役割を果たしている自民党の党内議論の重みは一層増大していきます。自民党議員は、自らに課せられた責任の重大さを自覚し、さらに党内での議論を活性化させるよう努めていく必要があります。


◆ 政党政治と党議拘束のあり方

 国会に提出される法案は、政権与党である自民党内であらかじめ検討がなされます。
 各省庁から上げられてきた政策は、総務部会、経済産業部会、外交部会など各省庁に対応した12の「部会」と呼ばれる会議で議論がなされます。そして、政調審議会、さらに法案承認の最高意思決定機関である自民党総務会に諮られ、党議決定となります。
 そうしたプロセスを経て国会へ提出される法案には、特別な場合を除き党議拘束がかかります。その決定には全会一致が慣例となっていますが、郵政民営化法
案の修正案を審議した6月28日の総務会では、反対派の激しい抵抗より初めて慣例を破って挙手による多数決に踏み切り、反対派から「全会一致の前提がない
以上、党議拘束は無効だ」と反発を生じたことは記憶に新しいところです。
 「党議拘束」とは、提出された法案に対して賛成か反対かを党としてあらかじめ決定し、所属する議員の投票行動を拘束することです。政党政治の根幹であり、党全体として議論をして結論を出したという証(あかし)でもあります。
 我が国の国会では法案が提出された時点で党議拘束がかかります。従って皆さんがTVの国会中継でご覧になる委員会審議の場では、各党議員の賛成・反対は
既に決まっており、法案の中身というより、如何に法案に賛成か反対かという自分達の立場や意見を表明している場が委員会なのです。
国会審議の現状は、厳しい党議拘束の下、与党が野党の抵抗を排しながら如何に採決にこぎつけるかという、スケジュール闘争の場になりがちです。
 この度の巨大与党の出現はさらにこの状態に拍車をかけることにもなりかねません。私はこうした現状を打開するための工夫として、委員会審議では党議拘束を外し、与野党を問わず国会議員の自由な意見や提案のもとで法案審議や修正を行えるようにしては、と考えています。
 党議拘束は委員会採決を経て本会議での最終採決時点にかけるものとし、それに先立つ委員会審議ではより議論を深めるために議員活動の自由度を上げてはどうかと思っているのです。

 私は、自民党内にあって「派閥政治の打破」を始め、自民党のシステムを改革することを一貫して心がけてまいりました。 その核心の狙いは、旧来からのしがらみや族議員に代表される利権構造を取り除き、広く国民の声を取り入れた政治を実現することです。
 来月11月15日には結党50年を迎える自民党。良き伝統を受け継ぎながら、新しい時代を切り拓いていく為に党内議論をさらに深め、より開かれた政策立案の機関とするよう微力ながら力を尽くして参ります。

新 藤 義 孝

第72号 「3期目にかける想い」-新たなるチャレンジ


◆ 第163回特別国会開会 ― 郵政民営化特別委員に

 9月21日、第163回特別国会が開会されました。衆議院の解散・総選挙後に召集される特別国会は、首班指名(総理大臣指名選挙)や正副議長選挙などが
行われるのみで数日間で閉会するのが通例ですが、今回は郵政民営化法案などの重要法案を処理するために、11月1日まで(42日間)と異例の長さとなって
います。
 私にとっては1年10ヶ月ぶりの国会です。皆様ご存じのように、国会議事堂は中央の塔を境にして、左側が衆議院、右側が参議院と左右対称の造りとなって
います。中央玄関は普段は閉じられていますが、開会式の日に天皇陛下をお迎えする時と、衆・参議院選挙後の国会招集日に議員が登院する時のみ開かれます。
この中央玄関を通るのは実に5年ぶりです。
 議員バッジを胸に付けていただき中央広間に入ると、四隅には我が国の憲政の立役者である伊藤博文初代総理大臣、大隈重信候、板垣退助候の3人の銅像と、
空の台座がひとつ置かれています。この台座には、「政治は常に未完であり、さらに偉大な政治家の登場を期待して空けてある」という逸話があります。
 再びここで働ける立場を得られたことに深く感謝の念を抱くとともに、有権者の皆様から託されたこの国の改革にかける想いの強さと責任の重さを改めて強く自覚しました。
 今国会で私は、経済産業委員会の理事を拝命し、また最大の眼目である郵政民営化に関する特別委員に任命されました。まずは、いただいたお役目を誠実に、着実に、熱意を持って果たして参る所存です。


◆ 3期目にかける想い - 「政治を身近に」を信条に

 
1年8ヶ月の浪人生活を経て、地域産業の振興、治安、環境、医療、教育、福祉など地域の皆様の暮らしに根付いた活動を心がけて参りました(その一部は、過
去に「週間新藤」でも取り上げさせていただきました)。そして、思いもよらぬ程の大勢の皆様が暖かく迎え入れて下さったことに、人の絆の大切さ、想いを繋
ぐことの意義深さを身にしみて感じました。
 私を再び国政の場に送っていただいたのも、川口・鳩ヶ谷の街に住む一人ひとりの想いを国の政策に反映させるためのものであることと、すなわち、私は地元の皆様の代弁者であることを、改めて心に誓いました。
 今回の総選挙の結果は、国民の改革への大きな期待の表れと受け止めております。改革への成否が一層厳しく問われることになり、緊張感を持って仕事を進めていかねばなりません。
 そして、思慮すべきは、「郵政改革」のその後のことです。戦後60年を経、世界情勢が急変する今日、我が国の仕組みは根本から変えていく必要がありま
す。行財政の構造改革を断行し、小さな政府を確立すること。憲法や教育基本法といった国の背骨と整える問題から、税制や年金、少子化対策、中小企業対策な
ど暮らしに関わる改革に着手して参りたいと思います。
 政治とは本来、皆様の暮らしと密着したものです。「政治を身近なものに」を信条に、これからもこの「週間新藤」を通じて、皆様へのご提言を続けて参ります。

新 藤 義 孝

第68・69号 日本再生(リセット) 私のビジョン-1 道州制の導入を


◆ 破局に向かう日本

 私は66・67号の週刊新藤で、今こそ我が国の将来のビジョンを明確にすることが政治の責任、と主張させていただきました。その最大の柱が「小さな政府と地方分権」です。
 そして、この実現の鍵を握るのが今週号で取り上げる「道州制」です。
 私たちの国は現在破綻一歩手前の危機的な状況に置かれています。

 仮に、年収450万円のサラリーマンの家庭があるとします。しかし、年間650万円もの生活費がかかっており、おまけに抱えている借金の元利金返済に
170万円が必要なので、結局200万円の赤字と合わせて370万円を新たに借金しなければならない...「早晩この家庭はまちがいなく破綻する」と誰も
が考えることでしょう。しかしこれが、今の日本の財政状況なのです。
 国の平成16年度予算の歳入は45.5兆円、歳出は82.1兆円。この差額は毎年、建設国債や赤字国債という国の借金で補っています。この借金の累計残
高は加速度的に増えており、平成17年3月末時点での国の債務残高は781兆5517億円で、過去最高を更新しています。この莫大な借金は未来へと先送り
され、次世代を担う子どもたちに背負せてしまっているのです。


◆ 江戸時代の分権連邦国家

 明治以来130年間、日本は官僚主導の中央集権国家でした。「欧米に追いつけ追い越せ」。経済を発展させること、東西冷戦のはざまでアメリカと協調する
ことが国の目標だった時代には、優秀な官僚がその方針に沿って判断し進めて行くほうが効率が良かったわけです。しかし今、我が国の社会構造は大きく変貌し
つつあります。少子高齢・人口減少が目前に迫った今、日本の国体(国のあり方)をもう一度考え直さねばならない時期に来ているのです。

 江戸時代は、外交や防衛は幕府の仕事でしたが、税金や治安・教育を含めて領土内のことは各藩がそれぞれ取り仕切っていました。財政負担の軽い中央政府
と、財源を含めた大きな権限を持つ自治体からなる分権連邦国家だったのです。私たちは今、この江戸時代の国のあり方を見つめ直してみる必要があります。
 すなわち、政府はできる限り小さくして、マクロ経済や外交、安全保障など国の全体に係わる仕事に特化します。一方で地方には権限と財源を移し、その受け皿として道州制を取り入れる新しい国の統治システムです。


◆ 道州制とは何か?

 
「道州制」とは、日本国内にたくさんの「政府」をつくる仕組みのことです。道州とは、いくつかの都道府県を合わせた規模の広域的な自治体のことを言います
が、現在の「都道府県」という制度をやめて、例えば関東州や東北州といったように全国を10程度の道や州に再編するのが道州制です。そして、この道州単位
に地方政府を置き、基礎自治体を約1,000ヶ所程度配置し、より地域の特性に合わせた政策を地域住民のニーズに沿って展開できるようにしよう、という制
度です。

 戦後の復興から経済大国となり、社会資本が成熟した我が国において、気候から風土、物価や経済活動、そして人口密度も違う北海道から東京、大阪を経て沖
縄まで、一つの政府が一つの法律で画一的に統治すること自体、既に無理があることは皆さんもお感じのことと存じます。


◆ 道州制が実現したら

 道州制が実現したら、日本は、そして私たちの暮らしはどうなるのでしょうか?
 道州制が導入されると、各地方に政府ができることになります。すると道州という地方単位で、それぞれ独自に固定資産税や住民税などを始めとする法律や制
度を決めて、自分たちの地域に合わせた政策ができるようになります。また、政府が住民生活により近づくため、住民の声が政策に反映されやすくなります。
 
税制・教育・住宅・医療など、その州に住む人たちの意思による、地域の特性を生かした行政を実施することができ、また、48の都道府県が10程度に、約
2,500の市町村が1,000程度に、しかも規模をそろえて配置されることにより、議員や公務員の削減と行政経費の縮減が図れます。
 官僚主導から民間主導となり、諸々の規制が緩和・撤廃され、各方面の既得権が解消され、政官業の癒着もなくなります。
 国の仕事量が大幅に減り、財政を縮小することにより莫大な国の借金を減らすことが可能になります。

 行き詰まりを見せ、閉塞感あふれる我が国の現状を一新するために。私は、我が国の将来のビジョンを「日本再生(リセット)」と名付け、皆様に提案して参りたいと存じます。
 今回は、住民自身が地域のことに関心を持ち、「自分たちが住んでいる街は、自分たちで創っていく」という住民自治の精神を最大限発揮させるための国の骨格を変える新しい取り組みについてご提案させていただきました。

新 藤 義 孝

第67号 -故 小渕総理から贈られた言葉 - 「政治家は背骨を持て」


◆ 政治家としての信条

 私は、平成8年に衆議院に立候補しました。当時、川口・鳩ヶ谷には29年ものあいだ自民党の衆議院議員がおらず、私は自民党の公認はいただいたものの、派閥に属さず、当然中央からの応援もないという状況でした。
 当選後、橋本総裁と小渕派の小渕会長から、「仲間がいないと仕事が充分にできないだろう」と声をかけていただき、小渕派にお世話になることになりまし
た。当時は、竹下登先生、梶山静六先生、野中広務先生などの勇壮たるメンバーがきら星のごとく並んでいました。その中で、小渕恵三先生は、私をとてもかわ
いがってくれました。ある時、私がいただいた言葉が「政治家は背骨を持て」という訓言です。
 「政治家は自分の信念を貫き通さねばならない。それがたとえ、派閥の意向、党の方針に逆らうものであったとしても、自分がこうと決めたら考えを変えてはならない」 皆さんは意外に思うかもしれませんが、派閥の会長がそう言って若手議員を奮起させてくれたのです。
 背骨のない人間は成長することはできないし、根を張ることもできない。これが、私を今まで支え続けてきてくれた最大の教訓です。


◆ 自民党に明日はあるのか?

 1996年、村山内閣が退陣し橋本内閣が誕生、自民党が政権に復帰しました。翌97年、バブル崩壊で低迷する経済が上向きかけた当時、橋本内閣は国民の
大きな期待とともに、「行政・財政・社会保障・経済・金融・教育の6大改革」を断行するとともに緊縮財政政策を実施しました。しかし、急ぎすぎた財政再建
策が以降の不況を招いたとして、98年の参院選に大敗してしまいます。
 
同年の自民党総裁選には、小渕、梶山、小泉の3候補が出馬しました。「凡人・軍人・変人」と揶揄されたように、当時の小渕さんの人気は最低でしたが、私は
「この混乱した自民党をひとつにまとめるのは小渕さんの人柄しかない」という信念の下、小渕候補の秘書代わりとして、選挙中はずっと付いてまわりました。
総裁選の模様をテレビで見ていた地元の支援者の方からは「人気のない候補者と一緒に映ってしまって、新藤さんの株も下がるよ」などと言われたりもしました
が、私は決して考えを曲げませんでした。
 その後発足した小渕内閣では、「二兎(景気回復と財政再建)を追うものは一兎も得ず」のキャッチフレーズの下、公共投資などの財政拡大政策を展開し景気
回復を優先させました。その効果があらわれた矢先、残念ながら小渕総理が急逝してしまいました。そしてその後継者を選ぶ際に、自民党は密室手法という古い
体質を発露してしまいました。日本のリーダーを選ぶのに、党内にも国民にもはかることなく派閥の論理で無難な選択がなされてしまったのです。森内閣の下で
株価は凋落し、それに合わせるかのように支持率も下落していきました。
 
加藤の乱を経て、森内閣は退陣することになり、私は若手3人の仲間とともに、開かれた総裁選の実施を提案しました。橋本派反乱軍と呼ばれ圧力をかけられま
したが、2001年の総裁選において、麻生・亀井・小泉・橋本各候補との個別懇談会を開催し、議員一人一人の意思で投票する運動を行いました。
 永く政権を担ってきた自民党は、良いところと悪いところをあわせ持っています。外部から自民党を批判するのは簡単なことです。しかし私は単に批判するの
ではなく、自民党を改革するために、「派閥内の派閥反乱軍」から「自民党内の自民党反乱軍」へと向かって歩みを進めるつもりです。


◆ 派閥を超えて、党派を超えて

 現在の小泉内閣が推進する改革は、橋本内閣以来の財政削減・構造改革路線です。一方で、小渕内閣・森内閣の進めた財政拡大・景気回復路線があります。この10年間、日本は大枠でこの2つの方向を行き来してきました。
 
私の政治家としての「背骨」とは、「自分がやっている仕事が、日本の、そして国民のためになるかどうか」ということです。社会情勢、経済状況は刻一刻と変
化します。政治に決められたシナリオはありません。しかし、私はこの「背骨」があったからこそ、自らを見失うことなくやってこれたのだという自負がありま
す。
 今私は、小渕内閣誕生、小泉内閣誕生に続く、3度目の節目に立っています。今まさに、政策とビジョンに基づいて自民党を再編すべき時期に差し掛かっているのです。そしてそれは、自民党のみならず、民主党をはじめとする野党も含めた政界の大編成につながっていくはずです。
 もちろん一人でできる筈もなく、同じ志を持つ仲間とともに、夢と希望の持てる政治の実現のために、自民党を改革し、政治を真に国民のものとするために、私はもがき、あがき続けるつもりです。

新 藤 義 孝

第66号 -国政の混乱に思う- Where there's no vision, the people perish. 「ビジョンなきところ、民は滅びる!」


◆ 国民不在の政局闘争

 国会の政局が混迷の度合いを深めています。
 小泉総理が改革の本丸と位置づけ、今国会最大の焦点とされる郵政民営化問題。しかし、同法案の審議は核心に至らないまま、そして国民に充分な内容の説明
もないままに「民営化」というお題目だけが先行し権力闘争の道具にされてしまっており、国会運営は見るも無惨な状況になっています。
 マスコミ報道においても、与野党の対立、政府与党内の調整、さらには自民党内の造反といった記事ばかりが目立ち、内容に対する議論には国民は置きざりにされてしまっています。
 景気対策、年金・医療などの社会保障制度改革、雇用対策、アジア周辺諸国との外交問題や北朝鮮問題、治安・犯罪・テロ対策等々、国内外において直面している喫緊の課題は山積しており、国民の願いを無視したコンセンサスなき国政運営には憤りを禁じ得ません。
 同法案はわずか5票差で衆院を通過し、舞台は参院へと移されました。しかし、このまま国民不在の政局闘争が加速していけば、国民の政治離れは頂点に達することでしょう。


◆ 皮肉な自民党の分裂劇

 党議拘束や派閥の締め付け、それに対する派閥内外での対立・造反など、自民党の分裂劇も見苦しいばかりです。
 そもそも小泉内閣成立当初のスローガンは「自民党の改革」と「派閥の打破」だったはずですが、それが今、こうした形で実現されつつあるとは何とも皮肉な話です。
 平成13年の自民党総裁選において、私は、「旧態依然とした派閥政治の弊害を打ち壊し、古い政治文化や既得権益のしがらみに縛られない、新しい時代の党
首を生み出す」のだという信念のもと、橋本派に所属しながらも派閥によらない自由な総裁選挙の実施を訴え、若手の仲間とともに行動しました。今でも橋本派
反乱軍という扱いを受けていますが、結果として自民党が変わるきっかけになったと思っています。さらに、「日本再生に向けた未来の国家ビジョンを創造できる新世代の総理を」という理念から、20余名の自民党若手議員らとともに「新世代総理を創る会」を発足させました。
 その後私は、総務・外務の2度の政務官時代を通じて、日本の構造改革の実現に向け微力を尽くして参りました。それ故に現在の政治的混乱は嘆かわしいばかりであり、国政に参加できない浪人の身の自分が悔しくてなりません。


◆ 理念なき国に未来はない

 混乱の原因は郵政問題ですが、本来は「民営化」が目的なのではなく、膨大な財政赤字解消に向けた350兆円もの郵貯・簡保の有効活用、財政負担の軽減と
いう、「官から民へ」を目指す構造改革を具現化した政策だったはずです。その基本的な考え方については私も支持していますが、しかしながら、この日本の経
済システムを大きく変えようとする改革について、長期的視野に立った明瞭なビジョンが私たち国民に示されないことこそが問題なのです。
 “Where there’s no vision, the people perish.” 「ビジョンなきところ民は滅びる」- 聖書に出てくるこの言葉のように、より良い未来への展望があるから人は希望を抱いて生きていけるのです。明るい未来を希求するからこそ、困難と思える目標にも実現に向けて努力していけるのです。


◆ ビジョンに基づいた政党の再編を

 国内での自殺者は7年連続で3万人を越えています。長引く不況が影響しているという点も多々あるのでしょうが、私はそこに、人生の目標や生きる目的を見失ってしまった人たちの悲しい姿が思い起こされてなりません。
 現在、我が国は構造上の激変期にあります。加速する少子高齢化と人口減少に伴うゼロ成長経済、勤労世代の社会保障負担の増加などに対し、従来の社会システムでは対応できない時代に突入していきます。
 今回の混乱を見ていると、現在の自民党ではこの激動の時代の要請に対し、統一された行動ができなくなっていることは明らかです。
 こうした時代に私が考える将来ビジョンとは、「小さな政府」の実現、「地方分権と民間活力の導入」、「安心・安全社会の構築」、「顔の見える国際貢献」等ですが、明確なビジョンを構築することが政治家にとっての重要な使命であり、そうしたビジョンに基づいた、自民党、さらには他党も含む政党の再編成こそが、今最もこの国に求められているのではないでしょうか。

新 藤 義 孝

第64号 三角形が描けない子どもたち    睡眠リズムの乱れと子どもの問題行動

 以前この週刊新藤でも取り上げさせていただいた子どもの精神的な障害。とりわけ、注意欠陥・多動性障害(AD/HD)等といった問題について、睡眠リズムの乱れがその原因のひとつと考えられるという研究が最近なされています。


◆ 少し「気になる」子どもたち

 政治の世界に身を置く私にとって、小さな子どもたちと接する時間は、心休まる実に貴重なひとときです。私が園長を務めるふたば幼稚園の子どもたちは、みんな素直で明るく元気な子ばかりで...と言いたいところなのですが、中にはちょっと「気になる子」もいます。それは、みんなが楽しく遊んでいる中ひとり無気力であったり、特にわけもなく攻撃的だったり、我が強くて通らないとバニックになる、などの行動を起こす子、などです。
 現代を生きる子どもたちは、私たち大人が考える以上にさまざまな悩みやストレスを抱えていると言われています。こうした問題は、より専門的には小児神経
科の専門医と連携して対処すべき課題であり、私も政治家としてそうしたネットワークづくりにも着手しています。それと同時に、教育者としての立場から、こ
うした子どもたちを現場でどう指導していったらいいのか、その方法も模索し続けています。


◆ 三角形を模写できない幼児たち

 しばらく前の話になりますが、新聞で興味深い記事を読みました。幼児の脳の発育と睡眠環境との関係を調べている大学の先生の研究結果です。それによる
と、5歳児を対象に三角形を描かせる調査をしたところ、角がなく丸いもの、斜線がギザギザになっているものなど、きちんとした三角形がかけない子どもたち
が増えているというのです。
 そして、2週間にわたり子どもたちの睡眠時間を調べてみた結果、寝起きの時間に1.5時間以上のばらつきがある子どもたちの76%が、保育者から
「ボーッとして無気力」「理由のない攻撃性を示す」など「気になる子」だとの指摘を受けており、また36%が三角形の模写が上手にできない子どもでした。
一方、睡眠リズムが正常な子どもたちの方は、「気になる子」と指摘されたのは12%、三角形の模写ができない子も11%だけだったというのです。
「三角形の模写は、視覚認知を運動機能に結びつける能力の検査で、水平や垂直な線に比べて難しいため脳の発達を調べる指標になると考えられている。一般的
に4歳半から5歳半にかけて可能になるといわれており、三角形がうまく描けないということは、それだけ発達の過程が阻害されている、という意味になる」の
だそうで、睡眠リズムの乱れが脳と情緒の発育に悪影響を与えている可能性があるという、実に考えさせられる指摘でした。


◆ 夜型化する子どもたち

 朝元気良く家を出て、昼間は思う存分体を動かし、夜には遊び疲れてぐっすり眠る、というのが子どもたちの本来の姿であるはずです。
 ところが、24時間営業の店や娯楽施設の増加など親御さんのの生活が深夜化する中で、子どもたちの日々の生活がその夜型のサイクルに合わせざるを得なく
なっている現状もあるのでしょう。もう少し年齢が高くなると、受験勉強やテレビゲームに夜遅くまで熱中したりすることで、さらに就寝時間が遅くなってし
まっているのでしょう。
 右記の就寝時間についての調査結果を見ると、この20年間で、10時以降に寝る子どもは2倍以上に増えており、特に4~6歳という活動が活発になる年齢での夜更かし率は4倍にもなっています。
 本来、体温が最も高くなり活動的になるのは午後3時頃だそうですが、遅寝・遅起きの子どもは、朝は眠っている時の低体温の状態で起こされて、機嫌の悪い
まま午後まで過ごしてしまいます。そして、夜になってから体温が上昇して活動的になるため、寝かしつけても眠れないという悪循環に陥ってしまうのだそうで
す。


◆ 親の夜更かしが子に影響

 かつては、夜の8時ともなれば子どもが楽しんで過ごす手段はなかったものですが、現在は、レンタルビデオの普及やテレビの多チャンネル化で子ども向けの
番組が四六時中見られる状態にあります。親と一緒にテレビを見たり、ゲームをすることで夜遅くまで起きているというケースも非常に多いと考えられ、子ども
の夜更かしに対する親の抑制意識も大分低下しているように思えます。
 楽しいことがたくさんあれば、子どもはなかなか布団に入りたがらず、寝かせるのはひと苦労でしょう。しかし、子どもたちの心や情緒を健全に育むためには、現代社会の生活リズム、私たち親の生活スタイルを見直してみることも必要なのではないでしょうか。

新 藤 義 孝

第63号 全ての戦没者を追悼する国立追悼施設の建設を!


◆ 英霊への参拝と「不戦の誓い」

 中国や韓国からの批判は一向に衰える気配がありません。加熱する靖国神社問題に対し、今回の週刊新藤では私が国会議員時代から思索してきた所見を述べさせていただきたいと思います。

 硫黄島の司令官として戦死した、私の祖父・栗林忠道は、靖国神社の遊就館に特別展示され祀られています。私はこれまでも靖国神社には何度も参拝していますし、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」にも所属しておりました。

「国家のために尊い犠牲となられた方々を想い、その霊前に向かい、二度と悲惨な戦争を起こさないよう改めて平和を心に誓う」
 私は遺族の一人として、憂心の情から為る参拝という行動が政治闘争や外交カードの道具と見なされ、批判されてしまっている現状が無念でならないのです。靖国神社は魂の眠る場所として騒動や世俗から離れ、静かにしておいて欲しいというのが遺族としての素直な気持ちです。


◆ 全戦没者を追悼する施設はどこに

 靖国神社に祀られているのは、国家の一員として戦った兵士だけであり、東京から沖縄まで空襲や市街地戦闘で亡くなった方、広島や長崎の原爆被害者の方たちなど、一般の民間の方は含まれていません。

 
通常、どこの国にも無宗教の国立追悼施設があります。有名なものに、アメリカのワシントンにある、26万人の戦死者が眠るアーリントン国立墓地がありま
す。日本の首相を始め、外国からの賓客はたびたびここを訪れて追悼の意を捧げます。私も大臣政務官として出張した際には、日本政府の一員として訪問させて
いただきました。

 一方で日本においては、戦没者の追悼をしたいという来日した賓客をどこに案内しているのでしょうか?
 
憲法の政教分離の定めにより、宗教施設にお連れすることはできません。外務大臣政務官時代、私は国賓の応対をすることがしばしばあり、そして、そのスケ
ジュールを組む際に、「日本にある戦没者追悼施設を訪問したい」という要望が多くの方からありました。しかし外務省の対応として、「お連れするのに相応し
い場所がない」と丁重にお断りをするしかなかったのです。

 千鳥ヶ淵にある戦没者墓苑は、身元不明者等遺族に引き渡すことのできない遺骨が祀られている場所であり、全ての方の象徴となる施設とは成り得ないのです。

 他国を訪問した際に、その国の戦没者に敬意を表し追悼施設に赴くのは国際的な儀礼です。日本にはそうした無宗教の全戦没者追悼施設がなく、それは国家的な不備だと国会議員時代から指摘してきました。


◆ 国立追悼施設の建設を

 小泉総理の就任後、当時の福田官房長官から国立追悼施設建設に関する報告書が提出されました。しかしその後の議論は進展していません。とりわけ自民党の中に最大の反対勢力があるというのは何とも残念なことです。

 「新施設の建設は靖国神社を軽視することになる」という批判もありますが、新施設は決して靖国神社と競合させてはならず、全く別個の存在としなければなりません。
 新国立追悼施設は、内外の人々がわだかまりなく追悼の意を奉げることのできる平和祈念のための記念碑を中心とする無宗教の施設です。毎年8
月15日には、武道館に花いっぱいの無宗教の祭壇が築かれて、天皇陛下を始め、総理大臣や両院議長・最高裁長官など三権の長が揃い全国戦没者追悼式を執り
行っています。つまり新施設とは、終戦記念日に設置されるこの祭壇を恒久化したものをつくろうという話なのです。


◆ 戦後60年の今こそ決着を

 無宗教の国立追悼施設を建設すべきだという話は、前々からありました。しかし、戦争の当事者や配偶者、そして子供の世代は、戦争の生々しい記憶が残っており、感情的にも、こうした議論を受け容れがたい状況にあったのは無理のないことです。
 ならば、戦後60年を経た今、戦争当事者の孫の世代にあたる私たちこそが、この問題に決着を付けなければならないのです。

 決して外国の圧力からではなく、日本の国家としての平和の願いと不戦の誓いを示すという主体性を持って、一刻も早く国立追悼施設を建設する必要がありま
す。そして何よりも、靖国神社問題が、外交の交渉材料や政治的思惑によって騒がれている現状を早急に解消してもらいたいと思います。靖国神社に眠る英霊の
皆様は、静かに、永遠にお守りしていかなければなりません。

新 藤 義 孝

第62号 「クールビズ」って、ノーネクタイのこと?


◆ 地球温暖化と海中に沈む国

 石油・天然ガス・石炭などの化石燃料の使用によって、大気中の二酸化炭素濃度はこの100年間に30%増えていると言われています。また、メタンやフロンなどの他の温室効果ガスはさらに急速に増加しています。このままでは21世紀末には二酸化炭素濃度は現在の2倍以上になり、地球全体の平均気温は今より1.4度以上上昇し、海面水位が最大88cm上昇するという予測もあります。
 このような急激な気温の上昇は、世界中の気候と環境を変えてしまう可能性があります。低地や島国などの水没、洪水や渇水などの異常気象、農作物への重大な影響、マラリアなどの伝染病の増加など、人類に深刻な打撃を及ぼしかねません。

 こうした問題を考えたとき、私は3年前に視察に訪れたモルディブで、子どもたちが言っていたことを思い出します。「今のままでは私たちの国は海の中へ沈んでしまう」と。モルディブはインド洋上に浮かぶ珊瑚礁でできた島国です。海抜1mしかないこの国は、温暖化の影響で100年後には国土の80%が水没してしまうのではと言われています。


◆ 京都議定書とCOマイナス6%

 今年2月、二酸化炭素(CO)を始めとする温室効果ガスの削減を国際的に取り決めた「京都議定書」が発効されました。日本の目標数値は2012年までに1990年比で6%の排出量削減となっていますが、現状では逆に8.3%増加しており、目標達成が危ぶまれています。
 COの排出量は、企業努力により削減量を積み重ねてきた産業界では斬減傾向にあるものの、オフィスや家庭などの民生部門では増加する一方なのです。


◆ クールビズと環境への意識

 全世界的に深刻化している地球温暖化という問題に対し、国や企業だけでなく、私たち一人ひとりが取り組めることは何でしょうか? そのひとつが、今夏、政府が推進している「クールビズCOOL BIZ」です。涼しく効率的に働くことができるようなノーネクタイ・ノー上着などの軽装で、オフィスの冷房を28℃程度に設定しようという運動です。
 6月1日の衣替えの日、小泉総理が沖縄で親しまれている「かりゆしウエア」を着てアピールするなどし、その動きは政府や官公庁、そして地方自治体にも広がっています。

 上着を脱ぎネクタイをはずすと、体感温度はおよそ2℃下がるとされています。全国の事業所で冷房温度を26℃から28℃に上げると、原油換算で31万キ
ロリットル(ドラム缶155万本分)が節約でき、ひと夏で約200万トンの二酸化炭素を削減できるという試算もあります。
 これは温暖化対策のみならず、エネルギー自給率が4%しかない日本にとって、省エネという観点からも期待が持てます。
 かつて、省エネルックという上着の袖を半分にした珍妙なファッションも登場しました。夏場の省電力問題は古くから言われておりますが、なかなか効果を上げることができませんでした。


◆ 日本人のセンスアップのためにも

 埼玉県議会では、全国に先駆けてクールビズを取り入れて、本会議場を含むすべての場で軽装を認めています。川口市議会においても、委員会などでは軽装が認められました。
 今回のクールビズ運動は、小泉総理が先頭に立って始まりました。国会のテレビ中継を見ると、始めた頃は閣僚の皆さんもあまり居心地がよさそうではありま
せんでしたし、見ている私たちも見慣れないせいかシャツのみが浮いているように感じたものです。しかし、日が経つにつれ、だんだんおしゃれな議員も見受け
られるようになり、サマになってきたと思います。

 私は国会議員時代、数多くの国際会議や難民支援のために海外に出かけましたが、その時に気になっていたのは日本人の服装のセンスでした。他国の人たちがカジュア
な服装をしたり動きやすい格好をしている場所でも、日本人はスーツとネクタイを着用している人が多く、あか抜けないことこの上ありません。国際社会の場に
出ても、日本国内の人間関係や習慣を優先させているのです。被災地の現場を視察するとき、そして暑いときに、無理にスーツやネクタイを着用する必要はない
と思いませんか。
 地球温暖化防止対策として大上段から論じるばかりでなく、TPOによって服装を使い分ける、日本人の服装を自然に無理なく場面や環境に合わせていくセンスアップの一環として、このクールビズ運動を活用してみてはどうかと、私は感じています。


◆ 私たちにできること

 クーラーの使用過多は、更なる弊害も生み出します。室内を冷やしすぎると、めまいや頭痛などの冷房病を引き起こす場合もあります。また、クーラーの排熱
により屋外が更に暑くなってしまい、都市部の気温が郊外よりも高くなる「ヒートアイランド現象」も生じています。東京や大阪などの都市部では、この100
年間に平均気温が2~3℃も上がっているという調査もあります。
 クーラー依存の悪循環から抜け出し、ライフスタイルを改善していくこと。これが、個人で取り組むクールビズの主眼だと思います。「美しい環境を子どもたちに残すこと」- それは私たち大人に課せられた責務です。

新 藤 義 孝

第61号 環境問題と治安対策、「落書き消し」と「ガムの除去」


◆ 落書きを一掃したニューヨーク

 1992年に2,262件の殺人事件を記録したニューヨーク市は、まさに世界有数の犯罪都市でした。
 治安が悪化し続ける同市では、特に凶悪犯罪の取り締まりに力を入れていました。しかし市警察の努力にもかかわらず、中でも地下鉄での凶悪犯罪は多発する
一方でした。そこで、地下鉄を管理する市交通局は、巨費を投じて治安回復に向けたプロジェクトを発足させました。そのプロジェクトとは、意外なことに「落書きを消すこと」だったのです。
 当時、ニューヨークの地下鉄のホームや車両には、いたるところにおびただしい数の落書きがありました。「落書き消しなどの他にもっとするべきことがある
だろう」と批判もありましたが、徹底的に落書きを消していくという作業が続けられ、そして落書きが一掃された5年後には、悪名高かった地下鉄内の凶悪犯罪
が減少し始めたのです。

 1994年にニューヨーク市長に就任したジュリアーニ氏は、地下鉄で成果を上げた犯罪抑制対策を推し進め、市内の落書きを消し、さらには、凶悪犯罪では
なく、万引き・未成年者の喫煙・無賃乗車・騒音・違法駐車・交通違反などの軽犯罪の取り締まりを強化するという方針を打ち出しました。その結果、1993
年と比較すると殺人事件は61%、強姦事件は13%、強盗事件は47%減少し、凶悪犯罪多発都市のイメージを払拭することとなったのです。また、落書きで
有名だった地下鉄も、今では綺麗で安全な乗り物としてニューヨーク市民の足になっています。


◆ 「破れ窓理論」と治安の意識

 落書き消しと軽犯罪の取り締まりによって、なぜ凶悪犯罪が減少し、治安が回復したのでしょうか?
 この考えの元となったのが、1969年にスタンフォード大学のジンバルド教授によって行なわれた、住宅街に乗用車を放置するという実験です。普通の車と
フロントガラスの割れた車をそれぞれ放置しておいたところ、1週間後、普通の車は何の変化もなかったのに、窓の割れた車は次々にガラスを割られ、バッテ
リーなど多くの部品が盗まれてしまっていたのです。

 この研究を発展させたルトガーズ大学の犯罪学者ケリング教授によれば、落書きが多い地域では軽犯罪が多発し、ひいては凶悪犯罪を引き起こすきっかけになるとして、このメカニズムは「ブロークン・ウィンドウ理論(破れ窓理論)」と名付けられました。
 一見無害に思える秩序違反行為であってもそれが野放しにされると、「自分だけではない」という意識から罪悪感が薄れ、「誰も秩序維持に関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境をつくりだすというロジックです。

 ケリング教授によれば、
・まず落書きを徹底的に消して軽犯罪の取り締まりを強化し、小さな犯罪も許さないという姿勢をアピールする。
・その結果、住民の治安に対する意識が高まり、犯罪を犯しづらい雰囲気が生じる。
・さらに、警察だけでなく、行政や住民が道の掃除をしたり、他人に迷惑をかけていたら注意するというような行為が犯罪を防ぐ大きな力になる。

こうしたプロセスが、凶悪犯罪の減少につながるというのです。


◆ 国内における取り組み

 日本では、2001年に北海道の札幌中央署がこの「割れ窓理論」を応用し、環境浄化対策を行っています。北海道最大の歓楽街であるすすきので駐車違反を
徹底的に取り締まり、併せて地域ボランティアとの協力による街頭パトロールを強化することで、2年間で犯罪を15%減少させることができたのだそうです。
 同じ考え方で、空き缶のポイ捨て防止や落書き防止などの取り組みが、現在日本各地で行われています。


◆ 「M・D・Pかわぐち」 出動!

 今年1月に設立したNPO法人 「M・D・Pかわぐち」。「環境美化と犯罪抑止に資するきれいな街づくり」を目指し様々な企画を展開する若手企業家さんたちの集まりです。
 その皆さんが、先日の日曜日、街路にこびりついたガムを除去するボランティア活動を実施し、私も参加してきました。

 見回してみると、川口駅周辺は、埃で真っ黒になったガムがあちこちに点在しています。踏まれてこびりついたガムは、ヘラなどではなかなか取りきれません
が、130℃の高熱スチームを噴射しガムを柔らかくして、特別の洗浄液を吹き付けるときれいに溶けてなくなります。
 同時に、ポイ捨てされたタバコの吸い殻やペットボトルなどのゴミ拾いも実施し、陽光照りつける中で疲れもありましたが、自分たちの街がきれいになってい
く満足感と達成感で、全員がいい笑顔で活動できました。参加者の一人が、「街がきれいになると、人の心もきれいになるね」と言った一言が印象的でした。


◆ 環境問題と治安対策

 来日したジュリアー二市長は、「魅力的な街は美しくなければならない。日本の都市は非常に美しいので荒廃させないようにして欲しい」と語ったそうです。
 自分たちの住む環境をきれいにすることと治安の問題には、密接な関連があるように思えます。街路のガム駆除の取り組みは小さな一歩ではありますが、こう
した行動が街全体に波及していき、地域の皆さんの環境と治安への意識が少しずつでも変わっていってくれればと願っています。どうか皆さん、ガムの駆除やゴ
ミ拾いをしているボランティアの方たちを街角で見かけたら、ぜひお声をかけて下さい。

新 藤 義 孝

第60号 環境問題を考えるヒント もったいないお化け と 「MOTTAINAI」運動


「もったいない」の意味

 皆さんは「もったいないお化け」というのをご存じですか? 昭和57年から放映されていた、公共広告機構のテレビコマーシャルです。

 お寺に泊まりに来た子どもたちが、晩ご飯をご馳走になるのですが、
「オラ、大根きらいじゃ」
「ニンジンきらいじゃ」
 と不平を言い、出された食事を残してしまいます。するとその夜、子どもたちの寝床に野菜の顔をした大きく恐ろしげなお化けが現れて、
「もったいね~」
「もったいねぇ~」
と言いながら迫ってくるのです。
 翌日子どもたちはすっかり改心し、最後に「それからは、みんな残さず食べるようになったそうな」というナレーションが入ります。

 このCMも、見なくなって久しいですが...

 かつて、ほんの5・60年前、日本にも社会全体が貧しい時代がありました。私の祖母も、母も、何かに付けて「ああ、もったいない」と言っては物を大切に
していました。しかし、物質的な豊かさを実感できるようになった高度経済成長期を迎えると、消費が奨励され、食べ物はあまったら捨てられ、商品は使い捨て
が当然という風潮が生じてきたように思います。そして現在では、社会の経済システムも個人のライフスタイルにおいても、大量生産・大量消費・大量廃棄の仕
組みが出来あがっています。

 「もったいない」という言葉は、単に金品を惜しむものではなく、限りある資源を無駄にせず、日々の暮らしの中に効率的に活用していこうという考え方が表れています。
 最後の一粒まできちんとご飯を食べるのは、決してケチだからではなく、お米をつくった人の労苦に対する感謝の気持ちを込めているからです。これは、世界に誇れる日本人の美徳だと思います。


◆ 「MOTTAINAI」を世界に

 近年聞かれることが少なくなったこの「もったいない」という言葉が、最近になって脚光を浴びています。

 愛知万博の開会式で、小泉総理が政府としても「もったいない」キャンペーンを展開するという考えを表明したのを皮切りに、「もったいない」をキーワード
にした環境への取り組みが、県や市など多くの自治体にも、そして様々な民間の団体にも広がっています。こうした動きの引き金となったのが、ケニアの副環境
大臣ワンガリ・マータイさんが提唱する「MOTTAINAI」運動です。

 マータイさんが今年2月に来日した際に、日本人の物を大切にする心を表した「もったいない」という表現を知り、この言葉に、消費削減(リデュース)・再使用(リユース)・資源再利用(リサイクル)・修理(リペア)という環境保護の4R
意味が込められているとして深い感銘を受けたのだそうです。「もったいない」に相当する意味の言葉は英語にはないそうで、3月に開催された「国連婦人の地
位向上委員会」の演説で、「限りある資源を有効利用し公平に分配すれば、資源をめぐる紛争は起きない。『MOTTAINAI』を国際語として世界に広めて
いきたい」と呼びかけました。

 マータイさんは、アフリカ各地に3000万本以上の植樹をしてきた「グリーンベルト運動」の創設者。草の根の植林活動を通じて紛争や貧困の解決、女性の
地位向上、民主化推進など幅広く貢献したことが評価され、環境分野では初めてとなるノーベル平和賞を昨年受賞しています。


◆ 日々の暮らしの中で

 環境問題は、次世代の子どもたちのためにも、私たちが真剣に取り組んでいかなければならない共通の課題です。私も、今後も様々な観点から取り上げていきたいと思っていますが、しかし、それはそんなに難しく構える必要はないのです。

 「勿体」とは、「そのものが本来もつ価値」という意味だそうです。「勿体ない」とは、その価値が活かされず、無駄になるのを惜しむ気持ちです。日々の暮らしの中で「もったいない」と気づくことこそが、環境問題を考える第一歩となるのです。

 私たちが忘れかけていた「もったいない」を再認識させてくれたマータイさんに感謝の気持ちを込めながら、私も「勿体ある生き方」を心がけていきたいと思います。


◆ 「初扇」の田植えを実施

 週刊新藤55・56合併号(「新たな名産品 生まれる!わが街の地酒」)でご紹介した川口産の日本酒「初扇」。6月5日に川口市木曽呂の水田で、この「初扇」を企画した川口食文化研究会の皆さんによる田植えが行われました。
 当日は生憎の曇り空でしたが、田植えに参加した皆さんの「自分たちの街の地酒を、自分たちの手で米からつくる」という熱気が伝わってくるようでした。

 おかげ様で多くの皆様から好評をいただいているこの「初扇」。従来の一升びんに加えて、現在は二合びん(360ml)と四合びん(720ml)も発売されています。ぜひ皆さんもお近くの街の酒屋さんでお尋ね下さい。

 川口ブランドの創出による地域産業の活性化。そして、それを産み出すプロセスにおける多くの人たちの暖かい交流。川口の活力をつくりだす「初扇」の試みを、私はこれからも応援していきます。

新 藤 義 孝

第59号 中国人とつきあう方法


回復難しい日中感情

 中国各地で起こった反日デモは、表面的には沈静化しつつあります。しかし、中国の呉儀副首相が小泉首相との会談を急遽取りやめた問題の波紋が広がり、修復に向けて動き出したように見える日中関係も、再び険悪化しています。
 首脳レベルの会談を突然キャンセルするのは異例なことであり、また今回の会談は中国側の要請によるもので、外交儀礼に反する事態です。

 中国側は、これまでの反日デモによる日本大使館などへの破壊行為についても謝罪していません。こうした対応に反感を持つ日本国民は多く、私のまわりでも中国への非難の声が聞こえてきます。


◆ 中国側の思惑

 呉儀副首相が会談をキャンセルした理由として、中国外務省報道局長は、靖国神社参拝問題に関する小泉首相の発言への不満をあげました。
 5月22日には、訪中した武部自民党幹事長らと会談した胡錦濤国家主席が、「近年目にしたくない動きが日本にある」として、靖国神社参拝や歴史教科書問題等を挙げ、小泉首相の靖国神社参拝などに反対する考えを重ねて表明しました。

 しかし、一連の反日デモでは、こうした日本側の歴史認識問題に加えて、日本の国連安保理常任理事国入りの問題を絡めて唱えており、ここに中国政府の意向が反映されていることは疑念の余地がありません。
 中国の反日感情の大部分が中国共産党が行ってきた教育に起因するのなら、デモは中国政府の思惑の下で生じたものと考えられるからです。

 中国原潜による日本領海侵犯、尖閣諸島の領有権や東シナ海の一方的なガス田開発など、最近の中国の動きは日本に対する強硬的な姿勢が目立っています。
 ここに、歴史的な被害者という立場を主張しながら強い態度に出れば日本はすぐ譲歩する、という中国側の計算が見えてきます。


◆ 中国人とつきあうには

 私は国政に参画している間、様々な中国との会議や行事に参加しております。多くの中国人と議論をし交流を持ち、友人になりました。
 私が中国の人たちと接触したのは、国会議員としてだったり、外務大臣政務官として公的ではありますが、非公式な両国関係者による意見交換です。儀礼的な
表敬活動ではなく率直で突っ込んだやり取りの中で、お互いの本音をぶつけ合う厳しいものでしたが、そのおかげで多くの友人と呼べる中国人と知り合うことが
できました。

 平成12年からはじめた自民党若手議員7人と中国共産党対外連絡部の若手による勉強会は、北京郊外に合宿して2日間に渡り両国の懸案を議論しました。
ODAや農産物のセーフガードなど経済問題から始め、靖国神社と歴史認識問題、さらには中国の軍事力の増大による東アジアの安全保障問題など、私は歯に衣
を着せず発言しました。中国側からも激しく反論があり、熱を帯びた議論は机を叩き感情をむき出しにしたものになってしまったのです。
 議論は平行線をたどり結論は出せませんでした。でも不思議なことに休憩時間になると中国側の態度が変わるのです。「今の議論は日本人の本音が聞けてとて
も良かった。私の意見はどう感じますか?」と、にこやかに聞いてきます。そうして会議が再開されると、また厳しいやり取りの応酬になるのです。その夜の懇
親会がとても楽しく盛り上がったことは言うまでもありません。

 
平成13年・在京中国大使館の参事官に会食に招かれた時も、靖国と歴史問題で大激論になりました。この時は年齢が私が3歳上であることがわかり、議論を決
着させました。同行した仲間の議員からはご馳走になって文句を言っているとあきれられましたが、やはりこの参事官との信頼関係はその後もいろいろな場面で
役に立ちました。

 平成15年・インドネシアのジャカルタでの李 肇星中国外務大臣との2国間協議のときもそうでした。李外相はいつものように歴史問題の主張をされましたが、私は両国の哲学や宗教観の相違についてはっきりお話させていただきました。

 中国には中華思想(世界の中心は中国である、という帝国時代の考え)が残っているといわれます。また、基本の国といわれ、まず自分の主張をし相手の反応を探る国とも言われています。我々日本人とはまったく違う民族性があるのです。

 最近の日中の外交摩擦問題を憂慮する報道が硬軟各々の論点で連日なされております。隣国であり成長目覚しい中国との良好な関係を維持することはまず大前
提です。しかし、軋轢を恐れるあまり自らの主張を明確にせず、事なかれ主義でこれに臨むことは、相手国に対して結果的に失礼になると私は思っています。
 国際社会は友好親善の場であると共に、冷徹な国と国とのパワーゲームです。独善的な理屈や行動は理解を得られませんが、自国の立場を鮮明にできない国は
決して尊敬されません。国連の常任理事国にわが国が加えられるか否か、事態は予断を許しませんが、戦後60年を経て日本の外交は新しいステージに立つべき
だと私は考えています。

 中国との問題は驕らず高ぶらず、互いに礼儀と信頼の気持ちを持ち、本音をぶつけ合って話し合いを続けていくべきです。

新 藤 義 孝

第58号 5/22 川口市長選・市議補欠選挙    ~ この度の選挙を振り返って



◆ 低迷し続ける投票率 ◆

 任期満了に伴う川口市長選挙、及び現職市議死去に伴う市議補欠選挙が、5月22日に投開票されました。
 当日有権者数は380,014人投票率は31.67%。同市長選における投票率は、前回の34.43%、そして最も低かった平成9年の34.37%をも下回り、過去最低を更新する結果となってしまいました。

 参考までに、今年埼玉県内で実施された市長選挙の投票率を調べてみると、吉田町・荒川村・大滝村を合併した 新「秩父市」の初代市長選挙を除き、軒並み驚くほどの低投票率です。

 政治に携わる者として、これは非常に残念な結果であり、しかも由々しき問題であると言わざるを得ません。3分の2もの有権者が棄権をしてしまうという実態を厳しく受け止める必要があります。

 言うまでもなく、民主国家において主権者は国民であり、政治家は、民意によって選出された代弁者にすぎません。
 日本という国の、そして私たちが住むこの街の舵取りをするのは私たち自身であって、政治や行政は、その実行者にすぎません。そして、その民主政治の根拠となるのが選挙であるはずです。
 私たちは、自分の暮らしに対する期待や不満を投票行為によって示すべきです。


◆ 投票を棄権する危険性 ◆

「そうは言っても自分の一票では何も変わらないから…」「無能な政治家ばかりで、誰を選んでも大差ない」「自分は、投票に行かないことで政治家に抗議をしている」選挙を棄権する方たちがよく言うセリフです。

 しかし、棄権票が増えるほど、選挙は投票した一部の組織や集団の意向が強くなってしまい、一般の国民の意見は軽視されていきます。投票しない人たちの意
見は届かないのです。「有権者は寝ていてくれた方がいい」という失言をした政治家がおりましたが、まさに選挙が一部の人々のパワーゲームに成り下がってし
まっていること、少なくとも一部の政治家がそう認識していることを露呈したものだと思います。
 選挙権とは、こうした権力の独占や偏向を防ぐために、民主的な権力を維持するために、私たちが勝ち得た強力な手段です。

 私は政治を志して以来常々、選挙とは何かということを考えてまいりました。選挙とは、「行って下さい」とお願いするようなものではなく、有権者が行使すべき当然の権利でなければならないのです。


◆ 権利は決してタダではない ◆

 
日本人が長い間タダで手に入ると思っていた「水」と「安全」も、今では相応のコストがかかるものになってしまいました。その一方で、先人たちが命懸けで獲
得した「権利」は、現在ではタダ同然に「存在するのが当たり前」なものであり、「それを使うも使わないも個人の勝手」であると見なされています。

 わが国で、納税額による制限選挙が廃止され、男子普通選挙が実施されたのが大正14年。そして、第二次大戦後にようやく婦人参政権がみとめられ、全ての日本国民が平等に選挙権を得ることができたのです。

 現在でも、例えばイラクやアフガニスタンなどでは、他者に圧力をかけられることのない自由で公正な民主的選挙の実現を目指し、文字通り闘争が繰り広げら
れています(イラクでは今年1月に国民議会選挙が実施されましたが、選挙に反対する勢力による、投票を妨害するため自爆テロや、選挙後に女性議員が射殺さ
れた事件が報じられたのは、記憶に新しいところです)。

 参政権の中でも最も重要な選挙権の獲得には、先人たちの血と汗の長い歴史が込められているのです。


◆ 1票の持つ力を信じて ◆

 一方で、民主主義は衆愚政治を生みかねないという危惧を抱く方もいらっしゃいます。つまり、「投票率が高くなると、どうしても人気投票といった側面が強くなってしまう」という懸念です。
 確かにその可能性は否定できませんが、それを防ぐためにも、政治家がしっかりとした政策を打ち出し、有権者はその主張をしっかりと見極める必要があるのです。

 どうか皆さん、自分たちの納めた税金がきちんと使われているのかどうか、監視しましょう。自分たちの意思がきちんと行政に反映されているのか、確認しましょう。その審判がなされるのが、選挙なのです。

新 藤 義 孝

第57号 社会が子どもを教育する ~子どもたちが自信と誇りを取り戻すには~


◆ 日本・アメリカ・中国の高校生の意識 ◆

 先日の新聞に、日本・アメリカ・中国の高校生を対象にした意識調査の結果が掲載されていたのですが、実に考えさせられる内容でした。

 この調査は、文部科学省所管の教育研究機関が実施したもので、3ヶ国の高校生に、学業や生活態度、家庭や国に対しての意識などを調べています。

 それによると、自分の将来に明るい希望を抱いている生徒数は3ヶ国の中で日本が最低であり、将来に備えてしっかり準備しようという米・中に対し、日本の
生徒は「今が楽しければ」という享楽志向が強く、学ぶ意欲と努力に乏しいという姿が見られます。また、「積極的に親の面倒をみる気がない」とする割合も日
本が最も高く、刹那的、自己中心的に生きる日本の若者意識が浮かび上がっています。

 愕然とさせられるのは、「国」に対する意識のあり方です。自国に誇りを持てない若者たちがきわめて多いという現状に、教育改革の緊急性と重要性を私は感じています。


◆ 意識低下は社会不信の表れ ◆

 勉強が嫌い。消極的で自信がない。将来に悲観的で自分の国に誇りが持てない―。これが現代の日本の高校生気質だとすれば、あまりに寂しいことです。

 少年犯罪の凶悪化や若年齢化、ニート(=働く訓練も教育も受けずにいる若者)の増加は、こうした若者意識と無関係ではありません。

 若者たちの意識低下の背景には、社会に対する不信があります。彼らは今の社会に夢など見いだせず、明確な自信も持てない自分に不安感を抱いているのでしょう。

 若者たちが日本という国や自分自身に対して誇りを持てるようにすることは、学校教育だけに課せられた問題ではありません。調査から浮かび上がった問題点を、日本社会全体が重く受け止めるべきです。

 学力の低下は、「ゆとり教育」の名の下に子どもから学ぶ意欲を奪い、学校から競争を排除することで努力を不要なものにしてしまった大人たちの責任ではないでしょうか。

 今回の高校生意識調査の結果は、まさに世を写す鏡なのです。「良識的な大人」たちのよく使う「今の若者たちは…」などという台詞を言う前に、私たち大人が、自信を持って自分と向き合い、自分たちが誇りを持てる社会を築き上げなければいけません。


◆ いわゆる「教育論」を説く前に ◆

 幼稚園の園長を務める私にとって、そして政治に携わる「新藤義孝」として、教育問題は生涯をかけたテーマです。学力の低下、躾け、いじめや不登校、更には教育基本法の改正…現代の教育が抱える課題は数多くあります。しかし、最も重要なことは、制度や技術論ではなく、教育の根幹にある「社会が子どもを育てる力」を見直すことだと思っております。

 ご都合主義が横行し、自らの利益を追求するためにはどんな手段をも使う。人間関係をないがしろにしたり、礼儀をわきまえず、野心のみで行動する。そういう風潮が蔓延していることを嘆くのは、果たして古いことなのでしょうか?

 実直に真っ正面から取り組み、人のために汗をかくことの尊さを見直さなければなりません。子どもや若者は、親や大人を見ています。私たち大人は、街のコ
ミュニティや家族の大切さ、人情や義理など、昔から日本人が大事にしてきた人との繋がりを、次世代を担う子どもたちにきちんと伝えていかなければならない
のです。


◆ 市長選挙・市議補選に参加しよう ◆

 今月5月15日からは、川口市長選挙・市議会議員補欠選挙が実施されます。昨今の若者の政治離れや投票率の低迷は由々しき問題です。もちろん、有権者に対して政治に関心を持たせられない政治家にも非は多分にあります。明確な政策的主張も打ち出さず只ひたすら大声で名前を連呼するだけの選挙活動を行っていたのでは、若者が投票に行く気にならないのも無理はありません。

 確かに主義・主張を伝える努力工夫が足りないのは、私たち政治に携わる者の怠慢ですが、しかし一方で、大人たちが、政治に参加する最大の機会と権利であ
る選挙に無関心であるならば、それを見て育った子どもたちも社会への関心が希薄になっていってしまうのは当然のことです。

 どうか皆様が、各候補者の主張を見極め、信念を持って投票していただきたいと心から願っています。大人たちが積極的に社会に係わっていく姿を示す。そうしたことも、非常に重要な「社会的教育」のひとつだと思っています。

新 藤 義 孝

第55・56号 新たな名産品 生まれる! わが街の地酒

この春にデビューした、川口市の地酒「初扇」。
その軽やかな飲み口は万人に受け入れられ、そして米の旨みをしっかりと伝えるその実力は日本酒通をも唸らす。そんなお酒が誕生しました。
     蔵 元 : 騎西町・ 釜 屋 0480-73-1234

 週刊新藤をご愛読下さっている方から取材の依頼がありました。自分たちのつくった地酒をぜひ取り上げて欲しい、というのです。川口に地酒があるということをその時始めて知った私は大いに関心を抱き、今月始めに早速会いに行きました。


◆ 川口食文化研究会の皆さんの活動 ◆

 この地酒を企画したのは、「川口食文化研究会」(会長:渡辺満さん)の皆さん。話を
うと、会員の方たちは食いしん坊の集まりで、会の設立当初は人づてに聞いた市内の美味しいお店をひたすら食べ歩き続けたとのこと。そうするうちに、大手外
食チェーンの陰に埋もれがちだが、安くて美味しい料理を出す昔ながらの個人経営店が、この市内にも数多くあることがわかってきました。
 「今の若い人たちは、ファーストフードやファミリーレストランなどの規格化された味に慣れきっている。食は地域文化であり、それが画一化してしまうのは
何とも残念なことだ」と、隠れた名店をリストにして発表できるほどに活動を続けておりました。やがて会の若手の方たちを中心に「この街の風土に適した、私
たちの街の特産と呼べるお酒を自分たちでつくってみたい」ということになり、お酒の企画をすることになったのです。


◆ 日本の文化- 米と酒 ◆

 「古い文明は必ず麗しい酒を持つ」と言われ、世界の民族は独自の酒とともに生活文化を育ててきました。豊かな四季をもち稲穂が実るわが国では、日本人の主食である米を原料とした日本酒が生まれました。
 繊細な日本の風土と日本人の感性によって育まれ、発達してきた日本酒は、花を見ながら月を愛でながら、旬の食材や季節の料理に様々に合わせることができ、日本人の暮らしに深く根付いています。
 日本酒には、全国各地にそれぞれの地域の特色をもつものが数多くあります。食文化研究会の皆さんは、自分たちの好む、川口に合った酒をつくってみたいと考えました。


◆「関東灘」- 埼玉県の酒づくり ◆

 意外に思われるかもしれませんが、埼玉は古くから酒造りの盛んな県です。醸造に適した利根川・荒川の豊富な二大水系と、良質な埼玉産の酒造好適米が見事
に融合して銘酒を生んでいます。「灘にも負けない関東灘」という異名を持つこの地には、現在も36もの蔵元があります。埼玉の清酒は関東一の生産量を誇
り、品評会などでは多数の賞を受賞しているのです。
 利根川べりの北埼玉郡は埼玉有数の米どころであり、有名な蔵元もあります。食文化研究会の皆さんは、その内のひとつ、騎西町の蔵元に着目したのです。


◆ 市民がつくった市民の酒 「初扇」◆

 まず考えたのは、食文化を通じて広く川口を理解してもらいたいということでした。「旅に出たら、その土地の料理を食べ、その土地の酒を飲め」という言葉があります。地域に根ざした飲食物は、その土地の特色をよく表しているのです。
 誇りを持って「私たちの街の酒」だと言えるよう、騎西町の蔵元さんと検討を重ねた結果、出来上がった酒がこの「初扇」です。そのコンセプトは、「毎日楽しめる。決して飲み飽きず、和洋問わず様々な食卓を和やかにしてくれる酒」。「川口の街とこの酒が、扇のように広がって欲しい」という願いを込めて「初扇」と名付けました。
 さて、一通りの説明を聞いていた私は、待ちきれぬ思いで試飲しました。食文化研究会の皆さんがニコニコしながら見まもる中、私は「初扇」を口に含んでみ
ました。すると…「旨い!」素直にそう叫びました。わが町の酒「初扇」は、喉ごしがよくとてもフルーティで、常温でもキレのよい、実に洒落たお酒に仕上
がっていました。これならお客様に出しても、宴会などでも、もってこいだと思います。また、一升で1,850円と、価格も低く設定されています。


◆ 川口ブランドの創出を ◆

 川口で生まれ育った私は、産業政策に重点を置いて活動して参りました。商・工業、情報通信産業など、各種の国の制度をこの街にも導入してきました。ま
た、通産大臣には鋳物や機械工場を、農林大臣には植木産業を視察していただくなど、わが街の産業を政府内に強くアピールさせていただいております。
 しかし、昨今の厳しい経済情勢下において、地場産業の街と言われたこの川口も、地域に根付いた個人商店が徐々に姿を消していき、大手チェーン店やコンビ
ニエンスストア、ディスカウントなどに代表されるような規格化された大規模店舗が増大しました。消費者にとって利便性は高まったかもしれませんが、街の商
店の誇りや買い物を通じてのコミュニティは失われつつあるのではないでしょうか。
 今回の動きは小さな一歩かもしれませんが、川口のブランド名を冠した新たな商品を生み出したことは、それに続く新たな産業の輩出への期待も含め、その意義において非常に画期的なことです。

 川口食文化研究会では、今後、「初扇」に使う米を一からつくる田植え体験、利き酒大会などのイベントも考えているそうです。
 私はこの「初扇」を、商工会議所や川口観光協会などに紹介し、市民の皆さんに広く知ってもらいたい、何よりも試飲してもらいたいと思っています。川口の
街の中だけでなく、県外から全国へと販路が広がったならば…と夢見てもいます。街のやる気と元気を促す「初扇」の挑戦を、私は応援していきたいと思いま
す。

新 藤 義 孝

クリント・イーストウッド監督が映画化 ~祖父 栗林大将と硫黄島戦~



◆ イーストウッド監督と会談 ◆

 「クリント・イーストウッド氏が会いたいと言ってきている」 先月半ば、外務省から1本の電話が入りました。ハリウッドを代表する映画俳優にしてアカデミー賞受賞監督としても知られる巨匠が、硫黄島戦の映画化に着手。ついては、日本側の生還者や遺族から直に話を聞きたいというのです。
 
私の母方の祖父である栗林忠道・陸軍大将は、硫黄島守備隊の最高司令官を務めました。私はもちろん戦後世代ですが、祖母や母から伝え聞いた祖父の生涯とそ
の人柄、遺稿・遺品、数多くの資料を通して知り得たその生き様は、同時に私の原体験として心に強く刻み込まれ、私の人生観にも大きな影響を与えています。
 2万129名の日本軍戦死者と、それを上回る2万8686名の米軍戦死傷者を出し、太平洋戦争最大の激戦と言われる硫黄島戦。私は現在、その遺族と数少
ない生還者による「硫黄島協会」の顧問を務めています。戦後60年を経た今なお島には1万3458柱もの遺骨が残されたままであり、同協会では戦没者の慰
霊と遺骨収集活動を続けています。
 私たち遺族にとって、硫黄島には様々な想い入れがあります。映像化するならば、何としても私たちの心情を汲み取ってもらいたい。そう思いながら、4月6日、硫黄島協会の遠藤会長とともに、会見場である都内のホテルに向かったのです。


◆ 硫黄島戦と祖父 栗林忠道 ◆

 米軍基地のあったサイパン島と東京のほぼ中間に位置する硫黄島は、日米双方に重要な戦略的価値をもつ島でした。日本への空襲の中継基地としたい米軍は、1945年2月19日、海兵隊6万人を先頭に計15万人で攻撃を開始しました。
 戦況が悪化する中、硫黄島守備隊2万1000人は孤立無援の戦いを余儀なくされました。圧倒的な戦力差もあり、当初米軍は、5日間で島を攻略できると考えていました。迎え撃った栗林総司令官は、島中に地下壕を掘って陣地とし、前代未聞のゲリラ戦を展開。36日間にわたり激しい抵抗を続けましたが、3月26日、約800人による突撃を最後に、栗林司令官を始めとする日本軍の組織的戦闘は終了しました。栗林は砲弾を受けた後、部下に「司令官の首を敵に渡すな」と言い残して戦死。その遺骨は未だ発見されていません。


◆ 死地にあった兵士たちの想い ◆

 絶望的な戦況下にもかかわらず日本軍が死にものぐるいで抗戦したのは、B29の本土への来襲を防ぎたい一心からでした。生きては還れぬ戦いの中で、兵士たちは何を思い、死んでいったのでしょうか?
 栗林は、戦地・硫黄島から家族に宛てた手紙を数多く書いています。私の母の実家に今でも大切に保管されている「たこちゃんへ」という書き出しで始まる一連の手紙。それらは信州に疎開していた幼い娘、たか子へ宛てたものです。
「たこちゃん、元気ですか? お父さんが出発の時、お母さんと二人で御門に立って見送ってくれた姿がはっきり見える気がします...」
「ゆうべも寝て直ぐと明け方との二回、空襲がありました…こちらはまだ暑いですが、内地はもう寒いでしょう。ことに又信州は寒いでしょう。よほど気をつけないと風邪を引きますよ...」

 地下壕に潜み、飢えと渇きに苦しみながら、栗林は祖国に残した家族の暮らしに想いを馳せていました。そしてそれは、他の兵士も同じだったに違いありません。
 しかし、思いはかなく「私からの手紙はもう来ないものと思って下さい」と妻への手紙に書いたとおりに、栗林は還らぬ人となりました。
 軍人だった栗林は海外での生活も多く、愛する家族との絆を保つ唯一の手段は手紙を出すことでした。大尉時代には、軍事研究のために渡米した先から、長男
太郎に沢山の絵手紙を書いています。それらは「玉砕総指揮官の絵手紙」(小学館文庫)という1冊にまとめられています。


◆ 日米合同慰霊祭と遺族の想い ◆

 祖国と愛する家族を守るために。兵士たちのその想いは、日本もアメリカも違いはありません。
 硫黄島協会は、米海兵隊と連携をとり、毎年この島で慰霊祭を行っています。今年3月にも、日米あわせて800名以上の遺族らが、この地で命を落とした者への思いを寄せました。敵対していた国同士が合同で慰霊式典を実施するのは、世界でもこの硫黄島だけなのです。


◆ イーストウッド氏へ ~ 私の願い ◆

 私の母、たか子は昨年逝去しました。伯父にあたる太郎も先日亡くなりました。もはや戦争の記憶は風化されつつあります。
 戦地へ赴いた者にも、残された者にも大きな苦しみと傷跡を残す。言うまでもなく、戦争は二度と決して起こしてはなりません。

 遠藤会長や私の話を真摯な眼差しで受け止めてくれたイーストウッド監督は、会談の最後に「従来あるような単なる戦争映画にはしない。家族の絆、戦場に散った兵士一人ひとりの想いを、今を生きる若い世代へのメッセージとしたい」と語ってくれました。
 硫黄島は日米の遺族たちから聖なる地と見なされており、撮影には困難を伴うとも思いますが、どうか素晴らしい映画になるようにと祈念しています。

新 藤 義 孝

第53号 気づかないと損する! 「請求もれ年金」


年金、請求し忘れていませんか?

受給年齢に達したとき、自分から請求しなければ年金は支給されません。しかし社会保険庁の保有するデータの内、自分の記録がひとつにまとまっていなかったり、記録がもれていたりすると、請求し忘れることがあります。


◆ 請求もれ年金とは? ◆

 請求もれ年金・・・聞きなれない言葉ですが、本来支給されるべきなのに、本人が請求していないために、給付されない年金のことです。現在、年金を受け
取っている人の中には、年金を請求し忘れている人が数多くいます。川口市の老人会へ行って請求もれ年金を見つける確率は約5人に1人ぐらいありました。

 こんなに多くあることにビックリしています。どうしてこんなことが起きてしまったのか。国民年金法と厚生年金法の条文には国民にとって重要な規定があります。

▽国民年金法 第三章 給付
 第一節通則(裁定)第十六条
 給付を受ける権利は、その権利を有する者(以下「受給権者」という)の請求に基づいて、社会保険庁長官が裁定する。
▽厚生年金保険法 第三章 保険給付
 第一節通則(裁定)第三十三条
 保険給付を受ける権利は、その権利を有する者(以下「受給権者」という)の請求に基づいて、社会保険庁長官が裁定する。

 以上のように、年金は皆さんが請求をしないと支給されないという仕組みになっているのです。年金受給者が少なかった昭和50年代以前には、自分の勤めて
いる会社が厚生年金に加入していることを知らされていなかった人も多く、そのことを政府から国民に伝えきれていないのが現状です。

 この機会にもう一度、ご自身の年金と、若い人はご両親の年金期間を見直してみてはいかがでしょうか。思ってもいなかった年金を見つけられる人が、まだま
だ多くいらっしゃると思います。現在、川口市内に在住の60歳以上の人の中でも、500人を越える人たちの請求もれ年金が見つかっています。


◆ 請求もれ年金の例 ◆

・戦時中、軍需工場に徴用されたことがある。
・挺身隊に勤めたことがある。
・兵役になる前に会社に勤めていた。
・配給品を扱う商店、組合に勤めたことがある。
・米軍キャンプで働いたことがある。
・昭和34年1月以前に農業会(農協)に勤めたことがある。
・結婚前に会社に勤めていた(女性)。
・転職が多かった。
・公務員になる前や後に会社に勤めたことがある。
・勤めていた会社が閉鎖、倒産、合併、社名変更した。
・国民年金だけ受給しているが、会社で働いたことがある。
・パートやアルバイトをしたことがある。
・夏だけや冬だけの職場で働いたことがある。
・自営業を始める前に会社に勤めていた。
・親や親戚の会社の手伝いをしていたことがある。
・夫を亡くしたが、遺族年金は支給されていない。
・亡くなった夫が、戦前戦後に会社に勤めていた。

 上記に当てはまる人は、請求し忘れている年金があるかもしれません。年金証書の被保険者期間と照らし合わせて、請求もれがないかどうか思い出してみて下さい。


◆ 請求もれをなくすには ◆

 国民年金保険料が引き上げられるなど、昨年決まった年金制度改革の多くが今月から実施されました。しかし、国民が納得できるビジョンの欠如、社会保険庁による度重なる基金のずさんな運用など、年金への国民の不信感は増大し続けています。

 「自分が納付した保険料を受け取るのは当然のこと。社会保険庁は、加入者の保険料納付期間を責任を持ってきちんと調べ、受給資格者に告知する義務がある。そうした条文を年金法に盛り込むべき」と私は考えています。

 残念ながら、議席のない今の私には直接政府に申し入れをすることはできませんが、仲間の議員を通じて強力に訴えていきたいと思います。

新 藤 義 孝

第52号 おかげ様で 週刊新藤1周年


◆ 週刊新藤発刊1周年を迎えて ◆

 皆様に支えられてきたこの「週刊新藤」も、おかげ様で発刊1周年を迎え、号数も今回で52号を数えることができました。

 「私が日々研鑽し取り組んでいる政治課題や地域の問題を、できる限りたくさんの皆様にお伝えしたい。多くの方からご意見を賜り、この街の更なる発展に向
けてより良い政策を立案していきたい」そんな想いを込めて、昨春に創刊した「週刊新藤」ですが、日々の政治活動の合間には原稿にむかう時間がほとんど取れ
ないこともあり、正直に申し上げて、毎週発行するのは思っていた以上に大変な作業でした。

 しかし、そんな私を励まし、力づけてくれたのが多くの読者の方たちです。「いつも楽しみにしているよ」とメールや手紙で応援してくれる方や、街角で声を
かけて下さる方。「こんな内容の話はどうだい」とご提案をして下さる方。厳しいご意見をいただくこともありますが、今まで会ったことのない方から「週刊新
藤で新藤さんのことを知りました」と言われたときは、心底書き続けてきて良かったと思いました。ここまで続けてこられたのは、全て皆様の暖かいご支援のお
かげです。

 私の拙い文章を読んで下さっている数多くの皆様、そして毎週1軒ずつ配布してまわっていただいているボランティアの皆様に、ここに改めて心から感謝申し上げます。


◆ 出直しフォーラム盛会御礼 ◆

 
私の出直しを期して支援者の皆様に企画していただいた「新藤義孝出直しトーキョーフォーラム」が、3月23日赤坂プリンスホテルにて開催されました。「今
の自分に一体どれ程の人が期待を寄せて下さっているのか」開催前には幾度となく不安にも感じましたが、当日は、悪天候にも係わらず1,000人を超えるた
くさんの方々にお集まりいただきました。また安倍晋三先生や武部幹事長をはじめ、閣僚の方々や多くの先輩・同僚国会議員が駆けつけてくれ、激励の言葉をい
ただきました。謝辞を述べようと会場内を見回すと、今まで散々お世話になった方ひとり一人のお顔が私の目に映り、思わず涙がこぼれてきました。

 議席を失った浪人の私を、沢山の方々が暖かく囲んで下さり、綿貫前衆議院議長の音頭で皆様と行った乾杯、あの時の一体感を、私は決して忘れることはありません。

 しかしながら、今の私は皆様のご厚意にすがるばかりで、ご迷惑をお掛けするばかりです。今私が為すべきことは、現状を厳しく見つめ、気を緩めることなく、自らの出直しの為に一歩一歩地道に修行を続けて行くことのみです。

 そしてお世話になった皆様にご恩返しが出来るよう、再び皆様のお役に立てるように、国政への復帰を目指してがんばって参ります。


◆ 園長になって初めての卒園式 ◆

 昨年9月、亡き母の遺志を継ぎ、川口ふたば幼稚園の園長に就任しました。35年間に渡り、7,000人以上もの子どもたちを送り出した母。とても追いつきませんが、私なり
信念と子供への愛情を持って教育の現場に身を置いております。3歳から5歳までの純真で感性豊かな子供たちと過ごすことは、本当に心が洗われる想いがいた
します。また、子供の成長を見届けられることは大いなる喜びであり、一人一人が我が子のように愛しく感じ、素直にやさしい子に育てたいと心を砕いておりま
す。「ふたばの子供は元気で明るく、人を思いやることの出来る正義の子になって欲しい。」というのが園長としての口癖です。

 子供たちもすっかり私に馴れ、園内では私を見かけると、前後左右から攻撃を仕掛けてきます。職員室にたどり着く前にその圧倒的なパワーでクタクタになってしまいます。
 また、中には問題を抱えている子供もおります。心の問題だったり、家庭の問題だったりします。子育てに関する相談は園長として私が担当しており、教育政策や小児医療の充実は切実な願いなのです。

 3月20日、園長として初めての卒園式を行いました。すっかり立派に成長し、誇らしげに卒園して行く姿は、うれしくもあり寂しいことでもありました。会うは別れの始め也といいますが、新しい門出に心から祝福を贈りたいと思います。

◆ 「週刊新藤」 合本 vol.2 発行 ◆

 「週刊新藤」は、折々に合本を発行しています。合本vol.1は創刊準備号から第20号まで。vol.2は第21号~50号までを掲載しています。
 ご所望の方には喜んで差し上げておりますので、新藤事務所までお問い合せ下さい。電話:048-254-6000

新 藤 義 孝

第51号 自分の情報を守るには ~個人情報保護法施行~

◆ 個人情報保護法 施行 ◆

 一昨年5月に成立した「個人情報保護法」が、この4月1日より全面施行されました。同法の目的は、個人情報の収集・利用に法的な網をかぶせることで,情
報流出や悪用を防止しようというものです。5,000件以上の個人情報を取り扱っている事業者に、流出防止への対策が義務づけられ、違反に対して罰則が設
けられています。

  • 個人情報を収集する際には利用目的を明確にし、通知や公表をしなければならない。
  • 目的以外に利用する場合には、本人の同意を得なければならない。
  • 本人の同意を得ずに第三者に情報を提供してはならない。
  • 本人から情報開示を求められたら速やかに応じる。
  • 公開された情報に間違いがあったら速やかに訂正・削除する。
  • 主務大臣の命令に違反した場合は6カ月以下の懲役または30万円以下の罰金。

◆ IT社会の実現と個人情報保護 ◆

 2001年、当時の森内閣によって発表された「e-Japan戦略」において、政府は「全ての国民が情報通信技術を積極的に活用できる社会の実現に向
け、5年以内に世界最先端のIT国家になる」という目標を掲げました。この
e-Japan戦略は全てのIT政策の根幹とも言えるものであり、高度情報通信ネットワークのインフラ整備、電子政府への取り組み、インターネット関連の
教育、EC(電子商取引)に関する規制緩和、そして個人情報保護法の制定までも、この戦略に基づいています。
 個人情報の保護は、IT社会を支える制度的基盤のひとつとして重要な意味を持っています。例えば、きちんとした個人情報保護法がなくては、電子政府や電子自治体の申請を国民が安心して利用できるようにはなりません。
 私は、来るべきIT社会の実現に向け、政府の e-Japan構想に先駆け、1999年の第145回国会・衆院地方行政委員会において、「個人情報保護制度の対象を、地方自治体や民間にまで拡充すべきだ」という提言を行いました。
 当時、個人情報の保護に関する制度は、昭和63年に制定された国の行政機関に対する規制しかなく、地方の役所や民間企業が保有する大量の個人情報については、流出・売買が横行してしまっていたのです。
 コンピュータの処理能力向上により大量の個人情報を一括処理することが可能となった現在、民間企業は顧客データをコンピュータに蓄積してデータベース化
することにより、様々な目的のために二次利用することができるようになりました。また、コンピュータがインターネットを含むネットワークとつながることに
より、購買履歴などのデータがリアルタイムで蓄積され、企業がより詳細な個人情報を把握することが可能となりました。
 その一方で、個人情報の漏洩事件が後を絶たず、データの取扱いに対する社会的な不安は増大しています。デジタルデータ化された個人情報は、紙媒体と比較して複写が容易であり、ネットワーク経由であれば容易に外部に送信可能です。
 強固なセキュリティーシステムの設計と、個人情報の取扱いに対する制度の確立なくして、種々のIT政策を推進することはできない。それが私の持論だったのです。

◆ 個人情報の自己防衛 ◆

 私たち個人としても、自分の情報は自分で守るという意識を持つことが大切です。例えば、懸賞への応募、カタログの請求、アンケートの回答など、自らが情
報の漏洩元になっていることも少なからずあります。さらには、電話や訪問勧誘により巧みに自分の個人情報を聞かれている場合もあります。個人情報が収集さ
れる際の利用目的を確認し、必要とされる以上の提供をしないことです。


  • 体的には、例えば、署名やアンケートを求められた場合に、住所・氏名・電話番号などの記入欄があっても、気軽に書いたりしないこと。特に、基礎的な情報だ
    けでなく、趣味など付加的な事項まで求めてくる場合は、「何のために必要なのか」を問いただしてもいいし、拒否してもかまいません。
  • 官公庁の職員になりすましたりして、巧みに接近し個人情報を狙ってくることもあります。その際は、身分証の提示を求め、その人間が本当にそこの職場にいるのか、電話の場合かけ直してみることも有効です。

  • ミの出し方にも注意が必要です。カード番号、買い物履歴、好きな食べ物や嗜好、健康状態や病状、取引銀行や貯金残高など、場合によってはゴミがが恐ろしい
    情報漏洩につながることもあります。書類ゴミを出す場合は、シュレッダーにかけるようにすること。また、清掃車の作業員に直接ゴミ袋を手渡しする方が安全
    と言えます。
  • 不正流用対策としては、住所を書く際に、最後にAとかBと
    いった自分だけにわかる符号を付けるという方法もあります。例えば、○○市○○町1-2-3○○ハイツ101Aといった感じです。もし、符号のついた住所
    宛に、個人情報を提供したのとは違う企業からダイレクトメールが送られてくれば、流用されたことがわかります。

 現代社会において、個人情報を一切どこにも提供せずに生きていくことなどできません。役所への住民登録は当然のこと、学生なら学校に、サラリーマンなら
会社に、納税者なら税務署に、また様々な企業にもそれぞれの個人情報が登録されています。いずれもそれによって得られる利益も多々あります。リスクとメ
リットを考慮し、慎重に行動する事が大切です。

新 藤 義 孝

第50号 お花見シーズン到来! わが街の桜


日本の春を彩り、列島を南から北へと薄紅色に染めていく桜。
古くから日本人の心を魅了してきた桜は、菊と並んで日本の象徴とされる国花であり、現在も多くの人に愛されています。今回の週刊新藤は、私たちに本格的な春の到来を知らせてくれる「わが街の桜」のお話です。

 日本の春を彩り、列島を南から北へと薄紅色に染めていく桜。古くから日本人の心を魅了してきた桜は、菊と並んで日本の象徴とされる国花であり、現在も多
くの人に愛されています。今回の週刊新藤は、私たちに本格的な春の到来を知らせてくれる「わが街の桜」のお話です。

◆ 日本人の心と桜の歴史 ◆

 美しい自然に恵まれた日本。四季折々に咲く幾多の花々が私たちの目を楽しませてくれます。中でも春の景色を薄紅色に染め上げていく桜は、私たち日本人に最も馴染み深く、愛されている花のひとつでしょう。
 
桜はもともと本州全域に広く分布する野生の木でした。やがて日本人が農耕を始めるようになると、穀物の種を蒔く春の到来を告げる桜は、神が宿る特別な存在
と考えられるようになりました。サクラの「サ」は農業の神である田神(さがみ)を、「クラ」は神がすわる神座(かみくら)を表し、神が集う場所という意味
でその名がついたのだという説もあります。人々は神のいる桜の下で祭りを行い、豊作を祈願したのです。

 奈良時代に編集された「万葉集」にも桜は歌われています。しかしその当時、漢文化を手本としていた宮廷人にとっては、花といえば梅のことでした。万葉集では桜を詠んだ歌44首に対して梅は118首。野に咲く桜よりも、廷内に咲く梅の方が高雅な花とみなされていたのです。

 一斉に咲き溢れる桜の、満開の時期はほんの僅かです。華やかな彩りを誇る花びらも、早々に全て散ってしまいます。桜の美しさは満開の花ばかりでなく、
の風に吹かれて雪のように舞い散る花びらの風情にこそあります。日本人は散りゆく桜の中に、哀愁を帯びた独特の美を見いだすようになりました。平安時代の
「古今和歌集」では、春の歌の多くが桜を詠んだものに取って代わっています。その頃に成立した、自然の移り変わりや人の一生の儚さに美を感じる「もののあ
はれ」という日本文化特有の概念は、桜を愛でる心と決して無縁ではないのでしょう。

 江戸時代には、品種改良によるソメイヨシノが栽培され、桜はより身近な存在となりました。花見は庶民の娯楽として定着し、老若貴賤の区別なく桜の下に集い飲食を楽しむ現在の姿となっていったのです。

◆ 赤山街道の武南桜 ◆

 かつて私たちの住むこの街にも、隆盛を誇った桜の名所がありました。鳩ヶ谷市の浦寺から川口市安行花山下まで赤山街道の両側に植えられていた桜並木です。大正11
年に、当時は摂政宮だった昭和天皇が越ヶ谷にある鴨場へ御成りの際、街道整備のために植えられたものだと言われています。およそ4kmにもわたる花のトン
ネルはそれは見事なもので、以来「武南桜」と称され、毎年春には大変な賑わいを見せました。しかし残念なことに、昭和30年頃から、道路拡張や樹木の老
化、車の排気ガス等で遂に消滅してしまいました。現在では「桜町」という地名にその名残を留めるのみです。

◆ 桜の街・復活への試み ◆

 一般の桜より早く3月の初旬に開花する、赤みをおびた可憐な花びらが特徴の安行桜。川口市安行・沖田雄司様の改良によるもので、別名
沖田桜とも呼ばれています。この安行桜を多くの人に楽しんでもらおうと、先月下旬、安行地区の連合町会により伝右ェ門川の土手約500mに桜の苗50本が
植樹されました。3年後には開花するそうなので、非常に楽しみです。

 また、神根地区では有志の農家の方たちにより「武南桜を復活させる会」が結成され、赤山街道に面する江川運動広場に桜を植える活動が3年ほど前から実施されています。春になればあちこちで武南桜が咲き誇る「花の赤山」を取り戻すことが目標だそうです。

◆ 川口桜まつり ◆

 文化放送川口送信所(赤井3-9-16)では、例年「川口桜まつり」が開催されています。広大な敷地には約300本もの桜があり、桜の開花にあわせて地
域の人たちに開放されます。今年は4月1日~3日にかけてまつりの開催が予定されており(AM10:00~PM5:00)、カラオケ大会や芸能フェスティ
バルなども企画されています。

◆ 市内の桜スポット ◆

◇グリーンセンター(新井宿700)
広い園内に約200本の桜が来園者を出迎えてくれます。またセンター南側、見沼用水沿い700mにわたる桜の遊歩道も見ものです。
◇リリアパーク(川口3-1-1)
JR川口駅の西口を出ると目の前に大きな公園が広がります。3.1haもの広大な面積を誇るリリアパークと名づけられたこの公園は市民の憩いの場となっており、ゆったりとした気持ちで桜を観賞できます。

◇芝中学校(芝6330)

小高い丘の上にあるこの中学校には107本
もの桜が植えられており、毎年入学式の時
期には新入生を歓迎するような満開の花を
咲かせます。

 私も今から開花を心待ちにしている一人です。あなたのお薦めスポットがありましたらぜひ教えて下さい。しかし皆さん、飲み過ぎにはくれぐれもご注意を。

新 藤 義 孝

第49号 尖閣諸島は日本の領土です



2001年9月、海上保安庁の航空機に乗り魚釣島を視察


[領土問題は国家の基本]

 私は国政を志した当初より、「この国に住む私たちが、如何にして安全且つ豊かに生きがいを持って暮らすことが出来るか」ということを政治の目的としてま
いりました。その基本として領土問題は絶対に外せない大切な分野です。またその解決のためには、まず現地を知ることが重要と考え、日本の抱える3つの領土
問題の内、近づくことの出来ない竹島を除き、これまで北方領土・択捉島に上陸し、現地島民との対話集会を開催しております。尖閣諸島については上空からの
視察を行っております。今号は、最近中国との間でとみに緊張関係が増している尖閣諸島問題について、皆さまに現状をご報告させていただきます。

[魚釣島灯台の国有化と中国の反発]
 先月9日の記者会見で細田官房長官は、尖閣諸島の魚釣島に民間が建設・所有してきた灯台を、国が直接所有・管理することになったと発表しました。これに
対し、中国外交部は「尖閣諸島及び周辺諸島は中国固有の領土。日本が取るいかなる行為も違法かつ無効である」と強く批判。また台湾外交部も、「台湾の領土
であることは疑いようのない事実」と主張しています。
 なおこの灯台は、1987年に日本の政治団体が建設し、石垣市の漁業関係者が所有していたもので、所有権の放棄を機に日本政府が国有財産とし、海上保安庁が保守・管理を行うことを決定したものです。

[尖閣諸島とその歴史]
 尖閣諸島は、沖縄本島から西方410km先に位置する東シナ海に浮かぶ日本の領土であり、魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島等の島々からなっています。
 1885年以降日本政府は現地調査を実施、これが無人島であり清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認の上、1895年(明治28年)に現地に標杭
を建設する旨の閣議決定を行ない沖縄県に編入、正式にわが国の領土としました。その後日本人が入植し、アホウドリの羽毛の採取や鰹節などが製造されていま
した。鰹節工場が閉鎖された1940年以降は無人島となっています。
 第二次世界大戦後は一時的に連合国の管理下に置かれましたが、1972年には日本に返還。島は開拓者の子孫が所有する民有地で、現在も日本政府が貸借契約を結んでおり、日本の実効支配は依然継続しています。

[尖閣諸島の領有権問題]
 この小さな島の領有権問題が浮上したのは、1968年に国連のアジア極東経済委員会の協力の下、東シナ海一帯の海底の学術調査を行ったことから始まりま
す。東シナ海の大陸棚には莫大な石油・天然ガス資源が埋蔵されている可能性があることが指摘され、1971年に中国と台湾が相次いで同諸島の領有権を公式
に主張しはじめるようになったのです。特に中国の主張の根拠は、尖閣諸島が中国大陸の大陸棚に属しているため、というわが国にとって絶対に受け入れられな
いものです。しかし中国は東シナ海の海底資源探査を進め、最近ではわが国の主張する排他的経済水域(EEZ)の境界線付近でガス田事業を始めようとしてい
ます。これは国連海洋法条約に違反し、日本の主権を侵害する可能性のある行為です。わが国はこの無謀な行為に対し、断固たる姿勢を強く打ち出さなければな
りません。

[繰り返される中国側の領海侵犯]
 尖閣諸島周辺の日本領海内では、中国軍海艦船による海洋調査や中国人活動家の領海侵犯を伴った接近が繰り返されています。1978年には約100隻に及ぶ中国漁
が領海内不法操業を行う事件が発生。1988年には台湾船2隻が魚釣島周囲の領海内に侵入。さらに1996年以降は、台湾・香港等の民族主義者による領有
権主張の実力行使がたびたび行われています。昨年3月には、尖閣諸島に7名の中国人活動家が上陸。日本側が彼らを逮捕の上、強制退去させるという事件もあ
りました。また、昨年11月の中国海軍の潜水艦による領海侵犯事件は皆様も記憶に新しいと思います。

[尖閣諸島を視察]
 海上保安庁は尖閣諸島周辺海域に大型巡視船を常時配備すると同時に航空機による定期的なしょう戒を実施しています。2001年9月、当時総務大臣政務官だった私は、自らの目で現状を確認するため、現地視察を行いました。
 
那覇空港内にある第十一管区海上保安本部で説明を受けた後、管内航空機YS11「しゅれい」による海上保安庁の定期監視に同乗し、機上より尖閣諸島を視
察。また、無線により領海警備中の巡視船「よなくに」へ激励のことばを送りました。翌日は石垣航空基地から下地島へ移動。国内唯一の民間ジェット機の訓練
空港である下地島パイロット訓練所を訪れ、航空管制業務を視察。さらに、ヘリコプターで巡視船「くだか」に降立ち、海上警備の任にあたる職員の皆さんを激
励しました。報道資料等で見聞きしていただけではわからない、第一線で日本の領海を守る海上保安庁の皆さんたちの心意気が感じられ、現場で確認することの
大切さを実感しました。

 領土問題は古今東西を問わず国家の基本であり、領土を守ることは、次世代に繋ぐ私たちの責任だと思います。そして、この解決の手段は外交を用いるほかはなく、わが国政府と政治の責任は限りなく重いものと心得なければなりません。

新 藤 義 孝

第48号 ラグビーがつくる地域の輪 ~総合型地域スポーツクラブを目指して~

川口市ラグビーフットボール協会 http://urawa.cool.ne.jp/krs/


[川口市ラグビー協会の活動]

 
荒川河川敷の広いグランドを、子どもたちが縦横無尽に駆け巡っています。その熱気のこもったタックルに、受け止める私の腰にも力が入ります。私が会長を務
めさせていただいている川口市ラグビーフットボール協会では、毎週日曜日に小中学生のラグビースクールを開催しています。お子さんの数はおよそ100名。
子どもたちの元気な姿を頼もしげに見守る親御さんたちも、とても楽しそうです。
 幼稚園から中学生まで5つのグループに分けられたチームの指導を行うのは、56人のコーチたちです。もともとのプレーヤーもいれば、子どもに引きずられ
てコーチ資格を取った人まで色々です。このコーチたちでつくるお父さんのチーム「ダーリンズ」が結成されています。また、お母さんたちも当初は応援と食事
などのお世話をするだけでしたが、いつの間にか熱が入り、「ハニーズ」というチームも誕生しています。
 この他、社会人のチームが2チーム60人あり、現在250人の協会です。8年前の設立当初は28人からスタートしたので、当初から会長を務めている私と
しても感慨深いものがあります。設立当初は、土手の上の小道で石拾いから始まりました。グランドを確保したり、川口市体育協会に加入したりと、たくさんの
方々にお世話になりながら、協会もどんどん充実しています。

 私はこの活動を通じて、スポーツの素晴らしさを改めて意識するようになりました。体を鍛え、心を鍛え、ルールの中でフェアに戦うスポーツマンシップを身
につけることはもちろんですが、それに加えて、スポーツを通じて新しいコミュニティが楽しみながらでき上がっていくのです。例えば、ラグビーの仲間たちか
らはこんな声が聞こえてきます。
「ラグビーをやる前は自宅と会社の往復だけだったが、子どもに連れられてグランドに足を運び、いつの間にか仲間ができた」「よその街から越してきた自分に地元の友だちができた」「グランド周辺の石拾いや土ならし、草むしりなどボランティア活動の喜びを知った」等々。
 子どもたちは、体力や技術の向上のみでなく、協調性や責任感、忍耐力、相手への思いやり、礼儀や挨拶といった精神的・社会的に必要とされる要素も学びま
す。たくさんの親御さんたちが、自分の子も他人の子も等しくその心身の成長を見守っています。ラグビーを通じて、新しい地域の輪が、新たなコミュニティが
誕生したのです。

 
ラグビーというスポーツによって自分の居場所をつくることができたことが、何よりも都市化が進む社会において、とても有効なことだと思っています。もちろ
んそれはラグビーに限ったことではありません。私は昨秋に、キッズサッカーの大会を企画・開催させていただきました。また、野球やバレーボール、ゲート
ボール、ターゲットバードゴルフ、インディアカ、ミニテニスなど、種々の活動に参加しています。それぞれのスポーツを盛んにすることが、街づくりにつな
がっていくからです。
 そして私たちは、これまでの活動を踏まえて、ラグビーを中心とした新しい地域コミュニティ活動として、「総合型地域スポーツクラブ」の設立を目指すことにしました。過日、県体育協会に設立申請を行い、新年度での認可を狙っています。

[統合型地域スポーツクラブとは?]

地域住民が自主的に運営する、子どもから高齢者、障害者まで誰もが参加できる多種目型の公共性を伴ったスポーツクラブで、以下の特徴をもっています。

①種目が多く、それぞれに専門の指導者がいるため、自分に適したスポーツに出会うことができる。

②幼少時から高齢になるまで長期にわたって同じクラブに所属することができるため、地域住民のコミュニケーションの拠点となりうる。

③様々な年齢層の人たちが一緒にスポーツを楽しむことができ、社会性やマナーを学ぶこともできる。

④長期的な視野に立ち、一貫した指導を受けることができる。

⑤受益者負担が基本だが、公共性の高いクラブとして低料金システムを導入することができる。

⑥総合型化により施設使用の調整が比較的容易となり、公共スポーツ施設を効率よく利用できる

 ヨーロッパ諸国ではスポーツが生活に根づいており、住民の多くが地元の総合型クラブに加入し、地域の活性化にもつながっています。
 我が国でも、平成12年に文部省が策定したスポーツ振興基本計画で生涯スポーツ社会の実現に向けた総合型地域スポーツクラブの育成プランが掲げられており、行政側からの支援体制も整えられつつあります。
 県内でもこの総合型地域スポーツクラブは増加しており、昨年は11の団体が認可され、それぞれ地域に根付いた活動を展開しています。

 私たちの動きが契機となり、ラグビーだけでなく様々なスポーツ団体が積極的に地域との連携を図っていく。そして、誰もが笑顔で生き生きと各々のスポーツシーンを満喫し、新たな地域の輪が生まれてくる。そんな光景を夢見ながら活動を続けて参ります。

新 藤 義 孝

第47号 全国シェア95%の農産物が川口に!ぼうふうと筆生姜

 刺身や和え物、吸い物などに彩りを添える「つまもの野菜」。目で食べるとも言われる日本料理には欠かせない引き立て役です。その中でも高級食材として用いられている「ぼうふう」の9割以上が私たちの街でつくられていることを、皆さんはご存じでしょうか?

 
川口市は、古くから大消費地・江戸近郊の街として、高度な技術を活かした様々な農産物の生産が行われてきました。それは現代にも受け継がれ、神根地区では
今でも約40件の農家によって武州軟化蔬菜出荷組合(田中吉良組合長)が組織され、伝統を守り続けています。「つまもの」と呼ばれる野菜のうち、ぼうふうは全国で神根地区だけが本格的な生産を続けており、実に全国シェアの95%を占めています。これまで、NHKなどのテレビ番組でも紹介されてきました。
 私も、過日この出荷組合の総会にお邪魔したときに、改めて我が街の特産物の素晴らしさを再認識させていただきました。そこで、私がこのことを広く皆様にご紹介したいと申し上げたところ、大変嬉しいことに地元の大先輩からご投稿をいただいたのです。


今回ご投稿をいただいた

川口市木曽呂 石井 光さん

(武州軟化蔬菜出荷組合・元組合長)

「川口市北部の農産物」
 川口の特産と言えば鋳物と植木が有名ですが、神根地区北部には長い歴史を持った伝統ある農産物があります。今回はそのいくつかをご紹介いたします。

[もやし生姜・筆生姜]
 生姜は「薑」と書くのが正しいと言われています。このもやし生姜は今より約300年余り前、元禄時代からこの地で栽培されていたと言われています。驕奢
華美を好む時代に、上流社会の宴席にて実を食し、そのあと口の臭いを消すために食膳に用いられたのが始まりであると言われています。日本料理には欠くこと
のできない食材のひとつです。
 もやし生姜は土むろで栽培するため設備管理が難しく、やがて姿を消してしまいました。その名残として、現在では夏物の筆生姜(1本ずつ切り、これを30本の束とする)として、7月上旬より10月下旬頃まで東京二大市場(築地・太田)に出荷されています。この二市場で取り扱う量の70%はこの神根北部の産であり、仲卸業者の手を経て遠く関西及び東北・北海道まで出回っています。

[防風(ぼうふう)]
 ぼうふうは、
海岸の浜辺に自生している浜防風を園芸用に選抜を重ねたもので、独特の芳香と辛みがあるセリ科の多年草です。もやし生姜と同じく元禄ごろから栽培されてい
るようです。主に「毒消し」や「臭み消し」として生料理の添いものに用いられることが多く、高級食材として珍重されています。
 古くから若芽を酢の物にして食べたり刺身のつまとして用いられていますが、最近では吸い物や蒸し物の材料、揚げ物、ごま和えなど広範囲に利用されています。
 また、茎と葉の部分は抗酸化の働きが強く解熱・鎮痛・強壮・沈咳の作用があり、風邪・頭痛・関節痛などに有効とされ、漢方薬としても用いられます。
 このぼうふうも二大市場における年間取扱量の95%は神根北部産のものであり、全国各地へと出荷されています。

 なお神根地区ではこの他にも、およそ70%の全国シェアを占める木の芽(山椒の新芽)や、縁起がよいとされおせち料理などによく使われる八頭(やつがしら)なども生産しております。またの機会にぜひご紹介させていただきたいと思います。


ぼうふうを生産している

川口市東内野 守谷賢一さん

(武州軟化蔬菜出荷組合・前組合長)

 今回いただいた手紙の文面からは、この街の伝統的特産物とそれを継承していく誇らしさが読み取れました。我が街の歴史と伝統を見つめ直し、郷土への愛着
や誇りを感じることは、とても嬉しいことです。今後も機会を捉えて、我が街の伝統をご紹介して参りたいと思います。

新 藤 義 孝

第46号 架空請求・不当請求に屈するな! ~巧妙化する詐欺師たちの手口とその対策~

 サイト管理者や債権回収業者を装った者が、利用料金・遅延損害金・回収代行手数料などの名目で根拠のない支払を請求する通知を、ハガキや封書、電子メールなどで一方的に送り付けてくる架空請求。いきなり「最終通達書」「支払催告通知書」などと受取人に不安感を与えていくのが架空請求の特徴です。

 もし架空請求が届いたら「支払わない」「相手に連絡しない」「無視する」という対応が最善です。記載されていた電話番号に連絡したために、脅迫電話が続くようになるなどの被害を受けたという事例も多いのです。架空請求かどうか確認したいのであれば、業者に問い合わせるのではなく、お近くの消費生活センターや警察に相談しましょう。

川口市消費生活相談コーナー[相談専用]048-258-1241
埼玉県消費生活支援センター[相談専用]048-261-0999

[増え続ける振り込め詐欺事件]

  警察庁発表によると、昨年1年間に全国で発生した「振り込め詐欺」事件は計2万5,667件、被害総額は約283億円に上っています。先月末には、川
口市元郷で元ヤミ金業者と少年ら14人が逮捕されるという事件がありました。これは、暴力団関係者による広域な組織的振り込め詐欺集団のひとつと目されて
おり、全体の被害総額は200億円を超える可能性があるとも言われています。
 手口はより巧妙化し、ターゲットとなる人物の個人的な情報を調べ、悪用するものも増えています。アダルトサイトの利用料や債権回収など、「事を荒立てた
くない」という心理を巧みに利用する不当請求なども人の弱みを狙ったものです。さらに悪質なことには、災害時に人を助けてあげたいという思いを逆手にとる
ケースも現れました。新潟県中越地震やスマトラ島沖地震の際には、義援金と称した振り込め詐欺が続出したのです。
 昨年末、振り込め詐欺等に銀行口座が利用されることを抑止するための「預金口座等の不正利用防止法」も施行されました。しかし、こうした詐欺事件を減らしていくには、私たち一人ひとりが正しい知識を持ち、毅然とした態度で対応することが不可欠です。

[巧妙化するオレオレ詐欺]

 警察官や暴力団員、会社の上司、弁護士などの第三者になりすまし、複数の犯人による巧みに演出された手口が増えています。警察の調べでは、話の内容は、交通事故の示談、借金返済、妊娠中絶費用等の理由が全体の約9割を占めるそうです。

電話を受けた際の対処法は?
①必ず「どちら様ですか?」と相手の名前を確認しましょう。決して自ら親族等の名前を言わないように。
②怪しいと思ったら相手がしつこく話してきても一旦電話を切ること。
③電話を切ったら、本人の職場や携帯などに連絡して、直接話を聞く。
④事実かどうか確認できるまで、決してお金を振り込まないこと。

[少額訴訟制度を悪用するケースも]

 架空請求は無視するのが定石ですが、それを逆手にとった手法も出てきました。架空請求の通知を無視していたら、突然、裁判所から呼出状が届いた ―
これも自分には関係ないと高を括っていたら、いつの間にか自分が裁判に負けたことになって、業者から合法的に料金を請求されることになってしまった・・・
 業者が請求の根拠がないにもにもかかわらず「少額訴訟」という裁判を起してくるのです。この制度は手続きが簡単で、書式が整っていれば内容の真偽に関係なく申し立てが認められてしまいます。その日のうちに判決が出るという簡易な訴訟制度であり、欠席した場合はその訴えを認めたと見なされてしまいます。

裁判所から通達があった場合には
①書類の送付元が裁判所の場合、身に覚えがなくても本物かどうか確認する。裁判所からの通知は特別送達という特殊な郵便で送付されます(手渡しされることが原則)。ハガキや普通郵便(郵便受けに普通に入っているもの)で届くことはあり得ません。
②書類に書かれた電話番号にかけると悪質な業者に番号を記録される恐れがあるため、「104」で確認した上で当該裁判所に電話する。
③正式な書類とわかったら、消費生活相談窓口などで相談した上で、裁判所に異議の申し立てをするなど法的対応を取る。

[インターネットを利用した詐欺]

 ネット詐欺の中でも最近急増しているのが「ワンクリック請求」
呼ばれるもので、出会い系・アダルトサイト等の画面をクリックしただけで自動的に会員登録されてしまい、高額な会費を請求してくるという不当なものです。
架空請求とは異なり、サイトを見たという利用者の心理につけ込んで数万円の料金を請求し、「払わなければ住所や勤務先を調査する」などと脅す悪質な手口で
す。

ワンクリック請求の画面表示例
[登録確認]
振込ID番号: IDxxxxxxx
パスワード: IDxxxxxxx
ご登録日時: 2005/xx/xx xx:xx:xx
あなたのIPアドレス: 192.xxx.0.1
あなたの接続情報: xxxxxxxxxxxx..net
ご利用料金: 50,000円
振込期日 登録日から 3 日以内

 
支払期限を過ぎても入金確認が出来ない場合、料金未納者と判断し、上記固体識別番号から契約者情報(氏名、性別、生年月日、住所、勤務先等)を調査し、別
途調査費用・延滞料金等を加算して御請求させて頂きます。さらに入金確認が取れず悪質ユーザーと判断された場合には、金融機関提携の個人信用情報機関に
「事故情報」として貴殿の契約者情報を提出し、法的処置等を取らせて頂きます。

 上記のような例で、IPアドレス、接続情報、固体識別番号などといった記述に驚いてしまい、自分の個人情報が相手に伝わってしまったと思い込んでしまう
ケースが多いようです。しかしこちらから入力をしていない限り、原則として相手に個人情報を知られることはありません。また、電子消費者契約法に基づき、料金支払い意思の確認なしで申込を受けたとする請求に対しては支払いをする必要はなく、かつ、支払う意思のないことを不当請求業者に伝える必要もないのです。
 慌てて退会手続きや業者への問い合せなどをしないように気をつけましょう。あなたのメールアドレス等が入手され、業者の思う壺です。

IPアドレスとは?
IP
アドレスとは、インターネットに接続したときにプロバイダ側からコンピュータごとに割り振られる識別番号です。あくまでもコンピュータを識別するためのも
ので、住所や電話番号などの個人情報は特定されません。プロバイダ側も、警察や司法機関等による公式な開示命令があった場合を除き、民間企業や個人からの
要請で個人情報を開示することはできません。

[携帯メールのフィッシング詐欺]

 パソコンの場合と似た手口ですが、携帯電話会社やクレジット会社を装ったり、「プレゼントが当選しました」などと書かれたメールが届き、そこに記載され
たURLをクリックしただけで自動登録され高額の利用料が請求される詐欺が広がっています。クリックした時点でこちらの電話番号が相手に通知される仕組み
になっている場合もあります。
 いずれの場合も、興味本位で気軽にアクセスするのはやめましょう

 詐欺師たちはますます巧妙な手口を考え出し、私たちにお金を払わせようと狙っています。一度払うとカモと見なされ、何度も請求されかねません。不当な請求にはNOと言う毅然とした態度を貫きましょう。

新 藤 義 孝

第45号 日本海の核汚染を防げ! ロシア退役原潜解体事業「希望の星プロジェクト」

関連資料をリンクしました。どうぞご覧下さい。

[日露非核化議連に出席]

 2月3日、自民党本部で開かれた日露非核化協力推進議員連盟(会長:野呂田芳成先生)に顧問として出席しました。ロシア退役原潜解体事業「希望の星」の進捗状況について外務省側より説明があり、私が外務大臣政務官時代に手がけたヴィクターⅢ級原潜の解体が完了したとの報告を受けるとともに、核汚染された退役原潜が日本海を始めとする環境に与える可能性についての質問をさせていただきました。同議連では政府方針として今後さらに5隻の解体作業について協力していくことなどを確認しました。

[希望の星プロジェクトとは?]

 冷戦終了後ロシアの軍事力は旧ソ連時代の約1/10に縮小され、多くの原子力潜水艦も退役しました。しかし、原子炉の非核化処理を伴う解体作業には巨額の予算が必要であり、日本海を挟んだ極東ロシア沿岸には当時41隻の退役原潜が未処理のまま海上に係留されていたのです。内36隻は自力浮上できず、海水による船体の腐食や浸水により過去3回爆発し、放射能漏れ事故を起こしています。さらに、ソ連時代に液体放射性物質を日本海に不法廃棄していた事実も明らかになり、大きな問題となりました。また、艦内の核物質が不法に持ち出されテロリストの手に渡る脅威も想定され、ロシア退役原潜の解体非核化問題は、国際社会にとって「今そこにある危機」となっていたのです。

 事態を憂慮した日本政府は、日本海の環境保全と核物質の拡散防止という観点から、1993年に約200億円を拠出しました。しかしロシア側が軍事上の機密を理由に情報を開示せず、原潜解体は10年間1隻も出来ないまま、日本が拠出した資金は約160億円が使われず国際機関にたな晒しになっていたのです。

 自民党の外務省改革委員時代にこの問題を指摘していた私は、2002年11月、外務省大臣政務官として戦後実に57年ぶりに日本政府の一員として初めて極東ロシアの軍港の町・ウラジオストクを訪問しました。昼間でも零下20度を超える厳寒の地で、原潜解体を実施する造船所を視察すると共に、現地の政府・軍関係者と膝詰めの談判を行い、場合によっては事業の廃止・資金の引き上げも辞さない覚悟で交渉を行いました。そして、現地関係者の熱い情熱と、事業が進まない理由が遠く離れたモスクワにあるロシア政府内部の問題であることを確認した私は、帰国後、川口外務大臣に状況を報告すると共に事態を打開する新提案を行いました。

 川口大臣の理解を得た上で、私はこの提案を実現させるため、内閣や自民党の有力者を個別に訪ね説明に当たりました。そして遂には小泉総理にこの提案が届き、了承されるに至ったのです。

 極東における原潜解体協力事業は、2003年1月プーチン大統領との首脳会談で採択された「日露行動計画」の中に実施が盛り込まれ、小泉総理によって「希望の星」プロジェクトと命名されました。(これは解体現場となる造船所の名、ズベェズダ=ロシア語で星という意味に因んだものであり、本当にうれしいことに私が提案させていただいたものなのです。)

 その後、日露両政府は「希望の星」の最初の事業として、ヴィクターⅢ級原潜1隻の解体に合意。その確認のために2003年6月、私は日本政府を代表して再度ウラジオストクを訪問し、この仕事を通してすっかり親しくなっていたロシアの友人たちと事業実施を喜び合いました。

 記念すべき第1号の解体を祝い、造船所内に桜の植樹も行いました。そして今後新しい解体が実施されるたびに1本ずつ桜を植えよう、と私たちは約束したのです。

[よき隣国となるために・・・]

 今から150年前、日露修好条約により日本は鎖国を解き、両国の交流が正式に始まりました。また、本年は日露戦争終結100年目の節目の年にもあたります。

 現在日本とロシアは隣国として新しい友好関係を創り出そうとあらゆる分野で協力関係を推し進めております。日露関係をさらに発展させるには北方領土問題の解決が不可欠ですが、そのためにも、政治・経済・文化等の交流を深め、両国国民が直接触れ合ってお互いを理解しあうことが何よりも有効です。

 この「希望の星」プロジェクトは極東地域の環境保全や核の脅威を取り除き、互いの友情と信頼のために役立つものと大いに期待しております。また、私も外務省の一員として並行して交渉を進めてきたシベリヤの石油パイプラインプロジェクトが、最近になって日本側が希望する太平洋ルートに決定されたことも、この事業の実施と無関係でないことを指摘させていただきます。

 私は外交問題をライフワークのひとつとして、ずっと取り組んでまいりました。私たちの国の安全と繁栄をもたらすように、そして日本が世界の平和に貢献出来るように願いを込めてこれからも勉強させていただきます。

新 藤 義 孝

第44号 乳幼児医療費の窓口払いをなくそう! ~子どもにやさしい街づくり~

[危機感高まる少子化問題]

 
厚生労働省の発表では平成16年の出生数は前年を1万7000人弱下回り、4年連続で過去最低を更新しました。平成19年には出生数が死亡数を下回ってし
まうと予測されています。1人の女性が生涯に産む子どもの数(出生率)は平成15年には1.29まで落ち込んでいます。

 未婚率の上昇や晩婚化、仕事と子育てを両立できる環境整備の遅れ、経済的な負担など、子どもを産まない理由は人により様々です。子を産むかどうかは個人
的な生き方の問題ではありますが、将来に対する不安や医療費・教育費などの経済的負担を理由に「産みたくても産めない」のであれば、それは政治が解決すべ
き課題です。

[乳幼児医療費補助制度とは?]

 子どもにかかる医療費負担のうち、私が今号でとりあげさせていただくのが乳幼児医療費助成制度についてです。

 
この問題に関心を抱くようになったきっかけは昨年の春のこと、私が若い支援者の方たちといっしょにバーベキュー大会をしたときのことです。たくさんの若い
夫婦が小さなお子さんたちを連れて参加してくれたのですが、東京都内から川口市に引っ越してきたという若いお母さんが私にこう言ったのです。「都内に住ん
でいた頃には子どもを病院に連れて行っても無料で受診できたのに、川口市では一旦窓口でお金を払い申請書を出した上で後日払い戻しを受けるようになってい
て、とても不便だ。なぜ川口では窓口払いを不要にできないのか?」と。

 乳幼児医療費助成制度とは、小さなお子さんが病院で診療を受けた場合や保険薬局で薬を受け取った場合に、保険診療の範囲内で医療費の自己負担額を助成する制度であり、保護者の経済的負担を軽減することを目的としています。

 この制度の事業主体は市区町村であり、対象年齢や所得制限、窓口負担の有無など自治体間によって格差が生じています。

[窓口払いをなくせるか…]

 川口市や鳩ヶ谷市の場合には、埼玉県からの補助(対象年齢は通院が4歳未満、入院が小学校就学前まで)を受けた上で、通院時の対象年齢を小学校就学前までに引き上げ、一部自己負担金分を補助する等の拡大措置を行い、乳幼児の医療費を実質無料としています。

 しかし、利用者の便宜を考えた際に問題となるのが、助成費の給付方法(窓口払いの有無)です。現在、川口市や鳩ヶ谷市は窓口払いをした上で後日払い戻し
を受けるという方式であり、その申請手続きの煩わしさに対する不満の声も多くあがっています。「どうせ払い戻されるのなら、なぜ窓口で無料にしてくれない
のか?」親御さんにとっては当然の疑問だと思います。国は、必要以上の医療費負担を抑制するためだとして、窓口払いをしないで済む方式を独自に採用する自
治体には、ペナルティとして国庫負担金を減額する措置をとっています。そのため、財政的な観点から窓口払い方式を選択せざるを得ないのが現状です。

 しかし私は、少子化対策として、財政負担を考慮に入れても、私たちの街においても窓口払いを不要としてはどうか、と考えています。そして、仲間の市議会議員の皆さんとともに行政に働きかけを行っております。

【厚労省が体制を整備子どもの心療科確立へ】

刊新藤35号で「小児神経科の設置を!」とご提言させていただきましたが、国もいよいよ動き始めました。児童虐待や少年事件の増加など「子どもの心」をめ
ぐる問題が注目される中、厚生労働省は「子どもの心の診療科」(仮称)を診療分野として確立し、全国的な体制整備に乗り出すことを発表しました。

 3月上旬にも有識者の検討会を発足させ、不足している専門医の養成システムや小児科医への研修体制づくりなどの対策をまとめることに加え、正式な診療科を目指す動きもあり、厚労省は診療科指定の是非も議論していく方針です。

 現代は虐待により心に傷を負った子どものケアが急務となっており、摂食障害や「キレる子」などへの対応も求められています。自閉症や注意欠陥多動性障害
(ADHD)といった発達障害への取り組みも重要な課題で、早期発見とケアが重要であるにも係わらず、診断できる医師が少ないことが問題になっています。

 子ども専門の心療科は、欧米はもとより韓国においてもすでに確立した分野となっていますが、日本では医療法上、広告できる診療科に認められていません。専門の小児神経科医の診察を受けるには3ヶ月半から半年後の予約待ちというケースもあると言われます。

 検討会ではこうしたニーズに対応し、小児科医や精神科医の研修体制を整え、すそ野を広げる方策を検討。文部科学省と協力して医学部への講座新設など専門医養成システムも話し合い、今年度末に結論をまとめる予定となっています。

 小児医療の中で最も時代のニーズが高い小児神経科の問題について、私はこれからも取り組んで参りたいと思います。

新 藤 義 孝