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第 16号 2004.07.26 発 行 |
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![]() かつてこの地域はほとんど海の中でした。それが、4、5千年前頃より関東ローム層でおおわれた現在の新郷・安行・神根・戸塚といった地域が陸地として姿を現します。新郷貝塚がその証です。全国的にも有名な安行の植木は、この関東ローム層による良質な赤土の恵みによるものです。また、その後関東平野が形成され市の南部を流れる荒川から採れる良質な川砂を使い、江戸期より鋳物業が発達し、鍋、釜から軍艦のスクリュー、自動車エンジン等々時代の要求に応えてきました。 では、川口という地名の由来はどこからきているのでしょうか?実はもともと川口は「小川口」と呼ばれていたのです。入間川(現在の荒川)の河口に面していたことから名付けられました。古利根川に沿った現在の加須市付近に川口という地名があり、そこに比べて船渡し場が小さかったためといわれています。 この「小川口」という名称が初めて歴史に名を表すのは、鎌倉時代の日記文学である『とはずがたり』です。この作者は後深草上皇の寵愛を受けた二条という女性です。1289年12月に小川口に3カ月間滞在したと『とはずがたり』に記されています。 また、室町時代の作といわれ、牛若丸で有名な源義経の数奇な生涯を描いた『義経記』にも、兄・頼朝の挙兵に呼応し、奥州平泉から鎌倉に向かう義経一行が小川口で、その軍勢を整えたという記述がみえるのです。
![]() 昭和15年には、戦時中の強制合併により鳩ヶ谷町、神根村、新郷村、芝村が合併しましたが、昭和25年に鳩ヶ谷町で住民投票が行われ、町を二分する激論の末、鳩ヶ谷町が分離します。その後、昭和31年に安行村同35年に美園村の一部が編入され、今日に至っているのです。 川口の総面積は、55.75平方キロメートル、東京都の世田谷区とほぼ同じ大きさです。また、現在の人口は約49万人で、全国約3100の市町村のうち、政令指定都市を除く16番目の人口を誇っています。鋳物や機械といった地場産業によって発展した街の名残りは、川口駅周辺の商業地域からいきなり準工業地域に変わる用途地域と、マンションや住宅の中に点在する工場にその姿をとどめています。また、区画整理の進んだ芝や前川、地下鉄7号線の開通にあわせ戸塚や安行といった市北東部で市街地整備が急ピッチで進められ、新しい住宅地が次々と生まれています。 これから先、川口市は単なる東京のベッドタウンとなるか、あるいは政令指定都市となったさいたま市の陰に隠れて埋没してしまうのか。それとも首都圏にあって歴史と伝統を基盤に自立した活力ある都市として発展していくのか、まさに川口は今、大きな分岐点を迎えています。 その大きな鍵を握るのは私たち市民一人ひとりであり、郷土川口への愛着や誇りを持った方々が増えていくことが重要です。「温故知新」(故きを温ねて新しきを知る)をキーワードに、わが街のDNAを探っていくことが川口の未来につながっていくと、私は確信しているのです。 (続く)
![]() 昭和33年川口生まれ。明治大学卒業。 川口市役所で地方自治を経験し、市議を経て、 平成8年38歳で衆議院議員に。当選2回。 小泉内閣では総務大臣政務官(43歳)、 続いて国会対策副委員長、 外務大臣政務官(44歳)を歴任。 昨年11月の総選挙で惜敗。次をめざす46歳。 ☆ 新藤義孝後援会事務所 ☆ 〒332-0034 川口市並木 1-10-22 TEL 048-254-6000 FAX 048-254-5550 |
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